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2006年11月26日 (日)

ゴールデン・サイクル

「ゴールデン・サイクル」   嶋中雄二

本書は、足元で始まろうとしている日本経済の壮大な復活劇を主として景気循環論の視点から論じたものです。

(06年4月までに書いて、5月刊行なので、ゼロ金利解除前に書かれた事を

考えて読んでください)

2005年内に在庫調整が完了し、3~4年周期のキッチン・サイクルが上昇基調を継続する一方、戦後第6波のジュグラー・サイクルの上昇基調ともいうべき、空前の投資採算水準に見合った新たな、10年周期的な設備投資の拡大局面が始まろうとしています。

このジュグラーの戦後第6波は、液晶・プラズマTVやDVD、ハイブリッド・カーといった新・三種の神器とも言うべき耐久消費財普及とともに到来しつつあります。そして、この上昇波は、国内工場立地の増加・都市再生事業の本格化・団塊の世代並びに団塊ジュニア人口の移動などにその一端が見られる、クズネッツ・サイクルないし建設投資循環の20年周期の上昇局面が03年より開始されていることによって、より強化されようとしています。

地価の価格の動きを見ても、05年までと06年からとでは、土地という日本経済の根幹に関わる前提が異なってくると著者は見ています。その意味では、私たちは今、日本経済の歴史的局面に立っているのではないかと。

06年には、もう一つの波であるコンドラチェフ・サイクルが、その50~60年周期の回転により、再び戦後の復興期と同様の位相に立ち戻ってきたと解釈できる状況をもたらしつつあります。著者は、06年近辺を境に、緩やかなディス・デフレ(脱デフレ)の時代が始まり、その流れは、20~30年の時間の経過とともに、インフレへと姿を変えていくと見ています。

こうして、短期、中期、長期、超長期の(1)キッチン、(2)ジュグラー、(3)クズネッツ、(4)コンドラチェフの全てのベクトルが上向く年となり、著者はこの現象を、本書のタイトルにある「ゴールデン・サイクル」と命名しています。

日経平均と6大都市市街地価格指数は、おおむね1年半程度のタイムラグを隔てながら、総じて株価が地価に先行する関係があります、今年前半の株価の上昇スピードと合わせて考えれば、06年3月末の地価が1991年3月末以来15年ぶりのプラスを記録し、さらにその後も上昇し続ける確率が極めて高いといえます。

現実的に、06年1月の公示地価では3大都市圏の商業地は15年ぶりのプラスとなっています。つまり、06年という年にようやく、地価が当然のように下落し続ける「失われた10年(15年?)」をついに脱出して、竹中平蔵氏のいう「もはやバブル後ではない」状況に入ってこようとしているのです。

03年以降、工場立地件数や建設着工床面積などに動向が見られ、06年からの地価浮上により、人口動態的にも団塊の世代とそのジュニア世代の大量移動のパワーを内に秘めて、おそらく2012年頃までは上り坂と目される建設投資循環の本格的な上昇波へと展開していくのではないかと。

しかし、06年からの中期的な意味での主役は、建設投資というより、むしろ民間企業設備投資であるといったほうが正確かもしれません。

ところで、05年は日本が初めて「人口減少社会」に突入したことが明らかになりました。著者は、人口減少が日本経済の潜在成長力を低下させ、悲観的な予測に与することはしていません。デニソンによると、53年から71年の日本経済について、労働と資本の寄与よりもはるかに大きな寄与度である全要素生産性(TFP)の上昇率が高いことを示してくれました。80年代後半のバブル経済時にもTFPの上昇率が寄与していることはあまり知られていません。資本ストックばかりだけでなくTFPの伸び率も設備投資の中間循環、すなわちジュグラー・サイクルの位相とともに上下しているのです。今後、2010年にかけて設備投資比率が再び20%台近くまで高まれば、労働人口の減少を考慮しても、TFPや資本ストックの上昇率アップにより、日本経済の潜在成長率は4%台になってもおかしくないといいます。

経済成長率は、資本投入と労働投入並びに残差の各要因の貢献度を、日本経済研究センター(金森久雄)の調査では、成長への貢献への寄与度の最も高いのは残差要因であるTFPであることがわかっています。内閣府の統計でも90年から04年の潜在成長力は平均1.8%と計算されていますが、TFPの寄与度は0.9%ポイントとなっています。直近でも潜在成長力の半分はTFPによって稼ぎ出されていることになっています。

TFPは狭い意味での技術革新ではなく、イノベーションの経済効果を表しているといえます。政府は、06年1月の中期見通しの試算では、06年から11年まで実質経済成長率が平均1.8%、名目成長率2.8%と見込んでいますが、昨今の構造改革、新・3種の神器の普及、設備投資の上昇を考えると、著者はさらに高い成長を見込むとみています。

また著者は経済再生に必要なものは、まず「都市再生」を提言しています。生活者の視点からの経済再生が必要だと。それは4つのKだそうです。そのKとは、都市の「景観」、「環境」、「観光化」、「高齢化」だそうです。本書を読んでいただくとなるほど、4Kかと思わせます。

本書を読んで、先ず思ったことは、安倍首相ってこの本を読んで、イノベーションによる成長戦略を言ったのかなと思ってしまいます。イノベーション戦略とは、まさに本書で説明されているTFPを高める戦略であり、人口減少社会でも経済成長を成し遂げようとしていることですよね。

ゴールデン・サイクル―「いざなぎ超え」の先にあるもの Book ゴールデン・サイクル―「いざなぎ超え」の先にあるもの

著者:嶋中 雄二
販売元:東洋経済新報社
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2006年11月25日 (土)

「自由な時代」の「不安な自分」

「自由な時代」の「不安な自分」 消費社会の脱神話化 三浦展

「下流社会」という言葉で一躍メジャーな存在となってしまった三浦さんですが、マーケティングをやっている人や社会学をかじっている人なら何冊か読まれている方も多いと思います。

本書は、今年6月の発刊ですが、著者が近年書いた消費社会論や対談を集めたものです。すこし古い作品も入っています。

特に現代問題となっている格差の話ではありませんが、日本の消費社会がどのように生み出されてきたのか、それを米国の冷戦時代からの戦略までさかのぼり論じられます。

私は学生時代に社会学理論を勉強していたのですが、その時の戦後日本社会の捉えるキーワードは「アメリカニゼーション」でした。

本書でもアメリカにゼーションという言葉は使われていませんが、日本がアメリカの影響を受けて、どのように消費大衆社会になってきたかが三浦さんなりの言葉で書かれたり、対談の中で述べられます。

三浦さんの下流社会やかまやつ女などは、最近、格差問題の中で語られるようですが、本書のように三浦さんの多くの論文を並べてみると、あくまでもマーケティングの文脈で述べられていることに気づかされるはずです。

三浦は次のように述べています。

高度経済成長期においては、「大きな物語」と消費とが密接に結び付けられていただけではなく、消費自体が「マイホーム」「ホワイトカラー」「三種の神器」などの物語を次々と生み出すことで、「大きな物語」を補強した。「消費は美徳」「大きいことはいいことだ」という言葉に代表されるように、より多く消費することが国民、会社人、さらには家庭人としてのアイデンティティ形成にもつながるという言葉があった。

しかし、その両輪が今、どちらも溶解している。高度成長はとうに終わり、バブルははじけ、大手企業が相次ぎ倒産した。家族は、離婚の増加、晩婚化などによって、明らかにかつての「理想型」とは変質している。よって、われわれは自らのアイデンティティを持つことはできない。消費がアイデンティティに結びつくこともない。今や、消費者は自ら物語を創出しなければならなくなったのである。

言うまでもなく、「自分らしさ」もまたひとつの「小さな物語」である。しかし現実にはその「自分らしさ」という物語を十全に生きることのできる消費者ばかりでない。いや、そうではない消費者のほうが多いのは当然だ。

・・・こうして80年代は物語作りのためにマニュアル本の「ポパイ」や「JJ」が全盛期を迎え、中でも「ホットドッグプレス」はデートやセックスの仕方までマニュアル化していきます。

ファッションなどは所詮いつでもマニュアル的なものではないかという人もいるかもしれませんが、しかし、たとえば60年代のジーンズやミニスカートは、単なる流行を超えて、若者、女性の自由、解放という、それはまたそれでひとつの「大きな物語」を担っていた。それに対して、現代のファッションにはそんな「大きな物語」は存在しない。むしろ今のファッションは、太った自分や背の低い自分や色の黒い自分といった、無数の個別の「小さな自分」の「小さな物語」のための道具としてしか存在していないようにすら見える。

しかし、マニュアル化傾向が極限まで進むと当然のことながらマニュアル通りに生きる自分と、それに満足のできない自分との間に分裂が生じ、「自分探し」ブームが拡大することになる。

そして不安な心理状態は概ね3つの消費行動を生み出すことが考えられる。第1は「消費中毒」である。不安であるが故にますます物の消費を通して自分探しを行うことになります。消費者の自分志向に気づいた企業は、消費者とともに自分らしさ探し訴求との共犯関係によって、ますます「自分らしさの神話」が増殖していった。不安な消費者がとる第2の行動は「永遠志向」である。具体的には、海外高級ブランド志向がそれにあたる。海外高級ブランドは、消費者の自分らしさに近づくのではなく、消費者がブランドらしさのほうへ近づくべきだという態度を保持している。自分らしさなどという「ぬるい」次元を超えた絶対的なものとしてブランドは君臨する。不安な現代人は、高級ブランドが生み出す永遠性という強力な物語に惹かれるのである。不安な消費者の第3の行動は「自己改造志向」である。それは、高級ブランドであれ何であれ物を消費するだけでは所詮自分らしさやアイデンティティは実現できないことに気づき、逆に自分自身を変えようと態度であり、内面的な自己改造と外面的な自己改造の2つの方向がある。自己啓発、稽古事、茶髪、ピアスなどです。

本書の中心だけを紹介しましたが、私が大学時代に勉強した「アメリカにゼーション」は、ユーミン(松任谷由美)を通して語られます。

また、最近でもないですが、ギャルやヤマンバ女子高生のインタビューを通して、おじさんの私が知らない世界を垣間見ることもできます。

三浦展ファンの方には、おさらいになるかも知れませんが、三浦流の社会の捉え方を再認識できる本です。

「自由な時代」の「不安な自分」―消費社会の脱神話化 Book 「自由な時代」の「不安な自分」―消費社会の脱神話化

著者:三浦 展
販売元:晶文社
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2006年11月23日 (木)

日経MJトレンド情報2007

「日経MJトレンド情報源2007」  日経MJ編

みなさんは日経MJ(流通新聞)を読んでいますか。私は20年以上も前に会社に入った頃に自分で取っていましたが、金の切れ目が縁の切れ目でそのうち取るのをやめてしまいました。会社でマーケティング関係の仕事をしている時には、会社でとっている日経MJを読んでいました。今は、時々、図書館で読むくらいですが、仕事に関係する、しないに関わらず、面白いですよね。

毎年10月頃になると過去1年間の記事やデータから、まさにマーケティング年鑑というべきものが「日経MJトレンド情報源」で、本書は2007年版です。

さすがMJらしく、本書は、最新の消費トレンド分析、流通業界の動向、そして流通関連のデータ集ありと、面白さ満載です。マーケティング担当者なら是非とも手元において置きたい本ですよね。

本書での消費トレンド分析を見ていきましょう。

「もったいない」という日本語が世界に広まっていますし、確かに現在、日本に「もったいない」型消費者や消費行動が急速に増えつつあるように見えます。本書の鋭い分析は、消費者が「もったいな」と感じているのは地球環境や資源ではなく、消費行動に振り向ける自分自身の時間と労力ではないかと見ているところです。

その日本的「もったいない」型消費が増えている結果、生じている現象の代表例が、「投資型消費」と「クチコミ消費の全盛」だと言います。

その前提としての社会全体の分析も社会学的な見方で面白いです。

1980年、アルビン・トフラーが「第三の波」で提唱した「プロシューマー」という概念があります。高度消費社会では、買い手が作り手とプロセスを共有しながら、消費者と生産者を一体とした考え方ですが、現段階では半分当たって、半分はずれているといいます。それはなぜか。生産プロセスへの参加手段が、トフラーが考えていたよりも、高度化、情報化しているからです。ご存知の通りインターネットの登場です。

また、消費者の洗練化です。70年代までに標準世帯を主役とした大衆消費の段階を終了した日本の消費者は80年代のバブル期にモノを見る目、肥えた舌などを手に入れ、90年代の不況期には価値に見合う価格とは何かを考え続けた結果、コストパフォーマンスに関する敏感さを習得するに至っています。

最近では少子高齢化がこの流れに拍車をかけます。カネと時間を同時に手にした高齢消費者の「うるささ」は、商売をしている人には身にしみて感じているところです。

最近の消費者の指向としては、「癒し指向」から「元気・戦闘モード」へシフトチェンジしているのではないかと。ほんの少し前まで「泣ける」小説や映画が売れ筋でしたが、経済の回復基調に触発され、攻めの消費行動に移ってきていると考えています。

(ここは大切な分析だと思います。現在でも泣けるドラマや映画が流行っていますが、これからは癒し系などで攻めようと考えていてはいけないと言うことだと思います。企業収益は改善されてきていますが、個人消費には波及していませんが、もう少し時間がたてば、個人消費へ波及し、本書のいう方向に向かうと思われます。)

始めのほうで現象として「投資型消費」と「クチコミ消費の全盛」が現れていると言いました。

先ず、投資としての消費について見ていきましょう。

近年急拡大してきた「頑張っている自分へのご褒美」消費が急減速しています。バレンタインのチョコ買いからも、マイチョコが前年比14%の減額。本命チョコも微増です。ハイリスクな一点買い(結婚を狙う本命への重点投資)から、安全を考えた分散投資(職場や取引先との人脈作り)へと変わっていると。

オフィス街のランチタイム風景も変わっています。楽しげな雰囲気が希薄になっていると言います。客の女性たちは黙々と、有機野菜や海草で構成されたメニューを口に運びます。わいわいOLがランチを楽しむ姿とは正反対で、食後のデザートが見せ選びの決め手だった数年前とは大違いです。

この消費は、一時の満足のための「費やし、消える」消費ではない。先をにらんだ「投資としての消費」であると。

なぜ、こうした流れが生まれてきたのでしょう。

第一に、社会と生活のあらゆる分野に自由競争的な思想が入り込み、個人が自分の人生に経営的な感覚で望むようになったこと。株式などの投資に個人マネーが流れ込む中、従来の消費も無縁ではいられないようになりました。

第二は、見返りや効用が無くてもOKと思わせる魅力的な商品、サービス、エンターテイメントが不足していること。軽自動車ブームなど、本来の「単なる移動道具」に戻りつつあるクルマ選びがその好例です。

アート作品の購入者が本当に買っているのは、「アートを買う自分」という自画像だと言うのがマーケティングの定説です。人は何に対して、どういう目的で財布のヒモを緩めるのか。モノと目的の乖離をきちんと見極めることが、ますます重要になってきています。

次にクチコミについて考えましょう。

せっかく仕入れた情報は他人と共有したい。買い物をした結果(満足から怒りまで)も一人で抱え込んではもったいないとネットで発信します。以前は、AIDMAの法則(マーケティング理論なので説明は省略しますが)がマーケティングの基本とされたこともありましたが、最近では、サーチ(検索)と、最後にシェア(情報共有)が加わり、AISASの法則という言葉が生まれています。インターネットが普及した今、新たな顧客心理を加味したマーケティング戦略を立案しなければならなくなっています。

本書で注目している世代があります。団塊と団塊ジュニアに挟まれた谷間の世代です。この2つの山を当て込んだ企業ほど当てが外れて困っています。理由は簡単。団塊の世代の多くは長い老後のために支出を控え、再就職を希望している。バブル期に高く長期の住宅ローンを抱えた人も多い。団塊ジュニアは大学卒業が就職氷河期にぶつかり、フリーターも多い。正社員でも業種によってはボーナスが年々下がり続ける人もいます。

回復途上にある個人消費のけん引役は、統計的には少数派であるはずの谷間の世代なのです。60年代前半と生まれを中心にその前後数年を含む、40代の世代です。この世代の男性はおしゃれ、グルメと活発な消費を展開している。しかも上の世代のような渋いご隠居趣味ではない。(男ならチョイ悪おやじでしょうか)女性ならJJで育った方たちです。元JJモデルの黒田知永子さんに代表されるように、JJから始まり、雑誌「VERY」から、40代向け「STORY」のモデルになっていますが、ここの世代にピッタリ照準を合わせた企業は利益を確保しています。

最後に、トレンドのキーワードを紹介しておきます。ずばり「80年代」です。オートフォーカスをα7000は1985年に発売し、大評判になりました。今は、デジタル一眼レフ(今やソニーがαブランドで出していますよね)が流行っていますし、クルマで前回のバブル期を代表する車はシーマでしたが、今回の象徴はレクサスです。

みなさんもちょっと考えてみてください。

日経MJトレンド情報源〈2007年版〉 Book 日経MJトレンド情報源〈2007年版〉

販売元:日本経済新聞社
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2006年11月20日 (月)

ポーラ美術館

20日(月)は、子供の小学校が土曜学習のため代休となったので、日、月と1泊旅行に行きました。

日曜日は、箱根千石原のポーラ美術館に行きました。ルノワールなど常設展に加えて、ダリやシャガールなどの特別展もやっていて、大感動でした。美術館自体が芸術そのもので、そこに居るだけでも雰囲気満点でした。

館内のカフェでの休憩もちょっとプチリッチです。

Dscf0563 絵画などのすばらしさは、さておき、ポーラ美術館の駐車場に停まっていたクルマにびっくりです。ベンツやジャガーなど高級外車ばかりです。私のホンダのトルネオが一番安物です。駐車場で子供と我が家のクルマより安いクルマを探し始めました。ヴィッツやフィットを見つけて安心したところ、なんと「わ」ナンバー車でした。

新・富裕層と呼ばれる人は、こんなところで余暇を過ごすのでしょうか。

その日は御殿場の1泊2600円のブルーベリーロッジというところで宿泊。安いので期待してなかったのですが、広い敷地内に、3つの温泉、ホテル、レストラン、教会まであってステキなところでした。

温泉につかって久々にリラックス。久々に読書をしなかった1日でした。

ここの宿泊客は、新・富裕層ではなく、若い人たちのグループや大勢の家族・親戚で来ているような普通の人々でした。(何が普通かってよくわかりませんが、ポーラ美術館に来ていた人とは絶対違いました)

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2006年11月18日 (土)

アメリカの不正義

「アメリカの不正義」-レバノンから見たアラブの苦悩- 天木直人

著者の天木氏は、前駐レバノン特命全権大使で、イラク戦争を機に、本省と対立し、外務省をほとんどクビになるように追われた人です。そのイラク戦争批判から外務省批判を行った著書が「さらば外務省!」であり、ベストセラーにもなりました。

本書は、そのベストセラーとは趣を異にして、2001年2月から2003年8月まで、レバノンで過ごしたことを日記のように、穏やかな心情で述べられています。

中東情勢を勉強されている方は、トーマス・フリードマン(「レクサスとオリーブの木」や「フラット化する社会」の著者)がニューヨーク・タイムズの記者として「ベイルートからエルサレムへ」という大作を読まれた方もいらっしゃるでしょう。それを読まれた方には、少し物足りなかいかも知れませんが、フリードマンの大作を読むにはしんどいという方には読みやすい中東物です。(そもそもフリードマンの本はものすごく良い本なのですが絶版となり今や図書館でしか読めませんが)

みなさんはレバノンにどんなイメージを抱かれているでしょうか。最近は、ヒズボラとイスラエルとの戦争の戦場となってしまったニュースはご存知でしょうし、その昔、キリスト教徒やイスラム教徒との間で内戦が続いていた国というイメージをもたれていますかね。それとも、ビジネスパーソンの方なら、日産・ルノーのゴーン社長を思い出しますかね。旅行好きの人にとっては、「中東のパリ」と呼ばれて美しい街だったことをイメージされますか。

日本人にはイメージの薄い国かも知れませんが、レバノン人はきわめて親日的だそうです。報道でもイスラエルとの戦争での悲惨な状況があれば、テレビなどで見ることはあっても、それ以外ではお目にかかることは少ないと思います。特に、政府も日米同盟を基軸とした外交を展開しますので、余計に日本人の関心が少ないと思います。

レバノンの国民の大多数はシリアがレバノンを事実上支配していることを知っているそうです。そしてこれに強い憤りを持っています。しかし、シリアの仕返しをおそれて誰も公言はしないそうです。国際社会もこの異常な関係に目をつぶり続けています。レバノンの中にシリアの支援を受けたヒズボラが存在していますし、前天木大使は、ヒズボラとイスラエルの戦争をこの時期に予言しています。

レバノンというとキリスト教やイスラム教のモザイク国家でもあります。1932年フランス統治下の時代に国勢調査が行われ、キリスト教徒とイスラム教徒の比率は55対45とされました。単に2つの宗教があるというだけでなく、キリスト教ではマロン派が29%、ギリシア正教が9%、ギリシアカトリックが6%、イスラム教徒ではスンニ派が22%、シーア派が20%、ドルーズ派が7%ということになっています。そのほかにも、アルメニア正教、アルメニア旧教、ローマンカトリック、プロテスタント、アラウィ、クルド、コプトなど日本人には名前の知らない宗派が18あり、レバノンを構成しているそうです。キリスト教優位の権限配分は、32年の国勢調査によるもので、現在は、明らかにイスラム教徒の人口が明らかだそうですが、国勢調査が行われずに、このことも75年からの内戦の遠因になっています。

著者が大使をしている間に、レバノン人が折りに触れ日本を称賛し好意的な感情にあいます。それは戦後復興から世界第2位の経済大国になったことや、勤勉で優秀な国民でありこと、近代化の一方で古い伝統をよく保持していること、高い道徳性を持っていることなど、が言われるそうですが、著者もレバノン人の抱くイメージは、本当は失われつつあるんだよと思ったそうです。ただ、レバノン人が日本人に共感を覚えるのは、カミカゼだそうです。イスラエルに対してパレスチナ人は最後の手段として自爆テロで応酬していますが、これがカミカゼ精神に擬せられているようです。ヒズボラの総裁から「我々はその崇高な自己犠牲の精神から学んだ」と言われたそうです。(これは絶対に見習って欲しくないですよね)

本書は、レバノンの中での歴史教科書問題や政治の腐敗なども、レバノン国内に居る立場から、いろいろと説明してくれています。2003年12月刊行の本なので、話としては、少し古いですが、中東情勢を知る手がかりになると思います。

Book アメリカの不正義―レバノンから見たアラブの苦悩

著者:天木 直人
販売元:展望社
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2006年11月12日 (日)

最後の言葉

「最後の言葉」  川嶋あい

本ブログではめずらしい本の紹介です。若い人の間で流行っている歌手・川嶋あいの告白本です。

産みのお母さんがすぐに死んでしまい、施設で育ったこと。育ての母に引き取られ、歌手になることを夢にして、高校まで出してもらったこと、そして、そのお母さんも、著者を歌手にするために骨身を惜しんで働き、借金をして学費を工面し、歌手となって渋谷公会堂に立つ直前に、力尽きて死んでしまうことなど、あまりにも切ない本物の物語です。

この本を書くことで、売名行為などと悪口も言われているようですが、著者の真摯な気持ちが、あまりにも胸を打つし、また、著者をあたたかく見守る事務所のスタッフの心遣いも書かれていて、まさに、人間が持つ真心が溢れる本物の本です。

現在、著者は20歳ですが、10代でこの本に自分の気持ちをここまで書けたことにすら感動を覚えます。

一昨年から今年にかけて、泣ける本や映画が流行っていますが、最近、これほど心を打つ本に出会ったことはないと言っても言い過ぎではないでしょう。もし、この本を読んで泣かない人はいないと思います。

川嶋あいの物語は、GYAOでも評判となり、今やCDで朗読まで出ています。

育ての母との絆や、現在の事務所のスタッフとの心の交流など、あまりにも心の琴線に触れる話が全編にちりばめられており、生き馬の目を抜くビジネスの世界に身を置くものとして、久々に心が洗われる本だったので、是非とも紹介したく、本ブログに書きました。

うそ、いつわりなくすばらしい本です。

最後の言葉 Book 最後の言葉

著者:川嶋 あい
販売元:ダブルウィング
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核兵器保有議論

最近、中川昭一政調会長の「核保有の議論をしてもいいんじゃない」といったことで、国会でも大きな議論となりました。

野党やまして与党の中にも非核三原則を持つ日本として、議論することもままならぬという議論が始まりました。

国会の党首会談で民主党の小沢代表が、そんなことを議論するのはおかしいといいながら、自分の核保有はしないという見解をしゃべり、安倍総理に、そういうことを言うのを議論と言うんじゃないですかと、いなされていました。

北朝鮮が核実験をしたこの機会を捉えて、私は思い切り国会で議論をすればいいと思っています。想像ですが、最終的な結論としては、非核とはなると思うのですが、それはそれでいいのです。アジアの周辺国は、非核三原則を持っているからといって、おいそれと日本が核武装を絶対しないとは見てくれないでしょう。隣国が核保有した機会を逆に捉えて、海外メディアに取り上げられるように大議論をして、日本は、唯一の被爆国であり、世界に核の悲惨さを伝える必要があること、絶対に核に頼らないことを宣言してしまえば、周辺諸国に安心感や信頼感を与えられますし、世界に各軍縮のメッセージを伝えられるのではないでしょうか。

野党も中川氏の言葉尻を捉えて、攻撃したつもりなのかも知れませんが、逆に平和を願うメッセージを伝えられるチャンスとして議論をするということを考えなかったのでしょうか。安倍政権の失態をつついているつもりなのかも知れませんが、もっと視野を広くして、日本の立場を世界に伝えることを考えるべきでしょう。それが国益を優先した行動だと思うのですが。

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2006年11月11日 (土)

新・富裕層マネー

「新・富裕層マネー」  日本経済新聞社編

本書は日本金融新聞の連載企画「個人マネー・ウォーズ」を大幅に加筆されたものです。

今や日本の家計が持つ金融資産の総額は、2005年末に1500兆円を超えました。国民一人当たりにすると、1200万円強ずつ保有している計算になります。「下流社会」「格差社会」といった言葉が流行語になっていますが、格差が本当に広がっているかどうかは別としても、個人の金融資産が少しでも有利な運用先を目指し、大きなうねりになって動き始めたのは間違いありません。ゼロ金利が解除されたとはいえ、まだまだ長引くだろう超低金利と、少子高齢化で高まる将来への不安にペイオフ全面解禁が加わり、少しでも有利な運用先を求めています。バブルの負の資産の処理を進んで個人に蓄積されてきた日本で、欧米で培われた富裕層向けのプライベートバンキングが浸透する素地が広がっています。

日本にはどれだけの富裕層がいるのだろうか。野村総研の調べでは、1億円以上の資産を持っている世帯は約80万に及ぶという。細かく見ていくと、純金融資産を5億円以上も保有するスーパーリッチは6万世帯もあるという。純金融資産が1億円以上ある層の資産は163兆円とされています。ただ、お金持ち層はもっと多いという分析がある。総務省などの家計アンケートで富裕層が正直に答えていないという説もあるそうです。大口資産家が正直に回答したり、回答を拒否していることがあり、日銀の資金循環統計から1世帯当たりの貯蓄保有額を計算すると2902万円になるといいます。

ここで大前研一の1020日付のメルマガを紹介しておきます。富裕層の状況がよくわかります。

「10日、三菱UFJメリルリンチPB証券は、日本の富裕層人口が アジア8市場(日中韓印香台・シンガポール・インドネシア)の中で首位・141万人に達すると発表しました。(※ここで言う富裕層とは、純金融資産の保有額が100万ドル(約1億2000万円)以上の個人ということになります)しかし、人数こそ首位のものの、日本の伸び率は8市場の中で最も低水準で、また1人当りの平均保有資産は270万ドル(約3億2000万円)で、こちらも8市場中、7番目という状況です。首位の香港が530万ドル、2位の中国が500万ドルですから、日本の場合には富裕層と言っても、小金持ちが大勢いる状態と言ってもいいかも知れません」

三菱UFJグループには、米国メルリリンチと合弁でプライベートバンキングに取り組んでいます。他にもメガバンクが一斉に富裕層の個人をめがけて走り始めているのです。また、日本市場を好機到来と欧州系プライベートバンクの参入や事業拡大が相次いでいます。

また、上で紹介した大前のメルマガの通り、小金持ちの富裕層を対象に地域金融機関も専門チームを作ってプライベートバンキングを始めています。本書でも京都銀行の例が紹介されています。

メガバンクでは、2002年にPBの先駆者として、三菱UFJのダイヤモンドプライベートオフィスが紹介されています。当時は、東京三菱銀行、三菱信託銀行、東京海上、三菱地所など三菱グループ6社と地銀19行で設立した三菱のプライベートバンキングの橋頭堡だと紹介されます。ここでは、05年上期の金融商品の販売額は前年同期の2倍に膨らんでいるそうです。三菱UFJの幹部は、富裕層を顧客として取り込む競争は第1幕を終え、第2幕が始まったと言います。

(先日のニュースでは、旧UFJ銀行系のPBも三菱系のPBとくっつきました)

ニッポン株式会社を長く支えてきた「団塊の世代」が定年退職期に入る2007年が目前に迫り、総額50兆円といわれる退職金が個人マネー争奪戦の主戦場になりつつあります。この団塊世代をいかにつかんでいくかが、金融界の将来の勢力図まで左右する可能性すらあります。最近の証券市場の活性化の立役者であるネット証券会社も、団塊の世代を次の収益源と見ています。例えば松井証券が抱える団塊世代の顧客は4万3千人にも達しています。ライバルのカブドットコムは、60歳代以上の顧客の手数料を割り引く制度を始めています。

団塊の世代の退職金を50兆円といいますが、これは大手銀行の預金量に匹敵します。この前後の世代の退職金を加えれば退職金の総額は20兆から30兆膨らむとの資産もあります。確かに、以前よりは所得環境は厳しくなっているとはいえ、団塊世代は住宅ローンの返済を終え、子供も独立している世代が多く、いずれ退職金を手にし、お金にも時間にも余裕がある層が増えるのです。

(私事ですが、40代の私としては、給料は減るし、退職金なんてもらえるかどうかわからないのにうらやましい限りです。私は大手金融グループのある会社に勤めていますが、ホンネを言えば、自分の生活の将来がどうなるかわからない中で、富裕層のお客様を相手のサービスを考えないといけなというつらい立場です。これは中小企業で苦労をされている方が多い中で愚痴に聞こえるかも知れませんが、大手企業といっても、成果主義の名のもとに賃金格差が大きくなり、評価が下がると賃金も大きく下がりモチベーションが下がります)

さて、本書では、富裕層の取り込みの話だけでなく、少子化の中で将来の顧客をつかむための金融機関のあの手この手もたっぷり紹介されていますので面白いですよ。(私も今年の夏は、子供の夏休みの自由研究に、日経新聞がネットで実施している親子の株式教室で自分で選んだ株価をプロットするようなことをしました)

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2006年11月 7日 (火)

いじめとハインリッヒの法則

先日、四谷大塚塾の冬季講習説明のための保護者会に行ってきました。

そこで、いじめの問題にも言及されていました。

ほんの小さなこと、どんなことでもいいから塾に報告して下さいとのこと。例えば、知らないペットボトルがかばんに入っていたというようなイタズラでもなんでもいいから報告して下さいといいます。ほんの小さなことから始まって大きくなることがあるので、ささいなことでも報告してもらえれば塾として対応すると。これは全教職員に徹底してあるので、誰にでも報告や相談をしてくださいとのことでした。

みなさんは、ハインリッヒの法則をご存知ですか。労働災害の現場には、「1件の重大災害が発生する背景には、29件の軽症事故と、300件のヒヤリ、ハットがある」というものです。

製造業の現場管理をされている方なら常識ですよね。今や、製造業だけでなく、事務処理部門にも適用されていて、事務事故・事務ミスをなくすために、ヒヤリ、ハットを集めて、大きなミスになる前に早目の対策を取ろうとしています。企業人にとっては、1件の大きな事務ミスがお客様に迷惑をかけてしまうと、会社の信用に傷がつきますし、ネット時代では悪いうわさはあっと言う間に一気に広がります。

塾でも、ハインリッヒの法則で対応しようとしているのでしょうか。

でも、小学校はどうなっているのでしょうか。

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2006年11月 5日 (日)

SNS的仕事術

「SNS的仕事術」  鶴野充茂

このブログを読んでいただいている方には、何をか言わんという本かも知れませんが、少しお付き合いを。

タイトルの「SNS的仕事術」とは、著者に言わせると次の2点だと。

1.        現代はいよいよ個人が自分の名前で活躍できる時代だということ。

2.        本当に自分の名前で仕事をするためには、自分自身がしっかり自立し、自分の付加価値をきちんと発信する必要があること。

読者のみなさんは、いろいろなSNSに入っていることでしょう。私もmixiなどいくつかに入っています。SNSは人脈を広げるサイトと考えている人が多いでしょうが、著者は、少し違う見方を提示してくれます。それは、「自分の個としての特性を発信する場」というイメージです。流行の言葉で言えば「自分ブランドを確立するサイト」という感じです。つまり、SNSで関係を築くにあたって、「自分は何者か」「相手に何ができるのか」「相手にとってどういう意味を持つ人物なのですか」がはっきりしないと、リンクの意味が薄いのではないかと。「人間関係」には、単に「知っている」というレベルから「この人なしでは生きていけない」というレベルまであり、サイト上で単に「つながっていない」か「つながっている」かというゼロか一ではないと。

日々、われわれは仕事や学校で多くの人たちと出会い、知り合い、関係を築いています。すでに生活に必要な知り合いは、SNSで探さなくても十分です。にもかかわらずSNSで誰かを「探す」としたら、それは、リアルの場や日常生活の中では出会えない、あるいはなかなか見つけ出すことのできない人なのではないか、という思いが著者の問題意識の中にあるのです。

著者は、こう考えています。「なかなか出会うことのできない人」に出会うためには、その人に自分のことを「知ってもらう」「関係を持ちたいと思ってもらう」ための工夫をすべきだと。誰だか知らない、仕事のつながりもない自分に対して、忙しい時間を割いて付き合おうと思うには、意外と高いハードルがあります。そのハードルを越えるには「効果的な自分発信」しかない。SNSとはそんな発想で自分を発信する場だと考えています。

SNS的に働く、つまり自分のパーソナルな人的ネットワークをベースに仕事をする人というのはどんな人でしょうか。一言でいうと「自分の価値を高め、その価値を発信していく人」です。一般的には人脈の広い人、知り合いの多い人をイメージするかもしれません。SNSサイトの中でいえば、知り合いの「リンク数」が多い人を思い浮かべるかも知れません。しかし、最も大切なのは、どれだけ良質な「関係」を築いているかです。相手との関係の「質」を高めていくことです。そして関係の「質」を高めるには、自分から高い価値を相手に発信していく必要があるのです。

いずれにせよ、何らかの価値を生み出し、提供できる人、そしてその価値を「つながっている人たち」が認識している人に仕事で声がかかるのです。SNS的に働くということを考える上では、「誰とつながっているか」よりもむしろ、その「つながりの質」が重要であり、その「つながりの質」を高めるためには、相手ではなく、その本人が「何ができるのか」「どんな価値が提供できるのか」を突き詰めていく必要があります。

SNS的仕事術の具体的な方法のひとつとして、先ず、情報収集より、その前に情報を発信せよ!というのがあります。これまでの仕事のやり方では、まず情報を収集し、分析し、そこから絞り出した結果を決められた枠内に収めて発信をするパターンが多いと思います。SNS的な仕事の仕方としては、情報発信が先にありきです。その時点で持っている情報を発信してしまいます。発信を重ねていき、逆に情報が集まってくるようになるのです。

SNS的情報発信のコツを10個紹介してくれています。紙面の関係で省略しますが、自分のプロフィール紹介に欠かせない3つの要素として、①Portfolio・・・作品集(実績)を紹介するリンクやサイトやブログのURL、②Profile・・・何ができる人かを伝えるキーワード、③Credentials・・・知人がその人物をどのように紹介しているか。要は、「どんな活動をしてきた人なのか」「自分で自分を何者だと定義しているのか」「周りにいる人は何といっているのか」の3つをわかるようにしておくことだそうです。

でも、本書でも述べていますが、ネット上でコミュニティを作るのと同時に、是非、リアルのコミュニティも作りましょうとのこと。時間はかかるかも知れませんが、実際に顔を知っている関係ほど強いものはないですよね。忙しくても、機会を作って新しい人と出会い続けることは十分意味があるといいます。

結局、人が情報を運ぶのですよね。SNS的仕事術には、「人が最高のコンテンツである」という考え方が根底にあります。

最後に、SNS的仕事術スタイルをいかに続けていくかのポイントは無理をしないことです。とにかく、しんどいやり方は続きません。その上で、意識したいことは、周りにいる人たちにメリットを与え続けるということだそうです。

SNS的仕事術 ソーシャル・ネットワーキングで働き方を変える! Book SNS的仕事術 ソーシャル・ネットワーキングで働き方を変える!

著者:鶴野 充茂
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2006年11月 4日 (土)

今後の日本経済の見通し

10月31日に日銀の福井総裁が、記者会見に応じて、景気の先行きについて「息の長い拡大を続ける」というシナリオに自身を示しました。企業部門の好影響が家計に反映し、息の長い景気拡大が続くというものです。

私は、福井総裁の分析は基本的に正しいと思います。

ただし、現状、企業利益は好調ですが、それが家計部門にはなかなか落ちてこないのが現実だと思います。多くのお勤めの方もボーナスでちょっと実感できるところでしょうか。私の勤め先でも、毎年人件費ファンド(総人件費額)は据え置かれたままになっています。利益が上がってきたからといって、すぐに基本給のベースアップにつながる状況にないし、上げてしまえば、利益が落ちた時に、基本給を下げる軋轢を考えると、相当中長期の見通しが明るくなければできないことでしょう。

日銀も企業部門からかけ部門への波及が予想より遅れていることを認めているようです。ただ、方向性は、家計部門へ金が流れるということはほぼ間違いないとは思われます。

しかし、1点気になることがあります。福井総裁の分析に「基本的」に賛成なのですが。

マクロで見ると、日本全体の企業利益は増加していますが、増益企業数で考えると、全企業数の一部であるはずです。つまり、少数の勝ち組企業が日本全体の企業収益を押し上げているということです。日本は大企業より、中小企業が圧倒的に多く(当然、大企業、中小企業に関係なく、増益組とそうでない組に2極化していることと思いますが)、本当に日本経済全体が元気になってきたとはいえないということです。

大多数の会社が利益を出して税金に跳ね返ったり、家計部門に金が流れ個人消費が活性化するところまで行かないと本物の景気拡大とは言えないのではないでしょうか。経済構造の転換がまさに今行われている時期だと思うので、既存の業種全体が浮上するとは思えませんが、一部企業だけの増益だけでは、本物の景気回復とはいえないでしょう。

ともかく、マクロでみれば、勝ち組企業の社員が個人消費を支える先駆けとはなるでしょうが。

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2006年11月 3日 (金)

新平等社会

「新平等社会」 -「希望格差」を越えて-  山田昌弘

このブログでは、よく格差問題を取り上げています。著者の昔からのパラサイトシングルものを社会の切り口が鋭いと思いながら興味深く読んでいました。また、昨年は、「希望格差社会」もベストセラーになるとともに「希望格差」が流行語のひとつになったほどです。ただ、私が格差問題に興味を持っているのは、他人事とは思えないからです。今は普通の会社員ですが、会社の中でも格差が広がっていることを感じていますし、いつ自分がどうなってもおかしくない状況です。また、現代の問題としてではなく、自分の父も大変まじめに働き続けましたが、ずっと社会の底辺近くで暮らしながら私を大学までやってくれました。曲がりにも、私は大学卒業後、会社員となりこれまでは安定した生活ができているのです。

最近、景気の上向きとともに採用も増えてきているとは言え、非正社員になる人も多く存在しています。非正社員の生涯賃金は正社員より最大2億円少ないとされています。望まずして非正社員となった人々が道を絶たれ、非正社員と理由で評価されないなら、貴重な働き手が戦力に育たないことにもなります。

本書では、これまでの世の中の議論をよく整理しながら格差問題を著者なりに語ってくれます。私も相当、格差問題について本を読んできましたが、本書ほど、核心を突いているだろうと思った本に出会ったのは初めてです。収入などの格差は問題にすることは重要な点であり、それは数字で示され議論できますが、格差が世代間に引き継がれ、教育の場にも意欲の格差を考えないといけないことなどよく解説されています。

現在は格差を語る上ではジニ係数などの数字が議論され、所得格差などに議論が行きがちですが、著者は、格差の「質」が変化したことが問題だと言います。つまり、「日本において格差は拡大しているか」という問いは、実は、無意味なのです。実際に格差が拡大した領域もあれば(例えば、若年男性の収入)、現実に格差が縮まった領域(男女の正社員賃金格差や高齢者の所得格差)もある。正確には、「どこにどのような格差が新たに生じたか」という問いに置き換えるべきだと。

国会で格差問題が取り上げられたとき、小泉前首相が「格差があって何が悪い」といいましたが、著者はこの言葉に肯定的です。人間が自由に行動すれば、格差は必然的に生じてきます。全ての人間は同じ能力を持って生まれてくるわけではないし、育つ環境も異なるし、運や努力も影響します。だから、格差が出現すること自体はよいことでも悪いことでもないが、格差がもたらす結果については注意しなくてはならないと言います。市場に限らず、人間が自由に行動する結果として格差が生じるなら、格差の出現は避けられない。近代社会においては人間の自由性を否定することはできない。しかし、結果として出現した格差が社会的に望ましくなければ、その生じた格差を是正するように社会全体で対処しなければならない。そうしなければ、自由な活動の前提である社会の秩序が保てなくなり、かえって、自由な活動に対する反感が増すだろうと。

(中略)

格差拡大の原因は何でしょうか。政治の世界では民営化など経済改革のせいにする議論もありますし、不況がフリーターなどを作ったという考えもあります。しかし著者は、現在日本に進行している格差拡大現象は、「構造的かつ世界的」なものだと言います。その原因のひとつは1997年の金融危機をきっかけにして、日本経済、社会構造は大きな構造変化の時代に突入したこと。もうひとつは、格差拡大は、世界的な傾向であり、特に欧米の先進諸国では英米だけでなく、北欧を含めたほとんどの国で格差拡大がここ20年の間に起きているのだと。景気が良い国でも、福祉政策が充実していてもいなくても、政権がネオリベラリズムであろうと社会民主主義であろうと当初所得の経済格差が拡大しています。

現在の格差問題の解決が容易でないのは、経済格差を作り出す原因が「不当」なものではなく、むしろ、自由で民主的な社会にとって、「望ましい」とみなされることから生み出されているからです。収入の格差が生じるのは、効率的で、選択しの多い経済の結果であり、家族における格差が生じるのは、自己実現的で多様な家族が許されるようになった結果なのです。それゆえに、格差を作り出す原因と出現した格差を区別して評価する、市場による配分原理と、市場による配分成果の原則をもとにして、結果として生じた格差がどのように社会的影響を与えるかを考察しなければならないのです。

著者の真骨頂である希望格差の問題があります。

問題は、経済格差そのものにあるわけではない。更に言えば、貧困そのものにあるわけではない。一時的での大きな収入格差があっても、一時的に貧困であっても、それが、それが直接不幸をもたらすわけではない。今、生活水準が低くても、将来豊かになることが確実なら人は幸福を感じることができるに違いない。

その一つの手がかりが「希望」の社会心理学なのです。「希望とは努力が報われると思うときに生じる、絶望は努力してもしなくても同じだと思う時に生じる」という社会心理学があります。

努力が無駄だと思う機会が増えれば、絶望感が人生を支配するだろう。人々の感情は、自分の意志では持つことができないものである。希望を持てと言っても持てるものではない。そして、この希望が多くの人に分けて持たれているかどうかが、社会が活力をもち、持続可能であるかどうかの鍵であるのです。いくら一部の人が幸せに人生を送っていたとしても、同じ社会を構成する他の人間のかなりの部分が希望をもてない環境に放置されるなら、社会全体の活性は失われ、秩序は不安定になる。つまり、希望を持てなくなった状態は、本人にとって不幸であるばかりでなく、社会全体にとって大きな損失状態である。つまり、社会のあり方が、希望を持てない人を作り出してしまうなら、それは、大きな外部不経済となって、社会に跳ね返ってくる。

希望格差を3つのタイプに分けて考えると、①努力しても仕事能力が身につかず生産性が上がらない、②努力して生産性を上げても収入が増えない、③努力しても生活水準が上がらない。これが希望を失わせる要因である。ニューエコノミーは、従来のスキルアップ型の職を不要にし、大量の定型作業労働者を必要とします。現代では企業が破綻したり、人員削減したり、契約社員にする中で、社員から見れば、真面目に勤めていても、その努力が報われず、会社から放り出されてしまいます。今まで会社にいてスキルアップして会社に貢献した努力が無駄になったという希望喪失です。それをもう一度一からやり直すのは、心理的に耐え難いものです。仕事というのは、単に収入源という意味以上に、人間のプライドを構成するからです。

仕事で真面目に努力しても報われない人が多くなって来ていますが、世代間でも同様です。子供を育てても自分より上級の学校に行けるとは限らないし、自分より良い職に就けるとは限らなくなっています。結果として、勉強する子としない子の格差が拡大しています。近年学習時間の低下が見られ、かつ偏差値が低い学校ほど学校以外での勉強時間の格差が拡大、勉強する努力をあきらめる生徒が増えることがわかります。

(中略)

著者は格差をなくす方法として、底抜けにならない方法を検討しています。それは本書を読んでください。

それだけでなく、タブーとされていた女性の意識(仕事と家庭の問題とか)も書かれていますので、読みたいこと、てんこもりです。

とにかく、大推薦の本ですので、是非とも買って読んで欲しいです。

(もう少し長い文章を読んでも言い方は、こちらへ)http://plaza.rakuten.co.jp/rei123rei123rei/

新平等社会―「希望格差」を超えて Book 新平等社会―「希望格差」を超えて

著者:山田 昌弘
販売元:文藝春秋
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