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2007年4月14日 (土)

社内ブログ革命

社内ブログ革命 営業・販売・開発を変えるコミュニケーション術 Book 社内ブログ革命 営業・販売・開発を変えるコミュニケーション術

販売元:日経BP社
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「社内ブログ革命」 シックス・アパート株式会社編

会社勤めの方は、社内でどのようなコミュニケーションをとっていますか。今や昔のように仕事が終わってから飲みにいくことも少ないのではないでしょうか。若い人ほど、昔ほど飲みには行かないようなきがします。また、年々、仕事は忙しくなって、仕事が終わって飲みに行く時間も取れません。
オフィスのビル内でも昔は給湯室などでタバコを吸う人同士がコミュニケーションをとっていましたが、今や喫煙室がビル内に1箇所か2箇所で、そこにいるのも5分とか10分とかと規則が作られている会社もあるのではないでしょうか。
私など、メールや電話で連絡して仕事をしている社内の人の顔も知らない人がいますし、まして、オフィス内ですれ違う社員の名前も所属部署も知らない人のほうが多い始末です。
あまりにも個人的なつながりがないので、仕事も事務的なものになってしまいがちで、もう一歩コミュニケーションが深まれば、仕事のアイデアもお互いの会話の中からレベルアップできるのではないかと思ったりしています。
特に会議など対面での場面では、相手を知っているかどうかで、一歩つっこんだ話ができるとか、ちょっとした無駄話からつながりが出来て、別の場面で情報交換ができることがあると思うのですが。
経営者の米国を真似した成果主義の導入にも、社内コミュニケーション不足が起こっている原因かも知れませんね。

現代の企業に失われたものが「インフォーマルなコミュニケーションの場」ということで、本書では「社内ブログ」を使い、企業の活性化の図り方を提案してくれています。それもユニクロや日本オラクル、カシオで実施されている社内ブログを例にとり説明してくれています。

失われていったインフォーマルな場とは、形式張らない、ざっくばらんな雑談のようなもので、仕事を進める上で最低限必要な業務連絡とは対極にあるものです。その消えていったインフォーマルなコミュニケーションが果たしていた役割とは、「創造」「連帯」「ガス抜き」の3つであるといいます。

非定型な情報はアイデアの宝庫であり、アイデアの貯金箱だともいえます。ユニクロでは、アルバイトも店で感じたことをブログにアップしたり、携帯から成功した商品の並べ方の写真をアップしたりして、社内全員で共有し、役員会でも当然意志決定にも使われます。

アイデアだけでなく、ガス抜きのためのタバコ部屋的なブログにしろ、多くのいろいろな人が集まる会社内では、本当にみんながブログを書いてくれるのか。
まして、ますます忙しくなっていくときにブログを書く時間が取れるのか、就業時間内に書いて、逆に業務に支障がでないのかなど問題山積だと思います。
本書では、実施企業の事例を挙げながら示してくれています。
しかし、自分の会社でどうしたら実現できるのだろうかとは考え込んでしまいます。社内ブログだけの話だけが問題ではなく、何でも同じですが、あとは、自分で自社にどう適用するのか、自社の問題は何か、必要なものは何かなどは当然自分で考えないといけないでしょう。

私は、付加価値を求められる時代であるからこそ衆知を集められるような仕組み、仕掛けが必要だと思います。かつて、ナレッジマネジメントが流行ったことがありましたが、ネットやブログの発達により、今こそ可能となってきていると思います。社内融和やKMを考える人には、本書は読んでもいいのではないでしょうか。

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2007年4月 7日 (土)

心にナイフをしのばせて

心にナイフをしのばせて Book 心にナイフをしのばせて

著者:奥野 修司
販売元:文藝春秋
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「心にナイフをしのばせて」 奥野修司

本書は、被害者と加害者の人生を描くことにより、被害者の保護が、加害者の救済に比べていかに劣っているかをいやというほど示してくれているノンフィクションです。
舞台は、1969年の春、今や横浜では中学受験では御三家に次ぐ進学校のサレジオ学園です。
一人の高校生が同級生にナイフでずたずたにされたあげく、首まで切り落とされて殺されました。
その後の被害者の家族は悲惨な運命をたどります。母親は、精神的におかしくなっていましい、著者が母親に取材しても、息子が死んで以降の1、2年の期間の記憶が無くなっているのです。それもそのはず、妹に取材をすると母親は葬式や法事では気を失ってしまい、違う人格が現れたり、何年も寝込んでいたりしていたのです。
当然、家庭は崩壊状態で、妹も手首を切ったり、50代になった今でもPTSDに悩みます。
当時の未成年の犯罪では殺人であっても少年院に2年も入れば、あとは何もなかったことになっていたのです。一人の命を奪った少年は、少年院で国家から無償の教育を受け、少年院を退院したあとも最高学府に入って弁護士になります。
一方、わが子を奪われた母親は、今や年金でかろうじてその日暮らしをしている。事件当時、慰謝料700万を殺人犯の親が支払うことになっていましたが、40万払っただけで、あとは払っていません。弁護士になった殺人犯は、法的にも親の支払うべき慰謝料を払う義務はないので、払うつもりもありません。まして、少年院で罪を償ったので、被害者に謝罪の言葉もありません。
30年以上が経過しても被害者は、今もあの事件を引きずっていますし、きっと生涯癒されない日々を過ごすのでしょう。

国家は犯罪者の更正にはコストをかけています。つまり税金を投入しているのですが、犯罪被害者のケアにはあまりにも知らん顔です。

著者がとりわけ驚かされたことは、母娘とも加害者を恨んでいなかったことだといいます。恨まなかったのは、自分たちの家族を回復させ、本来の姿を取り戻すことに精一杯で、加害者を恨む余裕が無かったためだと知ったとき、あらためて事件のすさまじい破壊力を知らされたといいます。

今、弁護士になっている犯罪者は、少年院で償いは済ませたといいますが、本当に更正したというのは、被害者家族に心から詫びたときではないでしょうか。

著者が弁護士を探し出し、被害者の母がその弁護士に電話をかけたときに、金に困っているのなら、50万なら貸してやるから、印鑑証明と実印を用意しとけと言い放ちます。それより、自分の親が払えなかった慰謝料を代わって払わせていただきますというのがせめても人間としての言葉でしょう。

殺人者は国が税金をかけて世に送り出し、殺人者を更正させたことにして、せっせと金儲けに励んでいるのに、被害者家族は今も苦しんでいる。
税金のかけ方を間違っているのではないでしょうか。

重苦しい気持ちの残る一冊でした。でも知っておくべき書であることは確かですし、多くの人に読んでもらいたいと思います。

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2007年4月 4日 (水)

ハイコンセプト

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代 Book ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

著者:ダニエル・ピンク
販売元:三笠書房
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「ハイコンセプト」  ダニエル・ピンク

「アメリカでは、この本に書いてあることが業界を超えて大きなうねりになっている。日本も例外ではない!」と宣伝されています。
ざっくり言えば、左脳だけの論理ではなく、これからの時代は右脳の感性も必要だということです。
アメリカ人にとっては、新鮮なことかも知れませんが、ひょっとすると本書を読んだ多くの日本人にとっては、今までやっていたことが書かれているのかも知れません。どちらかというと、右脳主義の日本人が、欧米のように左脳的な論理を学べと言われていたように思いますが、アメリカ人自らが、これからはハイタッチなサービスが必要だと言い出したようです。
副題も情報化社会からコンセプチュアル社会へとなっています。日本でも精神性などが逆輸入されているようですが、少し昔の日本人の生き方が見直されたという感じです。

著者の現状認識を見ていくことにしましょう。
先ず、第1の波(農耕社会)は、アルゼンチンやオーストラリアが圧倒的に強い。日本のように農産物輸入を規制しているところは、農民も何とか食べているが、それは納税者の犠牲の上に成り立っており、早晩持ちこたえられなくなる。
第2の波(産業社会)は、世界の生産基地となった中国が持っていってしまう。
そして第3の波(情報化社会)は、インドが世界のメイン舞台だ。これに中欧、アイルランド、オランダ、フィリピン、モーリシャス、マレーシアといった意外な国々が続いている。
我々はどうしたらいいのか。第4の波である。情報化社会からコンセプチュアルな社会、既成概念にとらわれずに新しい視点から物事を捉え、新しい意味づけをしていくという流れだ。国家や自治体より、企業よりも個人が富を生み出す時代であると。
著者は、そういう突出した個人は6つの感性が重要であり、それを磨かないといけないとうことを言います。
6つの感性(センス)とは、「デザイン」(機能だけでなくデザイン)、「物語」(議論より物語り)、「調和」(個別よりも全体のシンフォニー)、「共感」(論理ではなく共感)、「遊び」(まじめだけでなく遊び心)、「生きがい」(モノよりも生きがい)です。
特にアメリカでは、極めて分析的に社会生活を捉える思考やアプローチが体制を占めていました。MBAなどがそうです。高い教育を受けた情報処理技術者や専門知識を身につけた人など「ナレッジ・ワーカー」の時代でした。
しかし、私たちは今、新たな時代を迎えようとしています。その新しい時代を動かしていく力は、これまでとは違った新しい思考のアプローチであり、そこで重要になるのが「ハイコンセプト」「ハイタッチ」なのです。

著者は、読者に今の仕事をこのまま続けてよいかどうかのチェックポイントとして、次のように自ら問いかけようといいます。
1. 他の国なら、これをもっと安くやれるだろうか。
2. コンピュータなら、これをもっとうまく、早くやれるだろうか。
3. 自分の提供しているものは、この豊かな時代の中でも需要があるだろうか。

1と2の答えがYES、あるいは、3がNOなら、あなたが抱える問題は深刻ですよと。
今の時代を生き延びられるかどうかは、対価の安い海外のナレッジ・ワーカーや、高速処理のコンピュータにもできない仕事をやれるか、そして豊かな時代における非物質的で解しがたい潜在的欲求を満足させられるかどうかにかかっている。だから、もはやハイテクだけでは不十分なのだと。
大いに発展したハイテク力を、「ハイコンセプト」と「ハイタッチ」で補完する必要がある。ハイコンセプトとは、芸術的・感情的な美を創造する能力、パターンやチャンスを見出す能力、相手を満足する能力、見たところ関連性のないアイデアを組み合わせて斬新な新しいものを生み出す能力などである。ハイタッチとは、他人と共感する能力、人間関係の機微を感じ取れる能力、自分自身の中に歓びを見出し、他人にもその手助けをしてやれる能力、ありふれた日常生活の向こうに目的と意義を追求できる能力などである。

著者は、コンセプトの時代の幕は開きつつあり、生き延びるためには著者が説明したようなハイコンセプト、ハイタッチな能力を身につけなければならないことは明らかだといいます。

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