2009年1月 6日 (火)

セキュリティはなぜやぶられたのか

セキュリティはなぜやぶられたのかBookセキュリティはなぜやぶられたのか

著者:ブルース・シュナイアー
販売元:日経BP社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「セキュリティはなぜやぶられたか」 ブルース・シュナイアー

信頼を託された人々なしで機能できるセキュリティシステムなど存在しない。運用には人手がいることが多いし、自動システムであっても、設置や保守をする人や故障時に修理する人など信頼を託された人々が必要である。

信頼を託す人々に裏切られないためには、三つの方法を実施する。(機械でも同じ)
第一、 信頼が必要なポジションには、できるだけ信頼できる人を置く。特に信頼が必要なところには特に注意する。
第二、 区画化である。信頼とは白と黒に分けられるものではない。つまり、ある人を信頼するかしないかという問題ではない。均質でもない。つまり、信頼を託す人々は、全員を同じ意味、同じレベルで信頼しなければならないわけではない。言い換えると、部分的な信頼とすればセキュリティは高められる。各人の作業に必要な情報とアクセス、権限を与えるのだ。
第三、 多層防御である。与える信頼範囲が重なりあうようにして、信頼を託された人同士が監視しあうようにすればよい。


セキュリティシステムにおいて、人は要である。対策を実施する役目を担うのも信頼を託された人々なら、人に代わって同じ対策を実施するように設計された信頼できるシステムを管理するのも信頼された人々である。このときの基本的な方針は、実行に必要な能力と権限、ツールを与えると同時に、その権限が乱用されないように定期的に監査を行うことである。

人を技術で置き換えると、人がもつ創造性や創意工夫、適応力が利用できなくなる。人間がすることに制限を加え過ぎると、人は無気力となり、同じ状況が生まれる。技術側では、人とその行動を非現実的なほどに理想化してしまう傾向がある。人は同じことしかしない、するはずのことを必ずして、するはずのないことはしないと仮定してしまうのだ。しかし、実際には、そんな一定の行動を人がするはずがない。同時に、そんなに融通が利かないこともない。技術的な対策は剛性が高く、障害がおきると大変なことになることが多い。

すぐれたセキュリティも技術を利用するが、その中心には人がいる。すぐれたセキュリティシステムとは人が持つ価値を最大限に引き出し、同時に、人につきものの脆弱性をなるべく抑ええるように設計されたものである。人は機転が利き、新しい脅威や状況に対処する力を技術では実現不可能なほど持つ。ある種の間違いは機械より多いかもしれないが、攻撃へ臨機応変に対処できるのは人間だけである。

ステップ1 「守るべき資産は何か」
これは、検討対象のシステムを明確にするきわめて重要な質問。
なお、大事なのが物理的資産でなく、その機能であることも多い点を忘れないように。

ステップ2 「その資産はどのようなリスクにさらされておるか」
この質問に答えれば、資産が直面する脅威を把握できる。そのためには、攻撃者とその目的について考え、その目的を達成するためどのような攻撃を仕掛けてくるかを考える。リスクを把握するためには、各種の脅威が起きる確率と起きた時の影響を明らかにしなければならない。

ステップ3 「セキュリティ対策によって、リスクはどれだけ低下するのか」
この質問に答えるためには、対策がリスクから資産をどのように保護してくれるのかを理解するだけでなく、さらに対策が失敗したとき何がおきるのかを把握しなければならない。
(この質問に答えるのは難しい。きちんと答えられるならセキュリティの本質がわかってきたといえる)

ステップ4 「セキュリティ対策によって、どのようなリスクがもたらされるか」
この質問に答えるためには、その対策が他の対策とどのように影響しあうかを理解すると共に、その対策を含む全体の中でどのように機能するのかを理解する必要がある。新たなリスクを生み出さないセキュリティ対策はほとんどなく、そのリスクを正しく把握することが大切。

ステップ5 「対策にはどれほどのコストとどのようなトレードオフが付随するか」
この質問に答えるためには、その対策がセキュリティ以外の事柄とどのように影響しあうのかを理解する必要がある。対策は、守る資産の機能に必ず影響を与える。他のシステムにも影響を与える。対策にはコストがつきものである。お金という意味だけでなく、利便性や使い勝手、自由度などのコストが発生することがある。トレードオフによってセキュリティが上下するとは限らないが、セキュリティよりトレードオフの方が大事なことも多い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月21日 (日)

情報革命バブルの崩壊

情報革命バブルの崩壊情報革命バブルの崩壊

販売元:楽天ブックス
楽天市場で詳細を確認する

ネット絡みの本であり、崩壊という言葉から技術についても書かれているのかと思いきや、ネットの内容やあり方について、まっとうな正論が書かれている本である。

初っ端の章から、「本当に新聞はネットによって読者を奪われたのか」のタイトルどおり、世間では結構疑うことなく、ネットで若者は新聞も読まないでネットでニュースをみるのだろうと思っていたりしますが、新聞社は膨大な量の情報を毎日誰に届けて、誰がどこを読んでくれるのか調べているのかと問います。まさに、新聞社は、無理やり販売店が売っているだけで読者が何を求め、何を気に入って読んでくれているのか調べていない気がします。いったい、新聞って何をしようとしているのでしょうか、売上が落ちているのはネットのせいなのでしょうか?検証していますか。本当は、きちんとターゲットにふさわしい情報を届けていないのかも知れません。ネットでは何でも乗っているといいながら、新聞って毎日、相当量の読み切れないくらいの情報量のはずです。

最終章では、ネットの無料コンテンツに対して、まっとうな異議を唱えます。確かに無料で映像配信だとかはネットのインフラに乗っていて、そのインフラを維持する会社が結局資金を出しているのですから、やはりコストはいつまでもかからないことはないですよね。なぜか、ネットは無料だと思い込んでいますが、そんなことありえないですのもね。

引用します。
「結局、新自由主義だの平和の配当だのと言われ、空前の金余りの結果、ハイテク産業という投資家に夢を見させる産業がフロンティアとして資金を集めて技術開発を先行させた。その高い技術を無料でユーザーに使わせなければビジネスモデルが組めない、というのは、市場に資金が余っているからこそ可能なことである。」

「無料文化というネットにカネを払わないユーザー優先の世界ができたはいいがそれを支えていたのは世界の金余りであって、ユーザーの誰もがお金を払わず、ただ安いインフラ代金程度で未来永劫ネットが成長していくわけがない。つまりはユーザーが株価の下落や景況の大幅悪化、バブル市場に従事した金融業者の破綻のためにに税金を入れるというような、痛みとなって跳ね返ることになるのだ。」

そうそう、いつまでもただでいられることはないよね。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年9月11日 (木)

「子どものうつ」に気づけない!

「子どものうつ」に気づけない!―医者だから言えること親にしかできないことBook「子どものうつ」に気づけない!―医者だから言えること親にしかできないこと

著者:傳田 健三
販売元:佼成出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

1.子どものうつはどんな病気なのか

中核症状としては7つ

身体症状

睡眠障害(途中で目が覚める、朝早く目が覚める。ときに過眠)
寝つきは比較的よいが、途中覚醒や朝早く目が覚めるが、それでいて朝はなかなか起きられない。

②食欲障害(食欲がない。体重減少)
食欲が低下し、成長期にもかかわらず、体重が減少する。

③日内変動(朝の調子が悪く、夕方から楽になる)
朝の調子が悪くて起床することができず、昼ごろまで布団の中でゴロゴロして起き出せない。夕方から夜にかけていくぶん楽になる。夜には、テレビのお笑い番組を見ながら笑っていたりできる。

④身体のだるさ(身体が重く、疲れやすい)
特に運動をしているわけでもないのに、疲れやすく身体のだるさを訴える。

精神症状
⑤興味・関心の喪失(好きなことが楽しめない)

⑥意欲・気力の減退(気力が出ず、何事もおっくう)

⑦集中力の低下(集中できず、頭が働かない)

2次症状として、無力感、劣等感、自責感、罪悪感、自信喪失など

上記の中でも、睡眠障害と食欲障害には特に注意。睡眠と食欲は人間が生きていく上で最も基本的な機能である。(うつは精神というより、身体の病気と考えた方がよいかも) 

うつには、きっかけがある。嫌なことだけでなく、願っていた事態になってもうつになる。むしろ環境の変化があったときにうつになりやすい。環境の変化があったとき、人間は頑張り過ぎてしまうことが多い。皆から期待される状況になったりすると、まじめで責任感の強い人は、ついオーバーワークになってしまうもの。

2.子どもへの対応

①両親で何度もじっくり話し合う。

②適度な反省は必要だが、必要以上に自分たちを責めない。原因をしすぎない。

③これから何をすべきかを考える。

④誰かに相談する。一人であるいは両親でのみ問題を抱え込まない。

⑤相談機関の医師、カウンセラー、相談員などと信頼関係を築き、情報を交換し合って、協力していく。父親もできる限り相談機関に行く。

⑥子供の立場になって考える。
(大人の立場で環境を変えようとし、大人としてできることを考えてしまう。また、大人になると子ども時代のことをすっかり忘れてしまうのかも知れない。一度考え方をすっかり変えて、今子どもはどんな気持ちなのか、なぜ子どもはそのような行動をとってしまうのかを、子どもの立場で考えよう)

⑦子どものよいところ、プラスの側面を見る。子どもが現在できている部分を評価する。
(子どものよいところ、症状や問題行動のプラスの側面に焦点をあててみる。学校に通っていなくても、自分の好きなことができているのであれば、自分がこれから本当にしたいことを探しているのだと考えて少し見守ってあげましょう。)

⑧子どもが思春期に達したら、これまでの対応を改め、一人の人格として尊重する。

⑨最終的には、自分たち両親が対応し、自分たちが支え、自分たちが状況を変え、自分たちが変わっていくしかないのだと腹をくくる。自分たちがキーパーソンであると認識する。

⑩すべてを一気に変えることは考えない。小さな変化を大事にする。今、ここからできることから始める。

【親子の合い言葉】
(1)3つの「あ」
「あせらず」「あわてず」「あきらめず」
少し良くなったからといって、あせってはいけない。はやる気持ちを気持を抑えて、自分のペースをつかむまでじっくりかまえ、完璧にやろうとしないこと。そして、自分のできることから少しずつはじめて、決してあきらめないこと。

(2)「今、ここから、できることから始めよう」
一度歯車が狂い始めると、なかなかもとの状態に回復させることは困難。不登校などを一気に解決はでいない。
また、物事を完璧にこなさなければ気が済まない性格の人や几帳面な人は、どうせやり直すのであれば初めから完璧にやりたいと願うもの。しかし、長く不登校が続いている人が突然登校できるようになり、朝から夕方まで教室で授業を受けられるようになることは残念ながらめったにない。完璧にやろうと思えば思うほど、完璧にやる自信がなくなり、結局すべてをあきらめてしまうという悪循環に陥ってしまう。
そのようなとき、とりあえず身の回りのできることから始めてみることです。

(3)「ジャマイカ」療法
こころの病気が快復したとき、皆さんが同じように言う言葉があります。「まっ、いいか」と思えるようになったということです。
これまでなんでも完璧にやらなければならない人が疲れ果て疲労困憊になって精神科を受診し、治療の中で回復と再発を繰り返しながら、少しずつ自分が見えてきて現実に気づくようになってきます。そんあときに、「まっ、いいか」とふと思うのだと言います。
これは、決して否定的な考え方ではありません。勉強も仕事も自分ができる範囲でやるしかありません。すべてを自分だけで背負いこもうとしても限界があります。世の中に完璧ということはありません。自分のできることをできる範囲で着実にこなしていこう―そう考えられるということは、現実にきちんと向き合い、乗り越える準備ができたということなのです。
「ジャマイカ」「ジャマイカ」「じゃまいか」「じゃ、まいーか」「じゃ、まっ、いいか」。これを「ジャマイカ療法」と呼ぶのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月14日 (土)

社内ブログ革命

社内ブログ革命 営業・販売・開発を変えるコミュニケーション術 Book 社内ブログ革命 営業・販売・開発を変えるコミュニケーション術

販売元:日経BP社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


「社内ブログ革命」 シックス・アパート株式会社編

会社勤めの方は、社内でどのようなコミュニケーションをとっていますか。今や昔のように仕事が終わってから飲みにいくことも少ないのではないでしょうか。若い人ほど、昔ほど飲みには行かないようなきがします。また、年々、仕事は忙しくなって、仕事が終わって飲みに行く時間も取れません。
オフィスのビル内でも昔は給湯室などでタバコを吸う人同士がコミュニケーションをとっていましたが、今や喫煙室がビル内に1箇所か2箇所で、そこにいるのも5分とか10分とかと規則が作られている会社もあるのではないでしょうか。
私など、メールや電話で連絡して仕事をしている社内の人の顔も知らない人がいますし、まして、オフィス内ですれ違う社員の名前も所属部署も知らない人のほうが多い始末です。
あまりにも個人的なつながりがないので、仕事も事務的なものになってしまいがちで、もう一歩コミュニケーションが深まれば、仕事のアイデアもお互いの会話の中からレベルアップできるのではないかと思ったりしています。
特に会議など対面での場面では、相手を知っているかどうかで、一歩つっこんだ話ができるとか、ちょっとした無駄話からつながりが出来て、別の場面で情報交換ができることがあると思うのですが。
経営者の米国を真似した成果主義の導入にも、社内コミュニケーション不足が起こっている原因かも知れませんね。

現代の企業に失われたものが「インフォーマルなコミュニケーションの場」ということで、本書では「社内ブログ」を使い、企業の活性化の図り方を提案してくれています。それもユニクロや日本オラクル、カシオで実施されている社内ブログを例にとり説明してくれています。

失われていったインフォーマルな場とは、形式張らない、ざっくばらんな雑談のようなもので、仕事を進める上で最低限必要な業務連絡とは対極にあるものです。その消えていったインフォーマルなコミュニケーションが果たしていた役割とは、「創造」「連帯」「ガス抜き」の3つであるといいます。

非定型な情報はアイデアの宝庫であり、アイデアの貯金箱だともいえます。ユニクロでは、アルバイトも店で感じたことをブログにアップしたり、携帯から成功した商品の並べ方の写真をアップしたりして、社内全員で共有し、役員会でも当然意志決定にも使われます。

アイデアだけでなく、ガス抜きのためのタバコ部屋的なブログにしろ、多くのいろいろな人が集まる会社内では、本当にみんながブログを書いてくれるのか。
まして、ますます忙しくなっていくときにブログを書く時間が取れるのか、就業時間内に書いて、逆に業務に支障がでないのかなど問題山積だと思います。
本書では、実施企業の事例を挙げながら示してくれています。
しかし、自分の会社でどうしたら実現できるのだろうかとは考え込んでしまいます。社内ブログだけの話だけが問題ではなく、何でも同じですが、あとは、自分で自社にどう適用するのか、自社の問題は何か、必要なものは何かなどは当然自分で考えないといけないでしょう。

私は、付加価値を求められる時代であるからこそ衆知を集められるような仕組み、仕掛けが必要だと思います。かつて、ナレッジマネジメントが流行ったことがありましたが、ネットやブログの発達により、今こそ可能となってきていると思います。社内融和やKMを考える人には、本書は読んでもいいのではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月 7日 (土)

心にナイフをしのばせて

心にナイフをしのばせて Book 心にナイフをしのばせて

著者:奥野 修司
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する


「心にナイフをしのばせて」 奥野修司

本書は、被害者と加害者の人生を描くことにより、被害者の保護が、加害者の救済に比べていかに劣っているかをいやというほど示してくれているノンフィクションです。
舞台は、1969年の春、今や横浜では中学受験では御三家に次ぐ進学校のサレジオ学園です。
一人の高校生が同級生にナイフでずたずたにされたあげく、首まで切り落とされて殺されました。
その後の被害者の家族は悲惨な運命をたどります。母親は、精神的におかしくなっていましい、著者が母親に取材しても、息子が死んで以降の1、2年の期間の記憶が無くなっているのです。それもそのはず、妹に取材をすると母親は葬式や法事では気を失ってしまい、違う人格が現れたり、何年も寝込んでいたりしていたのです。
当然、家庭は崩壊状態で、妹も手首を切ったり、50代になった今でもPTSDに悩みます。
当時の未成年の犯罪では殺人であっても少年院に2年も入れば、あとは何もなかったことになっていたのです。一人の命を奪った少年は、少年院で国家から無償の教育を受け、少年院を退院したあとも最高学府に入って弁護士になります。
一方、わが子を奪われた母親は、今や年金でかろうじてその日暮らしをしている。事件当時、慰謝料700万を殺人犯の親が支払うことになっていましたが、40万払っただけで、あとは払っていません。弁護士になった殺人犯は、法的にも親の支払うべき慰謝料を払う義務はないので、払うつもりもありません。まして、少年院で罪を償ったので、被害者に謝罪の言葉もありません。
30年以上が経過しても被害者は、今もあの事件を引きずっていますし、きっと生涯癒されない日々を過ごすのでしょう。

国家は犯罪者の更正にはコストをかけています。つまり税金を投入しているのですが、犯罪被害者のケアにはあまりにも知らん顔です。

著者がとりわけ驚かされたことは、母娘とも加害者を恨んでいなかったことだといいます。恨まなかったのは、自分たちの家族を回復させ、本来の姿を取り戻すことに精一杯で、加害者を恨む余裕が無かったためだと知ったとき、あらためて事件のすさまじい破壊力を知らされたといいます。

今、弁護士になっている犯罪者は、少年院で償いは済ませたといいますが、本当に更正したというのは、被害者家族に心から詫びたときではないでしょうか。

著者が弁護士を探し出し、被害者の母がその弁護士に電話をかけたときに、金に困っているのなら、50万なら貸してやるから、印鑑証明と実印を用意しとけと言い放ちます。それより、自分の親が払えなかった慰謝料を代わって払わせていただきますというのがせめても人間としての言葉でしょう。

殺人者は国が税金をかけて世に送り出し、殺人者を更正させたことにして、せっせと金儲けに励んでいるのに、被害者家族は今も苦しんでいる。
税金のかけ方を間違っているのではないでしょうか。

重苦しい気持ちの残る一冊でした。でも知っておくべき書であることは確かですし、多くの人に読んでもらいたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月 4日 (水)

ハイコンセプト

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代 Book ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

著者:ダニエル・ピンク
販売元:三笠書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

「ハイコンセプト」  ダニエル・ピンク

「アメリカでは、この本に書いてあることが業界を超えて大きなうねりになっている。日本も例外ではない!」と宣伝されています。
ざっくり言えば、左脳だけの論理ではなく、これからの時代は右脳の感性も必要だということです。
アメリカ人にとっては、新鮮なことかも知れませんが、ひょっとすると本書を読んだ多くの日本人にとっては、今までやっていたことが書かれているのかも知れません。どちらかというと、右脳主義の日本人が、欧米のように左脳的な論理を学べと言われていたように思いますが、アメリカ人自らが、これからはハイタッチなサービスが必要だと言い出したようです。
副題も情報化社会からコンセプチュアル社会へとなっています。日本でも精神性などが逆輸入されているようですが、少し昔の日本人の生き方が見直されたという感じです。

著者の現状認識を見ていくことにしましょう。
先ず、第1の波(農耕社会)は、アルゼンチンやオーストラリアが圧倒的に強い。日本のように農産物輸入を規制しているところは、農民も何とか食べているが、それは納税者の犠牲の上に成り立っており、早晩持ちこたえられなくなる。
第2の波(産業社会)は、世界の生産基地となった中国が持っていってしまう。
そして第3の波(情報化社会)は、インドが世界のメイン舞台だ。これに中欧、アイルランド、オランダ、フィリピン、モーリシャス、マレーシアといった意外な国々が続いている。
我々はどうしたらいいのか。第4の波である。情報化社会からコンセプチュアルな社会、既成概念にとらわれずに新しい視点から物事を捉え、新しい意味づけをしていくという流れだ。国家や自治体より、企業よりも個人が富を生み出す時代であると。
著者は、そういう突出した個人は6つの感性が重要であり、それを磨かないといけないとうことを言います。
6つの感性(センス)とは、「デザイン」(機能だけでなくデザイン)、「物語」(議論より物語り)、「調和」(個別よりも全体のシンフォニー)、「共感」(論理ではなく共感)、「遊び」(まじめだけでなく遊び心)、「生きがい」(モノよりも生きがい)です。
特にアメリカでは、極めて分析的に社会生活を捉える思考やアプローチが体制を占めていました。MBAなどがそうです。高い教育を受けた情報処理技術者や専門知識を身につけた人など「ナレッジ・ワーカー」の時代でした。
しかし、私たちは今、新たな時代を迎えようとしています。その新しい時代を動かしていく力は、これまでとは違った新しい思考のアプローチであり、そこで重要になるのが「ハイコンセプト」「ハイタッチ」なのです。

著者は、読者に今の仕事をこのまま続けてよいかどうかのチェックポイントとして、次のように自ら問いかけようといいます。
1. 他の国なら、これをもっと安くやれるだろうか。
2. コンピュータなら、これをもっとうまく、早くやれるだろうか。
3. 自分の提供しているものは、この豊かな時代の中でも需要があるだろうか。

1と2の答えがYES、あるいは、3がNOなら、あなたが抱える問題は深刻ですよと。
今の時代を生き延びられるかどうかは、対価の安い海外のナレッジ・ワーカーや、高速処理のコンピュータにもできない仕事をやれるか、そして豊かな時代における非物質的で解しがたい潜在的欲求を満足させられるかどうかにかかっている。だから、もはやハイテクだけでは不十分なのだと。
大いに発展したハイテク力を、「ハイコンセプト」と「ハイタッチ」で補完する必要がある。ハイコンセプトとは、芸術的・感情的な美を創造する能力、パターンやチャンスを見出す能力、相手を満足する能力、見たところ関連性のないアイデアを組み合わせて斬新な新しいものを生み出す能力などである。ハイタッチとは、他人と共感する能力、人間関係の機微を感じ取れる能力、自分自身の中に歓びを見出し、他人にもその手助けをしてやれる能力、ありふれた日常生活の向こうに目的と意義を追求できる能力などである。

著者は、コンセプトの時代の幕は開きつつあり、生き延びるためには著者が説明したようなハイコンセプト、ハイタッチな能力を身につけなければならないことは明らかだといいます。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年3月25日 (日)

これから何が起こるのか

「これから何が起こるのか」  田坂広志

先ず、言います。これは読むべき本です。田坂氏の本は、どれもいつも時代を正確に捉えていると思います。本書もIT革命やウェブ2.0革命によって世の中がどう変わり、我々はどう生きるのかを教えてくれます。
ウェブ2.0などのキャッチフレーズに踊らされず、その本質を説いていきます。

「情報革命」とは、「情報技術」の革命ではありません。「情報革命」とは「情報のあり方」の革命のことです。ウェブ2.0革命といわれているものは、先ず、情報革命を大きく進化させていきます。そして、その情報革命の進化は、次いで、「市場」「消費者」「企業」「ビジネス」「商品」「サービス」「戦略」「マネジメント」「知識」「資本」など「資本主義の基本要素」と呼ばれているものを、それぞれ進化させます。
しかも、資本主義が変わるだけでなく、「政治」「社会」「経済」「文化」のあり方そのものを根本的に変えていきます。
その結果、我々の「働き方」と「生き方」が変わります・

情報革命の本質とは何でしょうか。それは情報主権の移行のことです。それはこれまで世の中で「情報の主導権」を持たなかった「情報弱者」がその主導権を手にする「権力の移行」が起こっているのです。

ネット革命は社会の隅々で3つの革命を起こしています。
第1は、情報バリアフリー革命。これまで世の中に存在した様々な「情報のバリア」が壊され、誰でも手軽に、欲しい情報を入手できるようになる革命です。
第2は、草の根メディア革命。世の中には草の根メディアと呼ぶべきものが数多く生まれ、誰でも手軽に自分のメッセージを発信できるようになっていく革命です。(このブログもそのひとつでしょうか)
第3はナレッジ共有革命です。単なるデータのレベルの情報だけでなく、高度な「ナレッジ」(知識)レベルの情報が多くの人々の共有できるようになっていく革命です。

また、2000年頃から始まったブロードバンド革命はいかなる革命だったのでしょうか。それは3つの壁を打ち破りました。
上記で書いた3つの革命には大きな壁が存在していました、それをブロードバンド革命が打ち破ったのです。
第1が通信料金の壁です。常時接続と定額料金が当たり前になった今としてはわかりやすいでしょう。
第2が機器操作の壁です。ブロードバンド革命とともに普及した携帯電話やPDAなどの携帯端末が機器操作の壁を打ち壊しました。今やケータイからインターネットに接続するぞという意識は無いでしょう。
第3は文字情報の壁です。ナローバンドの時代は文字情報しか共有できませんでしたが、写真や画像などの情報はデータが重いため、自由に共有はできませんでしたが、今や、音楽や映像まで共有できています。
これらによって、ウェブ2.0革命への道が切り拓かれました。

では、ウェブ2.0革命は何をもたらすのでしょう。
まず、「衆知創発」への革命と進化しています。誰でも多くの人々の知恵を集め、新たな知恵の創発を促すことができるようになります。これには集合知への信頼があります。一人の専門家の知識より多くの人々の知恵を集める方が正しい答えに到達できるという考えです。昔から衆知を集めるという方法は誰もが納得する方法であったことは確かでしたが、その手段がウェブ2.0によって提供されたことになります。
また、ウェブ2.0革命は、主客融合の革命へと進化します。主客融合とは、生産者と消費者、企業と顧客、情報発信者と受信者が一体化し融合し区別がつかなくなっていくことです。草の根メディアが単なる情報発信から協働作業へと深まっていくからです。アルビン・トフラーが言っていたプロシューマ型開発が明確なビジネスモデルと進化してきました。
さらに、生産者主導から消費者主導へ、消費者中心への開発に変わって来ています。

さて、ナレッジ共有革命はウェブ2.0によってどう変化するのでしょう。
感性共有の革命へと進化しています。ウェブ2.0は単に数字や文字だけでなく、音声や音響、音楽、写真や映像、映画など感覚や感性に直接的に働きかける情報を簡単に共有できるようになります。ユー・チューブなどがいい例でしょう。著名な専門化ではなく、草の根の人々が表現者なのです。革命と呼ばれるのは、表現行為が無名な人々によって行われるようになっていることです。

ネット革命やウェブ2.0革命はアメリカ主導のように思えますが、世界の情報革命の主導権を握っていくのは日本だといいます。その鍵は「ユビキタス革命」です。ユビキタスも情報主権の革命です。
第1は、個人のユビキタス化です。最も身近な例がケータイです。電話帳、電子手帳、電子辞書、電子メール、電子マネー、クレジットカード、会員カード、音楽プレイヤー、GPS、バーコードリーダーなどマルチ情報端末になっています。
第2は商品のユビキタス化です、ICタグやQRコードで商品情報などが手に入るようになりました。
第3は、空間のユビキタス化です。その空間の中にいる人物の持つICカードやICタグなどと対話し、情報交換やサービス提供が行われます。
日本というのはユビキタス革命の中核的技術となる「携帯電話」「自動車」「家電」「ICタグ」においても世界をリードする技術力を持っているのです。それ以上に、ユビキタスに不可欠な「深い配慮」や「細やかな心配り」といった点でも世界に誇る文化力を持っているのです。

企業にとってはどんな戦略が必要になってくるのでしょうか。良い商品を作ることより、商品生態系の進化を意図的に作り出すことです。ベータがVHSに敗れた、マックがウィンドウズに破れたのは技術が劣っていたわけではありません。商品単品より、商品の生態系の作り方で負けたのです。現在iーPodは商品生態系をうまく作り出せたことで勝利を納めています。
ネットを使って商品の生態系を作り出す上で、重要な場があります。ネットの中の顧客の声が集まる場です。それらは企業のサイトやポータルサイトなど目に見えやすい場ですが、新たに目に見えにくいが影響力の強い場が現れています。それは「ブログスフィア」です。これはブログ圏と呼ばれるもので、無数の個人がトラバやコメントで結びついているものです。
企業は、目に見えない顧客コミュニティーに耳を傾ける必要があります。ブログウォッチングをすることです。これらは従来のアンケートやインタビューに比べて、バイアスのかからない正直な声が聞けるはずです。企業は、これらブログにより深く、耳を傾け、より立体的に顧客の姿を見る必要があります。

本書は、他にもマネジメントあり方の変化や、知識に対する変化、そして最後に、ウェブ2.0革命が、資本主義を日本型資本主義へと回帰させていく話がわかりやすく述べられています。

田坂氏の本はこれまでにも何冊か読んでいますが、時代を洞察する力が鋭く、本書も手元において、今を働く中で読み返してみたい本のひとつです。

これから何が起こるのか Book これから何が起こるのか

著者:田坂 広志
販売元:PHP研究所
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007年3月24日 (土)

新型インフルエンザ

「新型インフルエンザ」 山本太郎

日本でも鳥インフルエンザの被害も出ていますし、アジアを中心に鳥インフルエンザが流行しています。鳥インフルエンザも、高病原性の型であり、いつ新型インフルエンザの変異し、世界中に猛威をふるうかは時間の問題といわれています。時間の問題というより、いつ新型インフルエンザが発生してもおかしくないという状況でしょう。

専門家によれば、一般的にそれまでヒト社会で流行したことがなく、それゆえに免疫を持たない新型インフルエンザがヒト社会に出現した場合、感染者数は天文学的な数字になるといわれています。世界人口の4分の1から半数程度が感染するといわれています。
スペイン風邪と呼ばれた1918年の新型インフルエンザの場合、当時、世界人口が18億人から20億人とも言われた人口を基に計算すれば、感染者数は4分の1としても4億5千万人から5億人。半数とすれば、9億から10億人ということになります。現在の人口に当てはめてみて、致死率を50%とすれば、予測死亡者数は、8億から16億人となります。
1918年は、死亡者数4000万人から5000万人とされていますが、これにはアフリカやインドの死亡者数が含まれておらず、これらの国々を考慮すると1億6千万人から3億2千万人は死んだと予測ができます。

新型インフルエンザは昔は40年から50年周期で発生していましたが、現在では、26年周期くらいに短くなっているそうです。これは世界人口の増加により、人口密集度の増加や食生活の近代化、家畜飼育の質的変化・量的増大といった要因が考えられます。

インフルエンザには、強毒型と弱毒型に分かれます。これまでは弱毒型が多く幸運だったのですが、今、鳥インフルエンザは、高病原性の強毒型のインフルエンザです。強毒型インフルエンザがヒトに感染した場合、どうような状況が現れるのか。そうした状況下では、ありとあらゆる臓器に障害が生じ、肺炎だけでなく、心筋炎や脳炎、あるいは激しい下痢症状が現れ、出血傾向を伴う多臓器不全が引き起こされることになります。これまでに私たちが経験したことのない通常のインフルエンザの概念を覆す「超インフルエンザ」となる可能性があるのです。

インフルエンザというと、つい冬の病気と考えがちですが、鳥インフルエンザが東南アジアからヨーロッパまであるように温度とはあまり関係がないようです。インフルエンザについてはまだ研究が進んでおらず、季節性のある温帯地域に比べ、熱帯地域ではピークを示すことなく、通年を通して穏やかに流行しているようです。

新型インフルエンザが発生した場合の経済に与える影響もばかになりません。
それより、どうしたら自分は感染しないようにするか。
マクロでは、発生地域を封鎖することが必要ですが、地域封鎖で他地域への感染は抑え切れません。流行の時間稼ぎをするだけです。

本書では細かな対策は載っていませんが、先日テレビでは、外出しないこと、そのために家に水や食料の備蓄をするように呼びかけていました。病院にいけば、連れて行った人まで感染することになりますし、薬は先ず、医療関係者が使うことになっていますので(こうしないと医者がインフルエンザで倒れると治療もできない)、国民全員に薬が回るとは限りません。
何より、国内での発生がわかった時点で、感染しないように、家に閉じこもるしかないでしょう。
企業も新型インフルエンザ対策を立てておかないと、企業活動が止まることになりますが、社員であるわが身を考えると、会社をクビになっても、出社拒否をして生き延びる方を選択したいです。もし、電車で会社に行ったら、インフルエンザウィルスに感染するでしょうから、妻や子供のことを考えると家には戻れないでしょうね。

新型インフルエンザ―世界がふるえる日 Book 新型インフルエンザ―世界がふるえる日

著者:山本 太郎
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年3月21日 (水)

人口が世界を変える

「人口が変える社会」 日本経済新聞社編

日本では人口減少について多く語られますが、世界的に見て、人口問題はどうなのでしょう。多くの先進国では人口が減少していっています。
世界中を眺めて、人口の増減がどのように影響を及ぼすのかをわかりやすく示してくれるのが本書です。つい、自分たちの身の回り(中国や韓国くらい)しか議論に上りませんが、ヨーロッパや中東、アフリカなど、これからどうなるのか興味深い数字が多く登場します。

例えばEU。現在、EUではドイツが82百万人と最大ですが、早ければ2010年代には、総人口でトルコが抜いてしまうとのことです。将来、トルコがEUに加盟すれば、ドイツと並ぶ大国となり、イスラム教の国としてEUでの発言力が強まるはずです。
ポーランドでは、「頭脳流出(ブレイン・ドレイン)」が深刻な問題となっています。エンジニアなどの技術者や高学歴者が高い生活水準を求めて、英国やアイルランドに転出してしまいます。
受け入れ側では経済の活力が一層高まりますが、流出する方はたまりません。EUの仕組みでは、勝ち組と負け組みの差が一層広がってしまいます。
ところで、ポーランドは人材流出してどうなっていると思います?自国より賃金水準の低い隣国ウクライナから数十万単位の移民受け入れをしているそうです。

インドに目を向けてみましょう。
国連によると、インドの人口は2035年までに中国を抜き、世界最多に躍り出ます。2050年には15億人を超え、東南アジア諸国全体の人口にほぼ匹敵する規模になります。インドの人口ピラミッドはきれいに裾野の広がった三角形であり、若年労働者人口が2025年に5億5千万人に膨らみます。米国情報会議(NIC)の2005年報告では2020年までには、インドのGDPは欧州に匹敵する規模になるといいます。
人口増は1億6千万人のパキスタンや1億5千万人にせまるバングラデシュを含めて南アジアに共通する課題です。この地域の人口は2050年に24億人に膨れ上がり、世界の人口の4人に1人が南アジア人という時代が来ます。

BRICsに一角であるロシアの状況には興味をそそられます。ロシアは世界最大級の原油・天然ガスの輸出国として高い経済成長を遂げていますが、裏腹に貧困層も増加し、年間5万人の自殺者を出し、死亡率が上がるとともに出生率が下がる現象が起こっています。ロシアだけでなく、旧ソ連のウクライナやベラルーシも同様です。91年スラブ国家のロシア、ウクライナ、ベラルーシの人口は、91年のソ連崩壊からこれまでに1千万人少なくなっています。2050年までには、さらに5400万人(27%)減ると予想されています。極東やシベリア地区の過疎化が止まらず、中国人が流入しているそうです。世界の安全保障を考えると、ロシアの急激な衰退は世界全体のバランスを大きく崩しそうです。スラブ民族が消えるという話も冗談ではないくらいの危機です。

現在、経済で好調な中国はどうでしょう。人口増加に歯止めをかけるべく取られた一人っ子政策により、次世代に大きな不安要因を抱えています。年金制度がほとんどないまま、一気に少子高齢化社会を迎えるわけですから、経済面、社会面と大きな課題を抱え、経済成長もいつまでも続くとはいえない状況です。

ところで、世界人口は何人かわかりますか? 2006年10月13日、世界人口は65億5千万人を超えました。65億人に達した2月25日から約8ヶ月で5千万人増えています。1日あたり20万強です。国連では、2050年までに120億人に達する可能性があると指摘しています。日欧を中心に人口が減る中で、イスラム教徒が多数派を占める国では人口が増加しています。今後、20年で、世界人口に占めるイスラム教徒の割合は3割になる予想があります。

経済なども超長期で見ていくと、各国の人口動態をよく観察しておかないといけませんね。

人口が変える世界―21世紀の紛争地図を読み解く Book 人口が変える世界―21世紀の紛争地図を読み解く

販売元:日本経済新聞社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007年3月17日 (土)

悪夢のサイクル

「悪夢のサイクル」  内橋克人

内橋氏といえば、規制緩和などネオリベラリズムに対して批判的な立場で、よくテレビでも発言されています。その立ち位置は常に弱者の立場に立って発言されています。私は、どちらかというと官僚支配や規制による既得権益者の排除に賛成をする方ですが、やはり、なんでもかんでも自由ではいけないでしょうし、それを内橋氏は舌鋒するどく指摘します。

さて本書を紹介しましょう。
格差問題が騒がれますが、先ず数字を。1970年代、所得階層の上位20%総所得と下位20%のそれとを比較したとき、その差は約10倍にすぎませんでした。ところが、1980年代の後半にはそれが20倍にになって、現在はどうかというと、168倍にもなっています。
1億円以上の資産をもつ日本の富裕層は年々増え続け、今日では141万人。世界の富裕層の16.2%を占めるといわれています。
一方で、かつては中流の暮らしを楽しんでいた家族は中流から脱落し、ギリギリの生活をしている状態です。OECDの調査では、日本はOECD加盟国中ワースト5の数値であると報告してます。
また、厚生労働省の国民生活基礎調査によれば、日本の1世帯あたり年間所得の中央値は476万円。その半分238万円以下の所得で生活する人々が、日本には6.5世帯に1世帯あるという計算になります。
正規雇用者が減り、非正規雇用者が増えていますが、労働力調査などによる平均年収の計算では、正規雇用者454万円に対し、契約・嘱託250万円、派遣社員204万円、パート・アルバイト110万円と大きな開きがあります。
30年前であれば、公立小学校のクラス40人の父親の職業を聞けば、自営業以外は、全員が会社員だったはずです、ローンを返済しながら家族と家を守るお父さん。でも今は違います。失業中であったり、厳しい条件の派遣労働で家計を支えていたり、子供が就学援助を受けたりする家庭がクラスにいくつもあります。
我が家でもそうですが、小学生の子供は私立の中学を目指して進学塾に通っています。(経済的に私立にいけるかどうかは微妙ですが) 進学塾にしても私立の中学の年間授業料にしても約100万円、トヨタなどが出資してエリート養成の中高一貫校では、寮費込みで年間300万円です。
これは、実に重要なことです。富裕層のみ、私立進学の道が開かれているということは、結果としての平等だけではなく、機会としての平等も今日の私たちの社会は失っていることになるからです。
我が子の受験で感じていますが、私立中学の場合、平均して週に最低6時間以上の英語・数学の授業がそれぞれありますが、公立中学の場合、2002年度の指導要領の改訂以来、それぞれ週3時間の授業しかありません。貧乏人は勉強の量も少ないということでよいのでしょうか。

どうして今日のような社会の姿になっていったのでしょうか。私たちは1970年代以降に我々の気づかないうちにさまざまな政策の変更がなされていったと著者は言います。
1960年代、アメリカの傍流経済学者であったフリードマン等の学者の頭の中で生まれました。
特に、80年代後半に日本にアメリカから押し寄せてきます。「内需拡大」「内外価格差是正」「規制緩和」「努力が報われる社会」「構造改革」・・・その時々にキャッチフレーズを変えながらそれはやってきたのです。多くの人々がその政策変更の本当の意味をしらないままにやってきたのだといいます。

変化はまずアメリカで起こります。レーガン時代です。政策変更は大きく分けて3つあります。1.規制下にあった産業を自由化する。2.累進課税をやめる。3.貿易の自由化。そしてアメリカのミドルは一部の富裕層とそれ以外に二極分化が進んでしまい、上へ行くのはわずかで、下へ下へと吐き出されていく。かつて、戦後日本人があこがれたアメリカの中流層は、80年代に急激にやせ細り、低所得層へと吐き出されていく有様がはっきり見て取れます。
アメリカでも規制緩和が始まるまでは、ひとつの会社にずっと勤め続けるという、日本的な終身雇用に近い境遇が普通に見られました。
規制緩和による競争の激化を理由に多くの従業者を解雇し、残った従業員に対しても給与カットなどの賃金水準切り下げ、長時間労働など労働条件の悪化を強要しながら、経営者だけは100万ドル近いサラリーを得ていきます。働く人々の生活水準は劇的に低下し、経営者と株主、投機家という一握りの強者が莫大な富を手にする。それが規制緩和によってアメリカで起こった現実です。
日本で今、起こっていることがアメリカの歴史を見ればわかるでしょう。

税制のフラット化も日本がアメリカに追随した変更したルールです。累進課税制度は第二次世界大戦後各国で採用され、各国は累進課税制度による所得再分配機能を通じて、厚い中流層をもった社会を目指してきました。アメリカやイギリスでは税のフラット化が進んでいます。これは富裕層に対する減税政策であり、中流階級への減税はほとんどありません。一方で消費税は増えています。つまり貧乏人はなけなしの金を吸い上げられ、金持ちは自由になる金をふんだんに与えたことになるのです。
ただ、この問題は日本国内だけ、累進税方式に戻しても世界がそうなっている中、グローバル化の中では、富裕層や企業が海外に移ってしまうということにもなり、なかなか難しい問題です。

それでは私たちは、どうすればよいのでしょう。
まさか、国家が経済を計画する社会主義の失敗は歴史が証明しています。だからといいって自由放任で規制緩和をいくら追い求めても完成はありません。
著者がはっきり言っているのは、「人を市場に合わせる」のではなく、「市場を人々に合わせて調律する」ことだといいます。市場というのは否定すべきものではありません。かといって野放しにして良いものでもなく、市民社会的制御のもとに市場メカニズムを置くべきだという議論になるわけです。

目を日本という国をありように向けるなら、グローバリズムの名の下にITマネーに支配される「虚の経済」に適応してゆくのではなく、実需と生産、勤勉と労働に基づく「実の経済」をめざし、国家としての足腰を鍛え、虚の経済に立ち向かっていく必要があります。
経済中心ではなく、人間中心の、持続可能な街づくり、環境を守ること、金銭のやり取りだけではない、人間同士の関係を深めてゆくケアモデルの確立が必要だと。

悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環 Book 悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環

著者:内橋 克人
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する


にほんブログ村 経済ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2007年3月11日 (日)

日本のポップパワー

「日本のポップパワー」 中村伊知哉・小野打恵

高度な工業化社会を遂げ、失われた10年を過ごした日本であり、さらに、今やBRICsの成長によって、日本の成長を支える構造が変わっています。
著者は、産業「文化力」が新時代を切り開くといいます。
経済の新時代を切り開くには、技術にも制度にもイノベーションが不可欠です。しかし、これまでの技術、これまでの制度をいくらつないでみてもイノベーションというほどのものにならない。時代を引っ張るエンジンが必要です。
そこで中心問題は、コンピュータや通信網の供給面ではなく、産業社会の各場面でITをどう活用するかである。私たちの生活様式の総体、つまり「文化」が主題になる。その意味ではこれから求められるのは産業文化のビジョンにほかならない。
従来、産業文化の議論は、文化を高級文化と大衆文化に区別していましたし、文化の名に値するのは高級文化だけという意識があったように思います。しかし、現在では、そもそもそれらを区別が消滅しているようです。

経済産業省によると、世界のテレビアニメの60%が日本製で、アメリカのキャラクター商品を含む日本のアニメ関連市場は、2002年に約43.6億ドル、2004年には48.4億ドルに達したという。
「ポケモン」は世界67ヶ国と2地域、「クレヨンしんちゃん」は世界46ヶ国で放映されている。2004年、日本のゲームソフトの約半分が海外に出荷され輸出額は2326億円、輸入額は30億円で、実に80倍となっている。ゲーム機とソフトを合わせた世界への輸出額は5644億円に達します。

日本の文化的な影響力は静かに成長してきています。ポップミュージックから家電まで、建築からファッションまで、そしてアニメから料理まで、日本が80年代の経済パワーが成し遂げた以上の文化的スーパーパワーを示しています。アジアでも欧米でも、日本は若い世代にとって一種の憧れだ。この状況は、テレビゲームが浸透し、日本のアニメが高視聴率を稼ぐようになった90年代、日本が自らを「失われた10年」と呼ぶ期間にもたらされたものです。
日本がポップでクールと呼ばれる状況は、バーチャルなメディア空間に広がるエンターテイメントの世界だけでない。家ではロボット・ペットを飼う。外では写真やビデオをケータイで撮る。回転寿司を食べてカラオケで騒ぐ。アルコールもヌードルも自動販売機で買え、帰るのがいやならマンガ喫茶なりラブホテルに行く。そうした空間のデザインやライフスタイルもまた日本の特異な姿として海外に紹介されている。
もちろん若者は和製文化に閉じているわけではない。同時に彼らはGAPとナイキをまとい、HipHopを聴きながら、スタバで待ち合わせし、グーグルとウィンドウズとインテルでネットにアクセスし、最新のハリウッド映画をチェックし、ディズニーランドに出かけていく。日本の流行文化は、こうした西洋文化と違和感なく混在しながら、それとは別種の形としてポップな存在感を示している。
著者は、将来の歴史書には、90年代は産業が停滞した10年というより、海外に文化進出を遂げた10年、にこやかな顔を見せた10年、そして新しい軸を生んだ10年として刻まれるだろうといいます。

マンガ、アニメ、ゲームや、キャラクター商品、テーマパーク、アミューズメントパーク、コンサート・お笑い・スポーツ観戦に、パチンコやパチスロを加えると、直接ポップカルチャーといえる市場は36兆円にも上り、メディアコンテンツや、コミュニケーション、広告、印刷など強く波及効果を及ぼす分野を加えると100兆円以上の市場といえます。景気対策に使われる土木・建設の分野ですら51兆9千億円の規模を考えると日本のポップカルチャーの大きさがわかります。ちなみに食品産業は100兆円です。

昨年は、邦画収入が洋画収入を上回りましたが、世界のコンテンツ産業全体でみるとアメリカに比べると圧倒的に低い。その中にあってマンガやアニメは圧倒的な力を持っている。アメリカでの日本のアニメ市場規模は43.6億ドル(2002年)は、日本からの鉄鋼製品輸入の3.2倍になっている。
日本は、また新たな超大国として再生しつつあるとの見方も海外にはあります。日本のグローバルな文化的勢力は衰えを知らないといいます。
確かに、海外でのすしブーム、マンガブームなどを見ていると、新たな潮流を感じると思います。
反日運動の高い中国でさえ、ジャパンクールが影響を及ぼしています。先般でも日本のマンガの放映をゴールデンタイムから締め出す措置がとられたくらいですから。中国では共産党政権下で、漢字の簡体字の普及が進みましたが、日本のポップカルチャーが入ってくるに従い、日本で使われている旧字体をポップと感じているようです。旧字体だけでなく、ひらがなもポップだと思われているそうです。

海外で注目されている日本のポップ文化ですが、文化政策のスタンスを構築する段階にきているのでしょう。
通信と放送の融合政策、ポップへの選択と集中、人材育成策などを考え、日本の主流文化として、正当に評価する必要があるようです。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年3月10日 (土)

原稿用紙10枚を書く力

「原稿用紙10枚を書く力」 齋藤孝

子どもが作文や感想文に四苦八苦しているので、読んでみました。子ども向きでは決してないのですが、ヒントはたくさんあったように思います。
最近は、ケータイメールやブログによって、若い人は文字文化がまた浸透してきているようですが、本来の構成された文章を書くまでにはなっていないと思います。本書には、本当の文章をどう書けばよいかを、著者の経験などから説明してくれています。

よく文章を考えるときに、起承転結を考えなさいといわれますが、順番に「起」から考えてはダメですよと言います。まさに何か書きたいことがあるなら、「転」を考えろと。「転」がきまれば、無理やり起承を作り、結は最後に無理につけるという方法を教えてくれます。確かに面白い部分を考えて、それを生かすために前後を考えるといいかも知れませんね。

読書感想文の宿題が出たときに、子供は苦しみますが、先生にもただ書いてきなさいというのも間違いだと。子供なんだから、具体的に「読んで大切だと思ったことを3つ上げて、そのことについて書きなさい」と指示してあげたほうが書く手がかりになり、子供も書きやすいし、書き方や、それぞれが思ったことを書けるといいます。大切な部分でなくても面白いと思った部分を上げなさいでもいいのです。あげさせるには3つが最適なようです。1つや2つならつまらないものになるし、十や2十なら、相互の関係が整理できないので、3つくらいにしておくのが適当だそうです。
そういえば、会社でも、企画書では、なぜだとか、問題点などは3つくらいに集約しますよね。よくMBAを取った人も、理由として、「それは3つあります」なんて言って、もっともらしく話しますね。
また、一冊の本の中で好きなところを3つ取り出してみると選んだ人のオリジナリティがそこに出てくるはずです。子供にこの作品の好きなところをひとつあげなさいと聞くと、好きな部分が重なることが多いのですが、3つあげさせると、2つまでは重なっても、3つ全てが重なることはなく、そこにオリジナリティが出てくるのです。

内の子の特徴ですが、作文を書かされるときに、すぐに書き始め、すぐに行き詰ってしまいます。最近の大学生も同じだそうですが、普通は書く前にキーワードを拾い出してメモを作ることが大切だと言います。ネタをはっきりさせることが大切なのです。キーワードを拾い出してから始めて全体の構築をするという作業に進ませる。ネタの洗い出し、すなわちキーワードを拾い出すことが前提になるのです。
書くことは構築することであることを認識しないといけないのです。

読書感想文で、もう少し上級編になると、自分のアンテナに引っかかりを感じた部分をはっきりさせ、それにベスト3、ワースト3まで順位をつけてみることを勧めています。3箇所を選択させたら、それぞれの部分について、言いたいことをまとめさせ、引っかかった部分の3箇所を組み合わせることで、読んだ人がその本を通じて得られた具体的なものが必ず出てくると言います。

文章は構築力が大切ですよね。会社で企画書なら、端折って言えば、1.現状分析、2.真の問題点の発見、3.あるべき姿、4.解決策、5.人、モノ、カネを使った実施計画、というところで、構成が頭に入っていると思いますが、子供の作文も、自分なりに先ず構成をすることが大切ですよね。
子供なら絵コンテにするというのもいいかも知れません。

原稿用紙10枚を書く力 Book 原稿用紙10枚を書く力

著者:齋藤 孝
販売元:大和書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年3月 4日 (日)

鏡の法則

「鏡の法則」  野口嘉則

帯に「読んだ人の9割が涙した」と書いており、かつ本にしては薄っぺらく、字も大きいので、本当かなと思い読んでみました。
いじめられた子供のお母さんが主人公の実話だそうですが、思わず泣けました。子供を持つ親なら、その気持ちに心が動かされますし、自分を振り返り、思わず、涙がでます。作り物でない、本物の話の迫力があります。30分もあれば読める本ですが、量の問題ではなく、本当に自分を振り返り、新しく自分のあり方を見直させられる本でした。
本書は2部に分かれていて、前半は実話、後半は著者の解説になっています。
著者の言葉で心に残ったものをあげておきます。
「人生で起こるどんな問題も、何か大切なことを気づかせてくれるために起こります。
そして、あなたに解決できない問題は決して起きません。
あなたに起きている問題は、あなたに解決する力があり、そしてその解決を通じて大切なことを学べるから起こるのです」
つい、周囲や他人のせいにしがちですが、なんて前向きな捉え方なのでしょう。
本当は神様が試練を与えてくれるわけでもないので、なかなか、ここまでの気持ちで生きることは難しいでしょうが、こんな気持ちで、生活や仕事に向かえれば、いいですよね。そう思えれば、人生が豊になると思います。

鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法のルール Book 鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法のルール

著者:野口 嘉則
販売元:総合法令出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年3月 3日 (土)

低度情報化社会

「低度情報化社会」  コモエスタ坂本

ネットの発達で私自身もブログを書いていますし、とってもたくさんの人がネットで情報を発信できるようになっていますし、いろいろな知識をネットから引き出せるようになってきますし、情報化が高度化しているようにおもいますが。。。

本書は刺激的な「低度情報化社会」です。それでは、低度情報化社会と何か。ひと言で言えば、ITメディアの発展によって無駄な情報があふれかえり、誰もがその膨大な情報洪水のなかで溺れてしまっている社会のことだそうです。それだけでなく、何が正しく有益な情報なのかわからないから、とりあえず手頃な情報ばかりに手を出し、あとはそこから進歩も発展もしない。結果、同じようなレベルの人間だけで集まり、別な世界から遮断されてしまうことを指すといいます。

確かにブログでも、様々な分野の高度な見解を読むこともできますが、軽いのりの日記もありで(ブログとはそもそもそういうものだから、みんなが情報発信できるのだと思いますが)、玉石混交であることは間違いないと思います。
本書では、グーグルやMixiの批判など耳の痛い話が続きます。なんだか、自分のリテラシーがなさけなくなります。
ネットの中ではくず情報が溢れていると指摘していますが、よく考えると本書だってくず情報かも。まして、それを読んでいる私は、低度情報化社会の低度化くんかも。

低度情報化社会 Ultra Low-level Information Society Book 低度情報化社会 Ultra Low-level Information Society

著者:コモエスタ 坂本
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月25日 (日)

人間を考える経済学

「人間を考える経済学」  正村公宏

自然科学は、宇宙科学から生命学などとつながりが深くなってきて、また、ギリシャ時代のように哲学のようになってきていると私は感じています。本書を読めば、経済学においても人間の本質やサステナビリティを考える時代になってきて、哲学的になってきたと思います。というより、哲学なくして経済学も成り立たなくなってきていると思います。
著者は、あらためて経済学の基礎石の置き方を根底から検討しなおしてみようと考えて書いたといっています。
社会のあり方は経済のあり方に影響を与え、経済のあり方は社会のあり方に影響を与える。とくに経済は、人間が生まれて育つ環境(自然と社会と文化の組み合わせ)を大きく変化させることによって、将来の社会のあり方に決定的な影響を与える。それは、次の時代の経済のあり方を強く規定し、人間が生まれて育つ環境を更に変化させる。
著者は、現代社会が解決しなければならない問題をあきらかにし、選択されるべき制度と政策を提案することは、経済を研究する人間の責任であるといいます。本書のタイトルも「人間を考える・・・」であり、副題も「持続可能な社会を作る」とあるとおり、著者の経済学に対する考え方が現れています。

経済体制においては、資本主義が社会主義に勝ったというのは軽薄だといいます。経済の自由は、効率への誘因を刺激する基礎条件であると同時に、政治と社会と文化の自由の基盤である。しかし、市場機構は万能ではない、市場経済は重大な欠陥を持つ。マクロの目的意識にもとづく適切な方法による制御が不可欠であると。20世紀の経験は、自由放任型の市場経済は返って自由な社会の基盤を破壊すること、分配の公正と生活の安定を目指す改革こそが経済を安定させると同時に社会の統合を強める効果を持つことを示している。
経済学者は、現実が提起するさまざまな問題を的確に受け止める鋭敏な感覚、さまざまな制度の組み合わせを絶えず見直す知恵、マクロの主体である政府の政策の有効性を高めるねばり強い努力が必要だと。

サッチャーの経済改革の理論的支柱となったハイエクの経済理論ですが、ハイエクの「隷従への道」の中で、「市場経済に全てを委ねるべきだという自由放任の主張は誤りである。自由主義者の硬直した自由放任論は返って自由主義を傷つけた」と書いているそうです。
私は、勉強不足でハイエクこそ、英米の自由主義経済の支えであり、シカゴ学派の祖であったくらいにしか思っていなかったのですが、自由といっても放任ではいけないと言っていたのを知りませんでした。

著者は、経済への人間の関わり方を変え、文明のあり方を考える必要があるといいます。
地球規模の構造変動によって経済の不安定性が増幅されているだけに、マクロ経済政策の信頼性を高め、就業機会を保障する取り組みが不可欠であると。単なる規制緩和によって競争圧力を強め、価格破壊を推進すればあとは何とかなると考えてはいけないと、暗に英米や日本の経済政策を批判しています。
特に日本人の働き方を変える必要性を説きます。持続可能性を考えると、日本人の働き方は、働く人自身にとっても、家族にとっても問題です。日本の給与生活者の暮らし方は、家族の機能を低下させる作用をしてきた。生活時間と生活空間を作りかえ、子供の生活環境を作りかえることは、日本の最優先課題である。著者は、そのためには、糸口として労働基準法を変える必要があるといいます。
本当の国際競争力とは、ミクロで考えれば変化に対応する人間の能力であるが、マクロで考えれば、経済力を国民の生活の安定と向上のために系統的に使う知恵である。政府の経済政策と社会政策に不備があれば、ミクロが強くても、マクロの不均衡が拡大し、外国為替市場における自国通貨が急騰して、産業の競争力が一気に失われる。生活の質の改善を目指す共同事業を強化し、国内の総需要と総供給力の不均衡の是正をしなければならない。本当の国際競争力は、内外の諸条件の変動に対応する能力である。産業の活力の基礎は、社会の活力である。社会の活力を再生産するために、日本人の働き方を変え、多様な働き方を可能にする経済制度と経済構造を作り上げる必要がある。

本書は、単に経済書というだけでなく、一般人には、世界史の全体像を勉強しながら、経済の歴史を確認できたり、経済体制の勉強できたり、文明論があったりと、経済学の基礎をもう一度勉強できる書です。
一気に読める面白い本です。久々の5☆です。

人間を考える経済学  持続可能な社会をつくる Book 人間を考える経済学 持続可能な社会をつくる

著者:正村 公宏
販売元:NTT出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する


にほんブログ村 経済ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年2月24日 (土)

世界の日本人ジョーク集

「世界の日本人ジョーク集」 早坂隆

「最先端技術の国」
●不良品
あるアメリカの自動車会社が、ロシアと日本の部品工場に以下のような仕事の発注をした。
「不良品は1000個につき一つとすること」
数日後、ロシアの工場からメールが届いた。
「不良品を1000個に一つというのは、大変困難な条件です。期日にどうしても間に合いません。納期の延長をお願いします」
数日後、日本の工場からもメールが届いた。それにはこう書かれていた。
「納期に向けて作業は順調に進んでおります。ただ、不良品用の設計図が届いておりません。早急に送付してください」

初っ端から、日本は先端技術を持つというジョークから始まりますが、最近のエレクトロニクス製品や自動車の不具合が頻発しており、ちょっと皮肉です。

日本の独創性のある製品も多いのですが、次のような感じも多いですよね。

●四段階
新製品が世に流通するまでには、全部で四つの段階がある。
まず、アメリカの企業が新製品の開発をする。
次にロシア人が、「自分たちは同じものを、もう既に30年前に考え出していた」と主張する。
そして、日本人がアメリカ製以上のクオリティの高いものを造り、輸出を始める。
最後に、中国人が日本製のものに似せた偽物を造る。

著者は、東欧や中東をよく回っている人らしく、アメリカや西欧で知られていない日本の見方も多く伝えてくれます。
イラクでは、自衛隊が復興活動に行きましたが、イラク人から日本への不平・不満が相当あったらしいのです。イラク人にとっては日本人は、超お金持ちで、自衛隊が来てくれたということは、サマワに近代的な高層ビルでも建つのかと思っていたらしいのです。
お金持ち日本のジョークとして次のようなものがあります。

● レストランにて
ドイツ人と日本人とイタリア人が一緒に食事へ行った。食後、三人はそれぞれこう考えていた。
ドイツ人は、割り勘にするといくらか考えていた。
日本人は、三人分払うといくらか考えていた。
イタリア人は、おごってくれた人になんと礼を言うか考えていた。

日本の経済システムについても面白いジョークもあります。かつてのソ連のゴルバチョフ書記長が、計画経済の抜本的な建て直しを図っていたとき、多くの経済学者を日本に派遣したという冗談ではない話もあります。

● 意見の一致
マルクスとケインズがあの世で出会い、そして激論を始めた。相反する思想を持った二人、やはり意見は合わなかったが、たった一つだけ結論の一致を見た話題があった。それは、
「自分の理想を体現した国家はどこだろうか?」
という問いであった。二人とも、
「日本」
と答えたのである。

日中関係についての面白いジョークもあります。
● 捕虜
西暦200X年、日本と中国の間でとうとう戦争が勃発した。
開戦当初、日本軍の優勢が続いた。
開戦から一週間。中国兵の捕虜が一億人出た。
次の一週間。さらに中国兵の捕虜が一億人出た。
翌日、北京から東京に向けて、無条件降伏の勧告が来た。
「どうです、まだ戦争を続けるつもりですかな?」

面白いジョーク満載ですが、著者の体験がたっぷり載っていて面白い本です。

世界の日本人ジョーク集 Book 世界の日本人ジョーク集

著者:早坂 隆
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年2月23日 (金)

質の経済が始まった

「質の経済」が始まった  日下公人

好況感のない景気回復といわれていますが、10年以上続いた不況で、日本はまだ危ないという人もいます。著者は、一刀両断にそれは間違っているといいます。
例えば、東京オリンピックのあった65年度から2002年度まで、38年間のGDPを全部合計すると、ざっくり、1京1409兆円あるそうです。これは凄い数字らしいです。一方、国家の財政支出を全部合計すると3000兆円になる。日本経済は悪いといいながらも、年間500兆円もの巨大なGDPが横ばいで落ちていません。これだけのGDPを毎年産出し、抱えながら、無駄さえやめれば、景気はたちまち回復するといいます。無駄遣いをする政治家とお役人が、半分くらいに減ってくれればいいのです。
政府は、それだけのGDPの中から、まず税金で2000兆円取り、そして借金で1000兆円と、約3000兆円を集めて使った。役人は、このうち2割や3割は無駄に決まっているといいます。
通らない道路や橋に兆円単位でお金をかけたり、官庁の仕事も、天下りの人件費や、不要な外注費、使途不明の住民対策費などなど無駄ばかりです。役人は、民間なら10万円で買うようなものを特別仕様だからと100万円でつくらせて買ったりします。無駄をやめれば税金をなくすことも出来るとまでいいます。
何より、日本国民と国家の貯蓄は1500兆円くらいあるので、1000兆円を年利7%の米国国債を買えば、毎年70兆円の利息が入ってきます。1500兆円分買えば、105兆円です。所得税は年間40兆円ですから、少なくとも所得税ゼロにもできるのです。

あまりにも無駄遣いが多すぎる例として、農業費をあげています。毎年国は2.8兆円、地方の農業費は2.7兆円、合わせて年間5.5兆円です。ところで農業の生産額は年間に10兆円です。専業農家は44万戸しかないのです。1年に300万円あげた方がずっと安い。40万戸としても1兆2000億円にしかなりません。いかに、農水省の役人が不要かがわかります。
このような無駄を省けば、ずいぶん国民が助かるはずです。

さらに著者は、今後、日本はますます発展すると予測します。著者は日本は「風流産業」で景気が直るといいます。かつて、日本の工業製品のスペックはオーバークオリティといわれたりもしましたが、いまやグローバルスタンダードクオリティになってきています。工業製品だけでなく、今後サービス業においても日本人のクオリティの高さが求められると考えています。
もともと日本人は芸術家で、芸術国家だといいます。その日本人の「芸術力」をアメリカ人が感心して、日本の自動車は風流だ、ハイテクではなく芸術だ、工業製品を一段超えていると言うようになっているそうです。評論家のロナルド・モースもトヨタのレクサスは凄い。あれは工業製品ではなく、芸術作品であるといいます。
日本は、不景気な雰囲気が残っていますが、文化商品や芸術商品に関してはハングリーマーケットです。だから、ブランド物は売れる。趣味のものは売れている。そんな趣味や芸術品を作れない会社が潰れるのだと。

最近は成果主義だとか、科学的人事管理とでアメリカの真似をする会社が増えてきていますが、中級品をつくるなら成果主義でよいが、最高級の芸術とも呼べる製品をつくるなら日本式のこれまでの労働管理でよいのです。
高級品を作ろうとするのに、成果主義を取り入れて失敗する会社があります。中級品をつくるならそれでもいいのですが、日本が狙う市場は違います。中級品は、アメリカや中国に任せて、日本は高級品を日本式人事管理で作ればいいのです。

タイトルでいうように「質の経済」を考え直す必要があるようです。質とは何か。人間の脳は感性をどう捉えるのか。世界で日本の商品が評価されるということは、日本の質には普遍性があるらしいことなど。

日本が今後、生きていく道を考えるのに読んでみてもいいのではないでしょうか。

「質の経済」が始まった 美の日本、カネの米中 Book 「質の経済」が始まった 美の日本、カネの米中

著者:日下 公人
販売元:PHP研究所
Amazon.co.jpで詳細を確認する


にほんブログ村 経済ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2007年2月18日 (日)

10年後の日本

「10年後の日本」  「日本の論点」編集部編

2005年にヒットした本ですが、少し経ってから見てみました。1年少し前の予測ですから、大きな変更点はありません。自由競争が2極化を生み、勝ち組、負け組みに分かれるだけでなく、団塊の世代にも裕福な層と、不安な老後を送る層に2極化すると予想しています。
本書では、バブル崩壊後、幅広い分野で規制が緩和され、市場原理による「自由な競争」が激化したから、2極化が起こったとします。この辺は、2極化の理由について見解が分かれるところでしょう。
最近の考え方の傾向としては、バブルまでの経済体制が通用しなくなり、新興国の台頭してきた時代においては、古い経済では、非効率で、既得権者を保護してきた結果として、景気が悪くなり、結果として2極化してきたとも言われています。したがって、2極化をしないようにするためには、規制緩和とイノベーションによって経済の活性化を行うことによって、機会の平等や、効率化やイノベーションによる経済的成果を結果として多くの人々が分け合っていこうというものです。
本書では、やはり2005年の雰囲気が感じられます。
ただ、本書でも触れられていますが、フリーター層の問題は現在でも同様に存在しています。景気回復してきて、新卒の採用は増えているとはいえ、非正規雇用であるフリーターとなった年代については、このままでは日本経済の底辺を占めてしまい大きな問題となるでしょう。この辺りも、経済成長により、雇用のあり方を変革して行き、正規雇用に変えるなり、同一労働同一賃金にするなりする必要があるでしょう。
ただ、団塊の世代の2極化は深刻な問題かも知れません。悠々自適を謳歌するのは一握りの富裕層でしょう。この一部の富裕層のマーケットは重要ですが、そうでない人たちは厳しい。会社が必要と認めた人は、退職後に再契約などの道がありますが、会社から声がかからない人も多く、団塊の世代が700万人の規模でもあり、働き口の受け皿問題も大きくなるかも知れません。本書では相当心配していますが、これも経済成長があれば、貴重な労働力となるかも知れません。
労働問題としては、バブル入社組みを第2の団塊と呼び、大量採用された社員が社内で不良債権化するのではと心配しています。事実、成果主義の名のもとに淘汰が始まっているようです。無理なノルマや慣れない部署への配置転換で成績が上がらないようにして退職を迫るケースも増えています。

世代としては、70年代後半から80年代にかけて誕生し、両親とも戦後生まれのY世代に注目しています。Y世代は、経済成長を全く知らずに育った世代であり、バブル世代と違って、物質欲はさほど強くない層です。学歴信仰も崩壊した世代ですが、自分らしさを求め、文字文化に強かったりで、日本の新たな文化の担い手になるのではないかとのことです。10年後には、オタク文化に変わり、Y世代の文化が生まれているのではないかというのです。

10年後の数字を見ると、東京の人口がピークになるそうです。日本の人口が減少する中で、東京への一極集中化が進みます。2030年には日本の総人口は、2000年に比べ7.4%減少するのに、東京は0.7%増加、神奈川は1.6%増加すると予測されています。ただ、都心への一極集中は、老人層も都心に住むことになり、都心での老人ホームの需要も大きくなります。既に、有料老人ホームの建設ラッシュが始まっています。

本書はこのほかにも、環境問題や、長期金利が上がる問題なども取り上げています。
古本でも買って、さらっと読んでみるにはいい本かも知れません。

10年後の日本 Book 10年後の日本

販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

にほんブログ村 経済ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年2月17日 (土)

中国 大国の虚実

「中国 大陸の虚実」  日本経済新聞社編

昨年、中国は自動車保有台数で日本を抜き去り、米国に次ぐ世界第2位となりました。新聞で見たときはここまで来たかという感じでした。
最近の中国事情を日経が本書にコンパクトにまとめてくれています。

2004年、中国は貿易総額でも日本を抜き去り世界第3位に浮上しています。05年のGDPは、一気にフランスと英国を抜き去り、世界4位の経済大国となっています。中国を訪れたビジネスマンは、「中国と付き合わないことが今や最大のリスク」と語るようになっています。
90年代半ばまで、自転車が一般庶民の足だった国とは見違えるばかりです。
ここ数年のもっとも大きな変化は中国が完全に国際経済の一部に組み込まれたことです。世界の貿易総額に占める中国の比率は5年間で2倍近い7%近くに上昇しました。中国のGDPに占める貿易総額の比率は63%。日本の24%、米国の20%を大きく上回ります。中国自体も世界経済との関係を絶っては成り立たなくなっています。
しかし、単なる「中国経済の躍進」だけでは片づけられません。エネルギー消費効率の低い老朽設備を使って経済使って経済活動を拡大した結果が、原油輸入の急増であり、世界の石油需給の逼迫や大量の排出物による環境汚染といった問題も引き起こしている。環境破壊は東アジアの地域的規模で生態系に影響を与えているともされます。
越前くらげの漁業被害もそうですよね。

中国のエネルギー戦略はすごいものがあります。06年春の段階で、すでに35カ国のエネルギー権益に投資しています。06年からの5カ年計画で、海外の石油会社の買収などエネルギー分野に毎年7千億元を投じる計画だ。
米国エネルギー省がまとめた世界のエネルギー消費の予測によると、2030年の中国の石油消費量は日量1500万バレルと、03年実績の2.7倍に増える見通しです。
世界のエネルギーをブラックホールのように呑み込む中国。それでも需要を満たしきれていません。重慶のタクシー向けのガス充填所では、割り当てを絞っており、ガス欠のタクシーが充填待ちの行列を作っているようです。

エネルギー戦略には、米国が相当いらついてます。米国と仲が悪い国や制裁をしている国とエネルギー協力を取り付けたり、アフリカなど第3世界の国々を取り込もうと動いています。アメリカも負けじと、インドと協力関係を深め、インドへの原子力発電開発の協力から、F16やF18戦闘機の貸与、ミサイル防衛システムの協議も初め、中国を牽制しています。

また、中国には各国が工場を建設しています。日本や欧米はもちろんですが、04年の直接投資で日本や米国を抜いてトップに立ったのは韓国です。日本は逆に、国内景気の回復や最先端のものづくりを目指すために日本回帰が行われ、キャノンやシャープは国内に工場を建設しています。また、中国の労働力や土地代などのコスト上昇を嫌い、ベトナムやインドに進出する企業も多くなってきています。しかし、巨大市場という中国の魅力は衰えたわけではありません。新興国は物流や電気、通信網などインフラ整備の面では中国に見劣りしますし、中国戦略が企業の命運を左右する時代になったことには変わりはないでしょう。

世界の工場となっている中国ですが、世界の下請けや世界規格のものを作っているのでは、儲かりません。DVDプレイヤーなどを生産しても特許料を相当払わなければならず、中国では独自規格を作ろうとしています。06年5月には、「永中オフィス2007」というソフトを開発し、マイクロソフトと闘おうとしています。また、次世代DVD規格でも、EVDという規格を作ってきました。BDやHD-DVDより質は悪いものの、自国の大きな市場を押さえれば、チャイナスタンダードとして、世界も認めざるを得ないと考えています。

13億も人口を抱える中国の消費者を見てみましょう。貧乏人もたくさんいますが、一部が金持ちになっただけでも、モノは飛ぶように売れていきます。高額テレビや自動車が売れ、消費社会が本格的な姿を現してきています。ベンツやベントレーなど何台も揃える一部の購買力を持つものも出てきましたが、それより裾野の広い消費社会の申し子のような層が厚くなってきています。この層が中国消費の本当の主役です。給料をもらったらその月のうちに全部使い切ってしまう層の登場です。それもそこそこの給料を手にしながら、電話代や服や化粧品、友達との外食にと使います。このような若者を「月光族」と呼びます。この場合の「光」は中国語で「何も残っていない」という意味です。
ブランド衣料の「百図」や資生堂の「オプレ」が好みのOLが多いのですが、男性も同様です。彼らの消費の原動力は将来に何の危機感も持っていないことのようです。月光族の特徴は「自分の未来に自信があり、社会の中で比較的高い評価を受けたいと願っている。モノを買うときに必要かどうかではなく、自分の趣味にあっているかどうかを考える」といいます。大多数が月光族ではありませんが、月光族は中国人の憧れだそうです。
モノが溢れかえってきることと、一人っ子政策がとられて以降に育った世代なので、お金をかけられて育っており、消費生活がしっかりと身についてしまっているのでしょう。

また、新中間層を表す言葉として「小康族」というものがあります。胡錦濤国家主席がよく使う言葉で、やや裕福でまずまずの経済状態を意味します。ダブルインカムで自家用車で通勤し、お昼はセブンイレブンのおにぎりの新製品やお菓子を買って同僚と自慢しあうのだそうです。セブンは中国ではあまり数はないそうですが、価格は少し高めでも、そこにしかないものを買うことを求める人が多いようです。

消費社会とは別に、中国は軍事面でもプレゼンスを発揮しており、01年から05年の兵器購入料は世界最大だそうです。

米国、EU、日本に次ぐ、世界の第4極としての存在になったというこです。

中国に興味をもたれている方は、ジョージ秋山の「マンガ中国入門」は面白いですよ。中国の食肉文化や、売春婦が世界一多いとか、一般では読めないような話がてんこ盛りです。そちらも是非読んでみてください。

中国 大国の虚実 Book 中国 大国の虚実

販売元:日本経済新聞社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究 Book マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究

著者:ジョージ秋山
販売元:飛鳥新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0) | トラックバック (4)

2007年2月12日 (月)

プレイバック1980年代

「プレイバック1980年代」  村田晃嗣

単に1980年代の世相や事件を年毎に描いたものなのですが、懐かしく読んでしまいました。著者も、80年代に同志社で青春を過ごしたらしく、私は、社会人になって働き始めたばかりで、本書を読むと、その頃がよみがえってくるような気がしました。
80年代といえば、つい89年くらいの日本のバブル絶頂期を思い出してしまう私ですが、それはほんの最後で初めから辿っていくといろいろなことがあり、全てがいい時代だともいえないことに気がつきました。

かいつまんで、年ごとの事件を書き連ねていきましょう。

1980年
アーウーの大平総理の死去。イラン・イラク戦争勃発。MANZAIブーム。山口百恵引退。

1981年
この年になって、やっと中国残留孤児調査始まる。(戦争終わって何年経ってると思ってんの) 日米に同盟という言葉が使われる。鄧小平が政権を握り、文化大革命を批判。アメリカで同性愛者の間で謎の病気が流行る。(後のエイズ)

1982年
イスラエルがレバノンに侵攻。ヒズボラが結成される。テレホンカードの公衆電話が登場。松田聖子やマッチ活躍。深夜放送を聴きながら受験勉強。

1983年
おしんがブーム。ロンーヤス時代始まる。日本が一流と思う人増える。ファミコン発売。

1984年
韓国の人の名前を現地音読みのカタカナ表記になる。三浦和義の銃弾の疑惑事件。グリコ・森永事件。写真週刊誌ブーム(フォーカス、フライデー)。「キャプテン翼」「ドラゴンボール」など人気。風の谷のナウシカ映画化。DCブランドの人気。「マル金・マルビ」流行。

1985年
ゴルビー登場。アメリカの貿易赤字が1485ドルに上り、内対日赤字が1/3。プラザ合意で1ドル240円前後から年末には200円へ。1980年と比べると、全国の土地資産額は、1千兆円から、2千4百兆円に。株式時価総額は240兆円から、590兆円に増大。日本の地価総額で、国土が20倍ある米国を買えるといわれた。
アフリカの飢饉に「ウィー・アー・ザ・ワールド」。男女雇用均等法始まる。エイズ蔓延。
スーパーマリオ流行。日航123便御巣鷹山に墜落。阪神タイガース優勝。金妻ブーム。

1986年
チェルノブイリ原発爆発。9千人以上死亡。ジャパンプロブレムに対し、前川レポート作成。リビアのテロ攻撃に怒り、アメリカがリビア空爆。
岡田有紀子自殺で後追い自殺増える。メンズノンノ創刊。マハラジャ大盛況。ワンレン、ボディコン。

1987年
NTT株に殺到。JR発足。バブルが膨張、東京の地価は前年度比53.9%上昇。10月19日NYブラックマンデー。これの対策で、低金利政策をとり、バブルを増長。大韓機爆破事件でキム・ヒョンヒ逮捕。日本人拉致者に日本語習うと自供。レーガンがゴルビーにINF交渉を飲ます。安田火災が53億円のゴッホのひまわりを買う。「サラダ記念日」「ノルウェイの森」流行。

1988年
消費税国会決議で、社会党の牛歩戦術。リクルート事件。昭和天皇病気で600万人が記帳。(私も皇居前で記帳しました) 高級車シーマが爆発的に売れ、シーマ現象という言葉が生まれる。

1989年
天皇陛下崩御。1901年生まれの陛下の死で、実質的な20世紀は終わりか。90年代は21世紀的。(バブル崩壊とネット社会の到来で80年代とちょっと雰囲気が違うかな)
ハンガリー複数政党制復活。ソ連アフガンから撤退。ベトナムもカンボジアから撤退。天安門事件で大虐殺。ワルシャワで連帯が自由選挙で圧勝。8月19日に1千人の東ドイツ市民がオーストリアに脱出。19月東独ホーネッカー辞任。ハンガリーが共和国に。11.9ベルリンの壁崩壊。(12年後には、9.11同時爆破テロ)マルタ沖の船でレーガンとゴルビーが会談し、冷戦の終わりを確認。ルーマニアではチャウシェスクが捕まり銃殺。
宮崎勉事件、酒鬼薔薇聖斗事件。ソニーがコロンビア映画買収。

プレイバック1980年代 Book プレイバック1980年代

著者:村田 晃嗣
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年2月11日 (日)

下流喰い

「下流喰い」-消費者金融の実態- 須田慎一郎

アイフルの取立て問題や出資法の上限金利引き下げ、更に現状の格差問題を絡めて、実態をルポルタージュしています。
庶民階層の痛み具合を浮き彫りにする数字があります。05年の個人破産件数は18万4千人を上回り、十年前の住専処理に明け暮れた96年と比べると4倍以上の増加となっています。
消費者金融とは、貸金業規制法に基づいて無担保、無保証で融資するノンバンクのひとつで、一般にはサラ金と呼ばれている貸金業者をさします。
大手各社の業績も96年以降、毎年10%強の伸びを示し、アコム、武富士、アイフル、プロミスの現・大手4社とも営業収益は3500億円を超える。経常利益も最低ラインでも約700億円超、貸付残高は軒並み1兆5千億円を超え、合計すると約7兆円のボリュームになります。(06年3月期)
今や、消費者金融の市場規模は業界調べでざっと20兆円。消費者金融やクレジット各社が利用者に供与した金額を見てみると、住宅ローンを除いた学派03年の段階で約73兆円です。この73兆円という数字は、同年のGDP中に占める民間消費支出282兆円の4分の1です。いかに巨大なマーケットに成長したかがわかります。
一般にクレジットや消費者金融などの借金がかさみ、返済困難な状況に陥っている多重債務者の総数は、現在、推定で約356万人いると考えられています。
その中には、債鬼に追われて失踪したり、自殺に追い込まれたり、年利換算で2000%近い暴利を貪るヤミ金融の餌食となり、全てを奪われた挙句、行方知れずになっている・・・これも日本の現実です。

出資法の29.2%と金利規制法(100万円で15%)の間のグレーゾーン金利は最高裁の判例で認められず、国会でもグレーゾーン撤廃に動きました。
消費者金融会社やクレジット会社は、店舗廃止や人員削減でリストラをはかったり、消費者に返金を迫られた場合に備えて引き当て金を積んだりしています。
今後、貸し出し金利が下がることになりますが、消費者金融業者は、なぜ困っているのでしょう。

本書では、ビジネスモデルが悪魔的だからだと指摘しています。著者が以前、武富士に聞いたところ、年収1000万円の者がいきなり、50万円貸してくださいと来ても、断ることがあるとのことでした。収入が500万も600万もある人には、カネを貸さないそうです。せいぜい年収400万円まで。とくに、年収200万から300万の客が上顧客だそうです。上顧客というのは、子供がおり、住宅ローンもあり、家計のやりくりに困っていて恒常的に金欠状態にある人らしいです。こういう人は、業者としては長いお付き合いが期待でき、金利だけを払い続けるような優良顧客となるのだそうです。大手消費者金融5社の調査(02年度)によれば、新規顧客の71.9%が男性で、年代別構成は30歳未満が44.1%、次に30歳以上40歳未満が23%となっています。年収も新規顧客の81.2%が500万円未満となっています。

大手消費者金融でもトラブルを起こして新聞沙汰になりますが、こわいのは、ヤミ金融です。昔は、貸金業登録の有無が見分けに使われましたが、今はもうそんな時代ではなくなったといいます。神田や新橋周辺の捨て看板やサンドイッチマンが宣伝する携帯電話だけを広告しているような金融やは「090金融」と呼ばれています。このほかにも、債務者が所有する自動車や家具をいったん買い取った形をとった「リース金融」、キャッシング枠だけでなく、カードの利用枠を使って金券やブランド品を購入させ、それを故買商に売って現金化させる「金券金融」「チケット金融」も良く知られているヤミ金です。
やみ金にとって貸付そのものは単なる入り口にすぎず、大事なのは回収であり、そこに意味があるとされます。要は、貸付金利を増やしさえすれば、貸付額が事実上、増やしたことに等しく、回収額はいくらでも増やしていけるといいます。最初に借りた10万円が気がつけば300万円になっている。債務者としては実に不思議なのだが、その無理を厚顔と恫喝で押し通すのがやみ金なのです。
特に、現在では、大手とヤミ金の2極分化が進んでいるようです。特にタチの悪いヤミ金は、携帯と銀行口座を用意して、まさにオレオレ詐欺と同じです。また、自己破産した人を官報から名簿化して、その名簿を売る輩もおり、破産者に金を貸すヤミ金もいるそうです。破産者に無理やりカネを振り込み、それを使ってしまうと、勤務先や親戚、知人にむちゃくちゃな催促、恫喝が行われます。

貸出金利が下がると、メガバンクの傘下になる大手サラ金と暗躍振りで注目を集めるヤミ金に2極化が進むのではないかと著者は心配します。たぶん、中小の貸金業者の経営は成り立たないだろうと。

最後に、著者のするどい言葉を紹介します。テレビでは大手消費者金融がアリバイ工作的に「ご利用は計画的に」といっているが、むしろ「貸し出しは計画的に」と業界内部に徹底させることだと。

下流喰い―消費者金融の実態 Book 下流喰い―消費者金融の実態

著者:須田 慎一郎
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (8)

2007年2月10日 (土)

超・格差社会アメリカの真実

「超・格差社会 アメリカの真実」 小林由美

格差問題の本が多い中、本書は26年間も米国暮らしの女性が、米国の社会構造から説明して、日本で話題になっている格差に切り込んでいきます。最近、日本が階層化してきているといわれている原因はアメリカ型市場経済の導入やグローバリゼーションの影響があるといわれていますが、日本がアメリカと同じようになってきたいうことは本当かどうかを米国在住26年の著者が実感とともに伝えてくれます。

まず、アメリカの現実です。アメリカに住んでいると、この国は4つの階層に分かれた社会だとつくづく思うそうです。その4階層とは「特権階級」「プロフェッショナル階級」「貧困層」「落ちこぼれ」であると。
一番上の「特権階級」とはアメリカ国内に400世帯前後いるとされます。純資産10億ドル(1200億円)以上の金持ちと。5000世帯強と推測される純資産1億ドル(120億円)以上の金持ちで構成されています。その下に位置するのが、35万世帯前後と推測される純資産1000万ドル(12億円)以上の富裕層と、純資産200万ドル以上でかつ年間所得20万ドル以上のアッパーミドルクラスからなる「プロフェッショナル階級」です。
「特権階級」と「プロフェッショナル階級」の上位2階層を合わせた500万世帯前後、総世帯数の上位5%未満の層に、全米の60%の富が集中しています。
残り95%が「貧困層」「落ちこぼれ」だとすると、1960年代に日本人がテレビドラマで見た憧れだった中産階級はどこにいったのでしょか。その中産階級は、70年代以降、徐々に二分化しており、その一部は専門スキルやノウハウを磨き「プロフェッショナル階級」へステップアップしたが、メーカーなどに働く中産階級の大半は「貧困層」への道を辿ったそうです。
著者が昔アメリカへ行ったときに感じたことは、人々は親切でオープンだし、無知や貧困は本人の責任とみなさず、わからないことや困ったことがあれば、政府機関や民間組織も喜んで助けてくれる。みんな自由に発言し、夢を追ってのびのびと生きている。新しい産業が、新しい技術が、新しいライフスタイルが次から次へと生まれていく。アメリカの社会はいつもエネルギーに満ちている。でも、これが人類の求める究極の社会かというと、アメリカの本質を理解した人ならためらうことなく、ノーと答えるだろうと。わずか5%の人が富の60%を持っている現実を見たら、本当に「自由」で「平等」で「民主的」な国だと素直に受け入れられないだろう。
アメリカには、理念と現実の間に隠しようのないさまざまな乖離があるし、その事実を多くの人が感じている。それにも関わらず、形骸化しつつある理念や理想を常に唱え、それを信じて行動しようとする二重心理。それとさまざまな乖離を埋めていくことが出来ると思うオプティミズム。ここにこそアメリカを理解する鍵があるのだといいます。

本書は、米国の歴史から説き起こしていきますので、アメリカ史の勉強にもなります。
なぜ、アメリカ人は特権階層に怒りもせず、「機会の平等」を信じているのでしょう。事実、1980年代以降の情報革命により、ビル・ゲイツを筆頭に多くの新興成金が登場してきましたし、発展途上国からの移民も、下働きから始まり、3世代くらい立つと「プロフェッショナル」になれることも事実です。趣味をビジネスにしたり、培ったスキルやノウハウ、コネを使って金儲けすることはアメリカでは見苦しいことでもいやらしいことでもなんでもない。要するに、金儲けをすることが正しいことであると素直に考えている。
また、How Are You?とたずねられれば、たいていAll Rightとかと応えて、弱音を見せることはない。愚痴を口にはしない。日本人やヨーロッパ人とは全く感性が違う。反面、ストレスは非常に高い。アメリカ人との会話は、オプティミズムに溢れており逆に誰と話しても金太郎飴的に会話になる。一方で移民は、新しい社会に溶け込むために努力し、周囲の人と同じような考え方、行動をすることになり、話題も同じ、意見も同じになる。それが長い間繰り返され、アメリカは文化の多様性がある反面で、公表される意見や目に見える行動には驚くほど標準化されている。
アメリカ人のオプティミズムの底辺にあるのは、「人生こうあるべき」とか、典型的なキャリアコースが存在しないのではないかといいます。「人生は楽しむべきもの」という基本的な人生観も大きな要素です。

自由・平等・民主主義を標榜し、自由競争で活発な市場経済を誇るアメリカ。でもそこにあるのは、封建国家まがいの超・格差社会。それでも人々は明るく元気で、科学やビジネス、技術、スポーツ、芸術などさまざまな分野でクリエイティビティが発揮され、そこで生まれたアメリカン・ライフ・スタイルは依然として世界中に波及していく。
著者が26年前にアメリカに行って感じたことは、やりたいことを追いかけるのは正しいこと、嫌なことにははっきりノーということ、服装やマナーもない、人間関係の上下関係もない、要するに、感じる通り、欲するとおりに行動し、生きることを容認してくれる国だということだった。日本に限らず、伝統的な国から来た人にとっては、「これが自由なんだ」と実感する、生きていて良かったと思う、これがアメリカのすばらしいところなのだろう。

格差が問題になっていることはアメリカでは資産の格差であり、日本では給与や賃金の問題なのだろう。
アメリカは機会平等でスタートし、人々が自由に生きることを容認して、自由を実現した。しかし、平等が後回しにされ、その結果生じた不平等は、個人が自由に生きる機会をも奪いつつある。他方、日本は、個人の自由を後回ししにして、世界でも最高水準の平等を達成した、しかし、人々の精神的な束縛は、今、社会秩序が崩れつつある中で、むしろ強まっているように見える。その原因は、現象面で見れば、平等を維持するために互いに牽制しあう圧力が増して、身動きが取れなくっている。
が、その圧力が増している原因は、アメリカの影響で精神的な成長がないがしろにされ、独立した自由な精神や自尊心を見失ってきたことにあるのではないだろうか。

超・格差社会アメリカの真実 Book 超・格差社会アメリカの真実

著者:小林 由美
販売元:日経BP社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年2月 4日 (日)

RNAルネッサンス

「RNAルネッサンス」  田原総一朗・中村義一

DNAについては、たくさん本も出ているし、何かにつけて遺伝子の話はそこら中で聞きますが、RNAは影の存在であまり話しに聞きません。知っている人でも、RNAといえば、DNAの情報を運ぶだけの存在と思っていた人もいるかも知れません。
DNA解読競争では、世界に遅れをとってしまった日本ですが、RNAはまだ未知の部分が多く、日本にチャンスは残されているのです。
本書は、田原総一朗が、東大教授で、日本のRNA研究の第一人者である中村氏に聞いていく対談集です。

DNAはほぼ解明されてきて、人の遺伝子も寄生虫の一つである線虫もほぼ同じだとわかっています。でも、人と小さな線虫は同じ遺伝子数なのにどうして、こうも違うのでしょう。人はとっても複雑で、ものも考えますし、新しいものも作ります。DNAが変わらないとすれば何が違うのでしょうか。
DNAは同じでも、RNAに違いがあるのです。RNAはDNAとDNAをつなぐ通信網みたいなもので、人のRNAは下等動物に比べて相当発達した通信網の役割を果たしているのだそうです。人のRNAによる通信網はインターネットどころではなく、相当緻密に張り巡らされているのです。
下等動物の通信網というのは、電話線みたいなもので、どこかの家に電話すのにいちいち持ち上げてダイヤルを回して電話をする感じですが、これに対してインターネット的なものが人のゲノムで、どこかのウェブサイトに入って、そこからいろいろなところにアクセスできる、それから、たちどころに検索も出来る。情報ネットワークが発達しているということです。

通信網の正体がRNAだとわかってきて、多くの人の注目が集まってきているのです。
では、RNAの役割とは何なのでしょうか。その第一の役割は、まず遺伝子配列をコピーすることです。RNAはDNAから、たんぱく質を作るのに必要な「暗号」を写し取ります。この写し取るRNAはメッセンジャーRNA(mRNA)と呼ばれます。
次に役割は、たんぱく質を作る装置であること。その装置は大きなマシンですが、RNAをマシン建築の芯にしたり、柱にしたり、RNAという素材を使って、それを動かしています。つまり、たんぱく質の合成をRNAが行うわけです。
これまで、RNAの役割は以上だと思われ、RNAの98%くらいは、ジャンクRNAと呼ばれ、ガラクタ扱いされていました。
ジャンク以外の2%のRNAは実は線虫にあるんだけど、98%は人間しかないのです。
だから、本文の最初のほうで、ジャンクRNAがネットワークの要ではないかと考えたのが、中村先生だったのです。ジャンクといわれていたものが実は宝の山だったとわかり始めてきたのです。ここは、アメリカもヨーロッパもまったく手つかずなので、今こそ正体をはっきりさせるちょうど良い時期にあるのです。
RNAの解明が進めば、医療の世界にも影響が大きそうです。新薬の開発も出来る可能性が大きいのです。しかし、研究の予算を文部科学省に行って、要求するのですが、アメリカやヨーロッパが研究していないものにカネは出さないと言われるそうです。先進国が価値を認めてからでは、もう遅いのです。DNA研究のときもそうです。日本は、早くからイネのゲノム研究などから出発していましたが、ヒトゲノムではアメリカなどに抜かれてしまいました。日本は有用性が確認されるまで、カネは出さないというお役人らしさがいつまでも抜け切れません。また、薬品メーカーも、海外に比べると小さな会社ばかりで、研究開発に投資するカネはありません。
中村先生も東大になっていずに、アメリカやイギリスの大学に行けば、ノーベル賞を取れる研究ができるのでしょうに。

RNAルネッサンス 遺伝子新革命 Book RNAルネッサンス 遺伝子新革命

著者:田原 総一朗,中村 義一
販売元:医薬経済社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 3日 (土)

まっとうな経済学

「まっとうな経済学」  ティム・ハーフォード

著者は、フィナンシャル・タイムズ・マガジンのコラムニストであり、世界銀行グループの国際金融公社の主任ライターであり、オックスフォード大学の経済学部の講師であり、石油会社のエコノミストでもある。
単なる象牙の塔の中の経済学者ではなく、現実社会を理解し、一杯の駅で売っているカプチーノから、交通渋滞、中古車市場、医療、貧困、貿易、地球環境まで、人間の営みに光をあて、経済学的に考えて行きます。

著者も、最初に本書の目的は、みなさんが経済学者の視点に立って世界を見つめる手助けをすることにあると言っています。

スターバックスで少し高い値段のコーヒーをなぜ買うのかを、1817年に書かれたリカードの農業分析から説き起こします。リカードのモデルは、希少性と交渉力の関係を論じるのに役立つといいます。
ただ、経済モデルは単純化されているため、得てして経済学者は道を誤りがちだといいます。リカードのモデルで全てを説明できるわけではないので、それを理解しながら、経済原理を説明したり、正しく理論を応用すれば、環境問題についても、環境法と所得配分などの関係を理解できるといいます。
経済学とは何のための学問なのでしょう。経済とはGDPなどの死ぬほど退屈な統計の集まりではないはずです。経済学とは、誰が、何を、どのような理由で手に入れるのかを知る学問であると。この意味では、きれいな空気や円滑な交通は「経済」の一部である。ただ、人生には経済指標では測れるよりずっと大切なことがあり、それは経済学者だって知っています。逆に、その大切なものの効用によってGDPが上下したりするのですが。

著者のスタンスは、自由市場主義だ。弱肉強食と言うのではなく、不自然な保護政策や規制をはずし、既得権益のない自由市場にゆだね、最適なコストで経済を回そうとします。
フェアトレードに対しても、既存の見方とは違います。フェアトレード商品といって、少し高い値段でも買おうとする人は多いですが、その少しのカネで、アフリカの貧困がどれだけ救えるのかという疑問を投げかけます。ナイキなどは貧困な国の低賃金の労働者を使って非難を浴びたりしますが、だから、不買運動をしてもいいのだろうかと。低賃金でも、何もないより、その人々にとっては、いいはずだと。搾取といわれるかもしれないが、極貧より、低賃金でもそのほうがいいのです。精神性の世界でのお話ではなく、経済的に何が正しいのかを考えなければならないのです。自由貿易は誰にとっても善だといっているのではないが、感情に流されずに考えなければなりません。

グローバル化についても著者は言及しています。最貧国は、グローバル化によってもっと貧しくなるとか、先進国に搾取されるかと言った論議がありますが、著者の調べによれば、最貧国と呼ばれている国がグローバル化と呼ばれている世の中で、先進国と貿易をしているなんてほんのちっぽけな割合でしかなく、グローバル化の影響を受けるわけはないと言います。現実を正しくみれば、情緒に訴えたマスコミに踊らされず、単にグローバル化という名に善か悪かのレッテルを張ることを戒めているように思えます。
中国の大躍進も搾取工場で働かされた労働者があったからこそ、今の中国があります。誰が、搾取といわれる行為を責めることができるのでしょう。これは極めて難しい問題です。

しかし、経済学は、単に数字を追うのではなく、人間を追う学問であり、人間がよりよい生活を得られるのに使われる学問であるといいます。経済学は合理性一辺倒ではなく、意外と人間的なものである。経済を動かすのは結局は「人」であり、人を動かすのは、「心」である。
著者は、さすがに市井の経済学者であり、さめた目で、現実とその中にある経済の原理を見ぬきます。タイトルの「まっとうな」という言葉も本書を読めばさすがと思わせます。(原著はThe Undercover Economistで、覆面経済学者という意味です)

まっとうな経済学 Book まっとうな経済学

著者:ティム・ハーフォード
販売元:ランダムハウス講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (6)

2007年1月27日 (土)

ケータイの未来

「ケータイの未来」  夏野剛

ドコモがiモードを立ち上げたときに、ドコモが松永真里をリクルートからスカウトしてきましたが、そのとき松永が引き連れて、ドコモに乗り込んだのが本書の著者である夏野です。今やNTTドコモの執行役員にまで上り詰めましたが、通信業界では異端児で、だからこそiモードをここまで引っ張ってきた人物です。ドコモ社内ではそうとう浮いていて扱いは難しそうな人物ではあります。
本書では、夏野が描くケータイの未来を示してくれます。これまでは、通話料とデータ通信料が利益の柱でしたが、今や、データ定額制などで、通信会社が受け取れる利益に限界が出てきました。著者の考えるケータイの今後の収益源は、金融リテールです。ドコモは、個人の消費活動にあわせた総合的なサービスを提供するといいます。ケータイはユーザーとともに進化しており、それが「通信インフラ期」「ITインフラ期」から「生活インフラ期」へ移行していると考えています。

数字で見てみると、モバイルコマースの市場は、2004年度は9710億円以上になるといわれており、1兆円をうかがう規模に成長していることがわかります。
iモードに続いておさいふケータイやクレジット機能が個人のライフスタイルを変えるのだといいます。真に強い企業、影響力がある企業は、ユーザーのライフスタイルを変えられるのであり、ドコモはそれができるとします。

ドコモは、はじめおさいふケータイを初め、三井住友カードと組んで、iDを初め、今は、自前のクレジットであるDCMXを立ち上げています。なぜ、ドコモは、金融分野に攻め込んでいるのでしょうか。
第一の理由は、クレジットカード産業は急速に伸びている産業であるからです。日本経済の中で、あらゆる産業が成熟している中で、取扱高が2年ごとに2~3兆円ずつ増えているのです。日本の消費者向け市場の中で、ここ数年ケータイ市場が高成長を遂げていますが、クレジットカード産業はそれを上回る成長を保ちつつ、今尚、膨らみ続けているのです。
ここに目をつけ、ケータイ1台当たりの取扱高を上げようというわけです。

ドコモは、5000万人以上にケータイを持ってもらっており、クレジットサービスを持ってもらうには、いいポジションを持っています。また、これまでの通信料などの支払い状況もわかっており、与信に関しては有利な状況にあります。
著者が、著者らしいのは、単にクレジットサービスをドコモが提供して、生活を便利にするだけでなく、デザインでもあたらしくかっこよくなくてはならないというところです。今ある、コンシューマー金融サービスには、必ずしもブランド戦略があったり、かっこよさを追求しているようには見えないといいます。著者は、日本でのクレジットカードの利用率を上げるひとつの方策が、クレジットカードを使うことの楽しさやかっこよさにあるのではないかといいます。
そして、数年後には、ドコモは電話会社ではないと呼ばれていないかも知れないし、それが望ましいと考えています。

本書のほとんどは、よく考えるとドコモの戦略を書いているもので、一体、未来はどこに思っていたら、最後のほうに、著者が考えている未来が書いてありました。未来といっても20年先くらいの未来です。まず、形状がかなり変わった端末が登場しているといいます。著者が未来を想像すると機能より、形状の進化に興味を持っているとのことです。iモードを考えたときには、インターネットが普及していく中で、コミュニケーション機能と情報配信機能で生活が便利になることは予測できたことであり、今後も、ライフスタイルが大きく変わらない限り、機能も大きく変わらないと予測します。
著者の考えるケータイは、小さな画面でなく、バーチャルなスクリーンを投影して、それを見たり、キーボードもテンキーではなく、フルキーボードがバーチャルに現れてそれを操作するとかいうものです。
これも、12チャンネルのワールドビジネスサテライトのトレンドたまごに登場しているような話だと思いますが。

本書を読んで、ドコモの目指す方向はだいたいわかったような気がしますが、auは、ますますコンテンツを豊かにしているような気がしますし、ソフトバンクは、月額980円で、定額制になってきた通信料をもう一度従量制に戻すような動きがあるように見えるし、なかなか目がはずせない業界です。

ケータイの未来 Book ケータイの未来

著者:夏野 剛
販売元:ダイヤモンド社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年1月26日 (金)

戦争経済に突入する日本

「戦争経済に突入する日本」   副島隆彦

私が読む傾向と違う本ですが、いつもの経済とは見方も違うので読んでみました。
著者は、船井幸雄氏の「日本壊死」という本を読んだこともありますが、世界経済の裏には、ヨーロッパのロスチャイルド系と米国のロックフェラー系の2つの大財閥の企みが働いているとの世界観からの話だったと思いますが
本書もその世界観に立っていると思います。

世界経済は戦争を必要としています。ジョージ・ブッシュを操っているのは、ロックフェラーであり、戦争によって、武器の在庫を掃かせて、武器製造企業を潤わせるとともに、逆ケインズ政策で、公共投資ではなく、公共破壊で新たな需要を喚起させようとしているというのです。
書店で、「9.11テロ捏造」という本が出ていますが、内容は、9.11はブッシュによる捏造であり、戦争をするために手段として自作したと言うものだと思います。本書でもそれは事実だとしています。

著者の見方としては、現在は日中戦争前と似ており、歴史は70周年周期で繰り返すと言います。読んでいるとけっこう怖い話です。
少なくとも来年は経済成長が続くとする意見を多く見ますが、本書では、やがて米国は、トリプル安に見舞われ、ダウは1万円を切り、ドルは100円を割ると言います。

最後に、株や国債などのペーパーマネーには手を出すなと説いています。これからは、実物経済に時代だと。コモディティ(金、銀、銅、原油、大豆、とうもろこしなど)など商品が重要であると。
最近は、金も値上がりしているし、今後の中国やインドの成長を考えれば、実物経済の重要性は高まってくることは確かだと思います。

本書の見解に賛成するかどうかは別として、世に中にはいろいろな見方があることも知る上では、一読しておいても面白いかなと思います。

戦争経済(ウォー・エコノミー)に突入する日本―見せかけの「景気回復」の陰で国が企んでいること Book 戦争経済(ウォー・エコノミー)に突入する日本―見せかけの「景気回復」の陰で国が企んでいること

著者:副島 隆彦
販売元:祥伝社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年1月21日 (日)

これからの10年、新黄金時代の日本

「これからの10年、新黄金時代の日本」 ビル・エモット

ビル・エモット氏といえば、「日はまた昇る」や「日はまた沈む」など昔からの日本経済を見続けているエコノミスト。それも英国「エコノミスト誌」の前の編集長です。
景気回復という言葉が実感できない日本人に、少し力を与えてくれるような本です。タイトル通り、これからの10年は日本の黄金時代が来るというのです。ただし、日本が世界経済の覇者になるとは言っていません。やっと正常で豊かな先進国に戻ってきたくらいでしょうか。
少子高齢化問題や格差問題、年金問題などが山積していますが、これらがあるから、まだまだ、経済問題が解決されていないと思うのではなく、他の先進国と同様の問題を抱えているのであって、経済が復活していないという見方は誤りだとします。
著者は、世界経済や政治を長らく見てきた立場として、日本人に安心感を持ってもらいたいと思い、本書を書いたと言います。

日本では、ホリエモンや村上世彰の事件から、市場原理主義になったわけではなく、経済スキャンダルは昔からあり(ロッキード事件など)、むしろ、今こそ法律が厳格に施行し、事業経営の倫理基準が引き上げられると考えています。

ただ、今後、何もしないで10年安泰といっているわけではなく、生産性の向上がなければ、生活水準の引き上げはないとの注文も忘れていません。生産性の向上こそ、より高い賃金や利益を生むお金を作り出すものだからです。(最近、第三次産業の生産性の低さについては、OECD先進国の中でも日本は結構下位でしたよね)

また、日本の様に大規模経済になると、政府がどの分野を伸ばそうかと考えるのは無駄だと言います。ナノテクなどに予算を投じていますが、民間が自分自身で考え出さなければならないとダメだと。

日本は、人口が減少し、労働力不足になりますが、次の条件がそろえば、構造的に景気拡大を続けることができます。第一に、競争からくる圧力により、革新が行われる。二つ目が銀行や金融市場が規律正しく振舞うこと。さらに、重要なことは、研究分野に対して多額の投資が必要なことです。

日本が中国やその他経済がもっとも急速に伸びている地域に隣接することも大きな幸運らしいです。中国などの興隆に日本は助けられているのです。
また、収入格差の問題も労働力不足が起こってきており、企業も労働者をより多く確保しなければならず、所得格差は間違いなく解消の方向だと信じると言います。

世界は日本を重要で普通の国であると見てきたとも言います。それはイラクへの自衛隊派遣によります。(イギリス人から見ると、やっと世界の一員と見たのでしょうか)そして、世界は日本の経済復活を歓迎すると。

著者の意見を読んでいると、結構、励まされますが、安倍内閣が改革を続行し、経済成長戦略をしっかりとらないといけないということですよね。

これから10年、新黄金時代の日本 Book これから10年、新黄金時代の日本

著者:ビル エモット
販売元:PHP研究所
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年1月20日 (土)

グーグル・アマゾン化する社会

「グーグル・アマゾン化する社会」  森 健

今年の前半から、ロングテール現象など騒がれましたが、ちょっと待ったをかけた本です。立ち止まって、よーく考えてみようという感じです。

アマゾンの販売額の多くが売れ筋商品外だったり、グーグルのアドセンスやアドワーズで、地方の小さな商店のものが売れたりしましたが、今はどうなのでしょう。
検索連動広告で売り上げを劇的に伸ばした小さな商店や会社がたくさんありましたが、一方で、それらは一時的な現象であったことも、また事実です。検索連動をやめた途端に売り上げがそこそこになってしまったところも多いようです。
膨大な情報がウェブに広がるなかで、ロングテールのような現象が機能しているのは事実でしょう。しかし、現実には、誰もがグーグルやアマゾンのような成功を享受できるわけにはいきません。小売にしても、ロングテールを享受できるのは、在庫スケールを持っているトップ企業だけかもしれません。さもなければ、相当、ニッチな商品を扱うかです。結局、ウェブから広く薄く利益を集められる「勝ち組」は、ごく一部のヘッドでしかなくなりつつあるようです。商品の多様化で利益を得るロングテールは、その裏返しとして、ヘッドという一極集中を招くのではないかと。

本ブログでも、トーマス・フリードマンの「フラット化する社会」を紹介しましたが、本書では、「フラット化」という局面を修正して、巨大な一極化とフラット化の社会ではないかと言います。

本ブログで10月14日に「複雑な世界、単純な法則」という本を紹介しました。その中でネットワーク理論を紹介していますが、インターネット=ウェブだけでなく広く世の中のネットワークにもあてはまる理論であり、ネットワーク内に多くを集める中心が出てきます。アマゾンやグーグルのように一極に集中するハブまたはノードと呼ばれるものができるのです。
集中する場所となるとスケールメリットが働き、一番のところに更に集中が起こり、お金持ちがさらにお金持ちになるという構造が生まれます。
例えば、書籍が売れるのも、内容より「売れていること」にこそ訴求力があったりします。
また、SNSのように閉じた集団が流行っていますが、集団の一極化が生じ、偏った情報が流通する可能性もあります。

私たちユーザーが気をつけないといけないことは、スケールフリーネットワークによって一極集中が進む社会にあって、いかに多様性や異質性をくみ上げる必要があるのでしょう。

グーグル・アマゾン化する社会 Book グーグル・アマゾン化する社会

著者:森 健
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (5)

2007年1月14日 (日)

「性愛」格差論

「性愛」格差論    斎藤環・酒井順子

本書は、格差論と名があり、性愛という言葉があるので、ひょっとしたら、モテル、モテナイという格差論かと思われそうですが、そうでもない一筋縄でない対談集です。斎藤氏は精神分析の
医者でオタクや萌えの研究での第一人者、酒井順子はいわずと知れた「負け犬の遠吠え」で有名な作家。二人の世の中を斜から眺めたような、また、心理面から奥深く見たような意見の交換です。
単に負け組み、勝ち組では語りきれない格差について考えさせられます。

斎藤氏は、希望が持てないだけでなく、絶望的なことを語りながらも、意外なほどあっけらかんとした「明るさ」が見えるといいます。つまり、希望だけでなく、絶望することも困難なのだと。
格差は大きな流動性から生まれますが、極端に流動化するとマネーに関すると富める者がますます富めるようになります。また、教育なら、ますます偏差値の格差が広がります。本書の性愛ということからは、モテル人間はますますモテル。それは、モテル人間はもし失恋しても(リスク)すぐに相手を見つけられる(リスクヘッジ)ので、失恋のダメージは少ない。だから、気軽に異性を誘い、結果としてますますモテルことになるということです。

本書で取り上げられる愛の形として、「負け犬」「おたく」「ヤンキー」「腐女子」といったトライブ(部族)が登場します。サラリーマンの私としては、まさに知らない世界を垣間見ることができる一冊です。

斎藤氏の分析によると、最近のデータから初交年齢(初体験)が上昇しているそうです。理由としては、男性が情勢並みに関係性に配慮し始めたこと。(ファッションセンスに現れているといいます) もうひとつが、多くの男性が「所有」の欲求を生身の女性以外の対象で充足してしまって、現実の男女関係に踏み出さなくなった感があること。さらに、男性に関しては、「据え膳食わぬは・・・」的な悪い意味での男性原理が希薄になっていると。時折、日本でもスーパーフリーみたいな犯罪が起こりますが、国際的に見た場合の性犯罪率は相当低いようです。
性欲が低下したというより、「優しさ」へのシフトへと好意的に捉えることもできるといいます。
また、社会規範をみると、かつての規範が緩み、男性は無理に押し倒さなくてもいいんだとなり、女性はもっと積極的にふるまっていいんだとなり、現在は、一過性の均衡状態にあるのではないかともいいます。

酒井氏は、負け犬女性の立場から、結婚について言い訳できない時代になって来たといいます。バブルの時代は、女性側に「結婚なんてしなくていいわ」という意識があったし、キャリア確立のために非婚の言い訳が出来たのですが、今や、結婚も子供も仕事もという雰囲気があると感じているようです。逆に、言い訳が出来ない時代だからこそ、居直って「負け犬」が登場したのかも。

本書が面白いのは、二人の対談が、わざわざ、秋葉原でメイド喫茶に言ったり、池袋の乙女カフェにでかけ、実際の若者を見ながら対談するので、相当リアリティがあります。酒井氏は秋葉のロリコンポルノにはいいてけっこうショックを受けたようです。女性だけでなく、普通の男子にとっても理解はしがたいでしょうが。「萌え」ということばを斎藤氏が定義しています。いろいろ解釈はあるだろうけど、結局、「脳内恋愛」であり、現実の実態のないキャラクターに対して強烈な恋愛感情を抱く状態を意味していると。要するにオタクかどうかの分かれ目は、アニメやゲームの独特の絵(髪の毛が緑色だったり、目が顔の半分近くあったり)に欲情できるか否かだと。
初交年齢が高くなっていると、最初に書きましたが、オタクは、風俗にもあまりいかないということです。これはプライドの問題が大きいということです。性関係に対して理想も高く、潔癖症だったりしますし、性だけでなく、対人関係においても潔癖症があったりして、風俗に近づかないようです。

さて、最近はオタクが脚光を浴びているようですが、若者文化を大雑把にわけると「オタク」「ヤンキー」「サブカル」の3つに分かれます。一説によると、ヤンキーは日本人の7~8割を占めるとまで言われています。
先日、各地で成人式が行われましたが、毎年暴れまわっているのはヤンキーであり、言われるとよく目にする気もします。また、渋谷などを歩いていても、ヤンママが子供を二人くらい連れて闊歩しているのを見ます。
経済的に見ても、大きなマーケットを持っているなずで、パチンコ産業30兆円を支えているのも、ヤンキーではないかと考えられ、ヤンキーをよく研究し、それが支える文化を考えないといけないのでしょう。ヤンキーといえば、カネがないと考えがちですが、ヴィトンなどの高級品や光物をささえてもいるのです。

本書で私が知らなかったのは、「腐女子」というものです。やおい愛好者を腐女子と呼ぶのだそうですが、そもそも「やおい」とは、「やまなし」「おちなし」「いみなし」の頭文字をとったもので、女性が女性のために創作する男同士の性愛を描いた作品ジャンルのことだそうです。池袋に乙女カフェというものがあり、宝塚歌劇のような男装の女性が相手をしてくれるそうです。
美男同士のセックスを描いたマンガを本屋で見たことがありますが、男子としては気持ちが悪いですが、ひとつのジャンルとして確立しているのですね。本当は、マンガのようなゲイではないでしょうが、まさに女性が作ったゲイのあり方のようです。

全体を通しては、80年代は努力やセンスや外見次第で差はどうにでもなるということがわかってきた時代で、そのジタバタが面白かった時代だったのですが、今は明らかにジタバタする人は少なくなってきています。
三浦展の「かまやつ女」などを読むと、ジタバタが全くないのが良くわかります。酒井氏は時代が「緩くなった」と表現しています。斎藤氏は、上の世代が「もっと希望を持て」という叱咤激励は、それこそ余計なおせっかいかもしれないといいます。
本書では酒井氏が斎藤氏にオタクややおいなどを教えてもらいながら対談をしていくのですが、酒井氏が気になったのは、それぞれの文化である島に「男だけ」とか「女だけ」とかひとつの島にひとつの性しか住んでいないケースが多いことに気がつきます。酒井氏の「負け犬」も女性同士の世界ですものね。日本では、小さな島同士の間では互いに理解しあう風潮が生まれているようだが、実は男と女という最も基本的かつ最も大きなトライブ間で、「どっちが勝ちか」とか「どっちが幸せか」といった諍いが盛んに行われ、その結果、「もういいや」と同性同士が固まるようになっているのではと推測しています。
両者の距離を遠くさせているのは、性愛ですが、両者の距離を近づけるのもまた性愛なのでしょう。

「性愛」格差論―萌えとモテの間で Book 「性愛」格差論―萌えとモテの間で

著者:斎藤 環,酒井 順子
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年1月 7日 (日)

富の未来

「富の未来」  アルビン・トフラー、ハイジ・トフラー

かつて「第三の波」などの著書で未来を予言した著者ですが、それが、今や現実となり、現代に起きている事象を幅広く捉えて見せてくれています。
30年近く前になるでしょうか、昔、ダニエル・ベルという社会学者が「脱・工業化社会論」を発表して以降、本書のトフラーはじめ、堺屋太一の「知価社会」やレスター・サローの「知識資本主義」など数多くの著作が生まれていますが、本書は、まさに、時代が音を立てて変わろうとしている最中に、工業化社会以降を総括したような内容になっています。

トフラーは、本書で取り上げる革命的な変化は、産業革命に匹敵するか、それを上回るほどの大規模な激変であるといいます。相互に関係がないように思える何千、何万もの変化が積み重なっていく、新しい経済体制となり、産業革命によって、「近代」が生まれたように、まったく新しい生活様式と文明が生まれる、そういう激変であると。

本書のタイトルで「富」という言葉を使っていますが、ここでいう「富」は金銭だけを意味するものではありません。生活を支えているものには、もうひとつ、ほとんど探求されていないが、じつに魅力的な並行経済があると言います。この並行経済でわれわれは、金銭を使わないまま、多数の必要や欲求を満たしており、この二つの経済、金銭経済と非金銭経済を組み合わせたものを、本書では「富の体制」と呼んでいます。

新しい富の体制は、めったに登場しないし、登場するときには単独では現れません。それぞれの富の体制には、新しい生活様式、いいかえれば新しい文明が付随します。企業組織が変わるだけではなく、家族制度、音楽と美術、食料、ファッション、人の美しさの基準、価値観、宗教観、個人の自由についての考え方も変わります。
よくも悪くもアメリカは、いま、富の創出の革命的な方法の中心に築かれた文明の最先端にいます。本書では、多くをアメリカの事例を元に(もちろんアメリカ人の読者を意識して)書かれています。アメリカの革命的な富の体制とそれに伴って起こった社会と文化の変化は、世界的な反米感情となっていますが、しかし、そのアメリカもいつまでも、この革命の先頭を維持できるかはわからないのです。

富の移動という観点でみると、人類の歴史上最大級の移動が起こっていると言います。それはアジアへの移動です。欧米が圧倒的な経済力を長期にわたって誇ってきたために忘れられていることが多いのですが、わずか500年前、技術力がもっとも高かったのは、ヨーロッパではなく、中国であり、世界経済生産の65%をアジアが生み出していたのです。1980年代に中国政府が共産主義者らしからなく、富の追及を認め、奨励する政策をとるようになって以降、90年代には水門が全開になりました。2003年までに、アメリカ企業は総額450億ドルを投資し、さらに中国製品に巨大な市場を提供しています。この2003年がアジアにとっての分水嶺となりました。中国にシンガポール、韓国、台湾を加えると、購買力平価で換算したGDPがヨーロッパの5台大国(ドイツ、フランス、イギリス、イタリア、スペイン)の合計に等しくなっています。もちろん、この数字には日本もインドも加わっていません。
日本やインドを加えると、アジア6カ国で、EUに加盟する25カ国の合計より、そしてアメリカより、購買力平価で換算したGDPが3兆ドル多くなります。
世界的に見て、富の中心が、そして富の創出の中心が大きく移動してきたのです。経済の中心がまずは中国から西ヨーロッパに移動し、次にアメリカに移動し、今では歴史の大きな円運動が完成して、数世紀ぶりにアジアに戻ろうとしているのです。

本書では、単に富の中心が変わっていることを言っているのではありません。工業化時代は石油が中心でしたが、知識がそれにとって変わろうとしています。石油は使うとなくなりますが、知識は使っても減るものではありません。逆に増えていくものです。既存の経済学は資源配分に関する科学だといわれていますが、もはや経済学の基盤も通用しなくなってきています。

全体を整理すると、第一に世界ではいま、富を生み出す方法の歴史的な変化が起こっている。これは新しい生活様式、新しい文明の誕生という大きな動きの一部であり、今のところアメリカがこの動きの最先端に位置している。
第二に、企業や経済専門家が詳細に渡って検討している「基礎条件」は表面に近い部分にあるものであり、そのはるか下に「基礎的条件の深部」がある。そして時間、空間、知識を中心に、基礎的条件の深部にある要因との関係をわれわれは革命的に変化させている。
第三に、金銭経済はもっと大きな富の体制の一部でしかなく、ほとんど注目されていないが、「生産消費活動」と呼ぶものに基づく世界的で巨大な非金銭経済から提供されている価値に依存している。

本書では、日本についても1章を割いて、日本に残る古い体制についての記述があり、興味深く読むことが出来ます。新たな時代に適応するための軋轢を感じられます。
本書は大作で、話があちこちに飛びまくりですが、知識やプロシューマーという概念が目に焼きつきました。時間があれば、一度は読んでおいて損はしない本だと思います。

富の未来 上巻 Book 富の未来 上巻

著者:A. トフラー,H. トフラー
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

にほんブログ村 経済ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (6)

2007年1月 6日 (土)

数学的にありえない

ダビンチ・コードが好きな人には、うってつけのミステリーということで読んでみました。
さすがに、ストーリーは一ひねりも二ひねりもあって面白いので、あっという間に読むことができましたが、私の感覚としては、ダビンチ・コードのように知的冒険を期待していたのですが、ちょっと肩透かしです。
タイトルは「数学的に・・・」なので、もっと数学の公式や定理を使った話を期待していたのですが、ちょびっと量子論が語られるくらいで、知的好奇心をくすぐるものではありませんでした。
ミステリーか、ハードボイルド小説としては、もちろん面白いですよ。たぶん、ダビンチのような知的冒険を期待したのが私の不覚でした。
あらすじは、話せませんが、主要登場人物として、ロシア人のCIAスパイが登場するのですが、そこで使われていたパソコンがソニーのバイオでした。先日、映画で007を見たので、スパイがバイオを使うのかと思ってしまいました。(007はソニー映画なので、バイオを使うのは当たり前ですが)
それと、007と共通なのが、ポーカーの勝負がかかっていることです。007は、相手を観察して手を読むのですが、本書では、主人公の予知能力が鍵となります。

毎度、ビジネス書ばかりですが、たまには娯楽小説も、頭をスッキリさせてくれます。

私の主治医もこの本が好きだといっていたので、感想を述べたところ、本書の面白さがわからないのは理系の頭が無いからだといわれました。本当に、全編に、知的なところがあり、数学的にありえないと言うことは、光速より早い思考がもたらすもので、それが理解できないと、本質がわからないのでは、とのこと。思考が光速に近づけば、相対性理論によって、自分より相手の時間が速くなり、相手の未来が見えるのでしょうか?私にとってはそれさえわかりません。

数学的にありえない〈上〉 Book 数学的にありえない〈上〉

著者:アダム ファウアー
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年12月31日 (日)

日本経済は本当に復活したのか

「日本経済は本当に復活したのか」  野口悠紀雄

2007年は、株価でみれば1万7千円を越えて終わりました。ゼロ金利も解除されました。いざなぎ景気も越えました。でも、人々にとって実感のない景気回復と言われています。本書は、野口先生がそんな経済をどう見ているかを語ります。
著者は、10年以上かかった低迷期を脱したという見方には組しません。企業利益が堅調にあるのは事実ですが、次の点に留意しなければならないと。
第一には、株価上昇率が利益増加率より高く、バブルを考えないといけません。第二は、増益が一部の業種に偏っていることです。第三に、最も重要なこととして、企業業績の回復は、循環的・需給的な要因によるものであり、構造的要因によるものではないこと。
つまり、企業収益が回復したといっても、鉄鋼をはじめとする古いタイプの資源・素材関連産業が一時的要因で息を吹き返しただけだといいます。

著者は構造的な景気回復でないと言っています。上で述べましたが、日本の経済回復は第2次産業の回復です。今後、金融やサービス、ITの分野など第三次産業が伸びなければならないはずです。2次産業は、今後、中国など次の世代を担う国家に移るはずです。まして、インドなどは、第2次産業を越えてIT分野を伸ばしています。中国も、いつまでも工業だけではないと理解しているはずです。流通などは日本よりも、改革を進めようとしているのではないでしょうか。
著者は、金融分野の例を上げます。メガバンクのMUFGは過去最高の利益を上げましたが、実は本業の貸し出しでは利ざやが少ないものです。なぜかというと、リスクを評価して貸し出す能力がないからだといいます。金融の基本的な能力が欠けており、グローバルな世界で戦えるのでしょうか。第三次産業の中核的な分野である金融はますます欧米と差がついていくかも知れません。
また、アメリカでは、グーグルやマイクロソフト、シスコシステムズ、インテル、ヤフー、アップルなど、未来を開く企業が多数出てきます。
トヨタがGMを抜いてしまうとか、もうアメリカの自動車産業は終わりだという話はよく聞きますが、アメリカは自動車産業にとって変わる産業が育っています。まさに、構造的な変化が起こっているのです。
これに対して、日本はどうでしょう。結局、今、経済が好調なのは、鉄鋼などの素材産業や自動車産業、機械産業などで、未来を開く産業とはいえません。今、好調な産業は、きっと、中国や韓国を初めとする国々に移っていく産業のはずです。
20世紀産業が好調で喜んでいる場合ではないのです。5年後、10年後を考えると、21世紀を担う産業の育成が求められています。

本書で面白い指摘は、流通と少子化についてです。
人口が減少していることは事実ですし、それを悪いことにようにいう風潮に対して異議を唱えています。いまさら、少子化対策を取ってどうなるかと言っているところは面白いです。今、少子化を止めて子供を増やすということは、逆に、非生産人口を増やすことになり、増えた子供が生産性を増やす頃は、20年以上先のことであり、それまでの20年間は、逆に歳費が増えることをどう考えるのかと問います。少子化が急に止まる事は無いのだから、それにあった社会・経済の構造を築いていくべきで、少子化が悪いことばかりではないはずだと。国のGDPが減っても、一人当たりのGDPが増えれば、国民は幸せになるはずです。
そのなかで、流通は非常に非効率な部門であることは日本人なら皆、認めることでしょう。
しかしながら、今、大規模店舗法に変わり、あらたな規制が作られ、大規模な商業施設を規制し、寂れた駅前商店街を守ろうとしています。規制は、既存の人々の暮らしを守りますが、そのためのコストは商品価格になってわれわれに戻ってきます。人が減っていく中で、効率的な流通を生かさず、既存の労働者を守ろうとするなら、当然、人が必要になりますし、国民負担も増えます。
少子化にあわせて、効率をあげる、つまり生産性を上げる方法はあるのです。
本当に生産性をあげて経済を活性化させるという安倍政権の政策がありますが、構造的な改革が本当に求められてりと感じます。安倍総理の掛け声だけで終わらないことを願います。

日本経済は本当に復活したのか Book 日本経済は本当に復活したのか

著者:野口 悠紀雄
販売元:ダイヤモンド社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月30日 (土)

会社の寿命10年の時代

「会社の寿命10年の時代」   道幸武久

会社の寿命との10年とは、何でしょうか。ひとつのビジネスモデルの寿命のことです。ビジネスモデルをひとつしかない会社の寿命は10年しかないということです。その中で、そのための私たちも準備をしておかなくてはならないといのうのが本書の趣旨です。

この時代にも日本人、いや日本の経営者は日本型の経営システムがすでに不合理なものになっているのに変えることができないのでしょうか。経営者はもちろん、そのことは百も承知です。わかっていても、改めたくても改められないというのが実情です。

会社は、新卒採用して終身雇用、社内に明確な序列をつくり出し、良くも悪くも「村社会」とさせてしまっています。
村社会では、社内のルール、社内の人間関係が最優先事項となり、誰もが「個の事情」より「仕事」を優先するようになっていきます。
日本社会に根強く残る「仕事は個の事情より優先されるべきだ」という価値観は実は突き詰めるとこの村社会に行き着くのです。
成長期は会社人間となっても、会社の発展とともに自分も成長、収入アップを感じることが出来ましたが、バブル崩壊後の今は状況が一変しています。
村の掟を優先させようとすると、新卒採用をやめ、最終手段としてリストラということになります。

この会社の寿命10年の時代に生きていく上で、選択肢は2つしかないと著者は言います。
プロフェッショナル・マインドを磨き、「その道のプロ」として生きるか。努力を惜しみ、「下層サラリーマン」の道を歩むか。極端に言えば、選択肢はこの2つだと。

たぶん、これからの5年間は日本は大きく変わると著者は言います。そのとき、人は人生を大きく左右する選択をいくつもしなくてはなりません。そのときに何を選ぶのかは人の自由ですが、その選択が自分の未来を左右するものであることを自覚しなければなりません。
選択した結果が成功か否かと、後悔するか否かは別だと考えなければなりません。多くの人は失敗=後悔と思ってしまいますが、それは違います。失敗しても、それが必要なステップだと思える人はいます。
それは、自分の「人生設計(ライフプラン)」を持っているかいないかの違いです。

いかに大切な人生設計を描けるかを手引きしてくれるのが本書だと思います。

自分の資産のたな卸しをして、自分を知ることから、年収が下がる前にどう手を打てばいいのか、意識をどう変えていかなければならないのか、などなど。最終的は、自分のプチブランドを作るというところに持っていかなければならないと言うことでしょう。

先日、ワタミの渡邊美樹社長の話を聞きに行きましたが、夢をあきらめるな、という話でした。大学生くらいになると、世の中がわかってきて、妥協をはじめ、会社選びも自分の夢とはかけ離れたところに就職すると言っていました。そのとき、どうなるか。結局、20代から60歳までの人生でとっても大切な時期を自分の時間を切り売りして生きていくだけの生活になってしまっていると。夢をあきらめてしまえば、そこで生きがいのある人生は終わりになってしまいます。せっかくの人生です。働くことは人生の大きな部分を占めます。働くことに生きがいや夢が無ければはかない人生になることでしょう。ワタミ社長も夢を描きそれを実現する方法を社員に教えていますし、自身が理事長をする学校でも生徒に夢の実現方法を教えています。

本書を読みながら、著者の言っていることと、ワタミ社長の話を重ね合わせてしまいました。
夢を実現させるためのライフプランって大切なことですよね。でも中年の私には、ちょっと厳しいかな。(そんなこと言ったらおしまいですね)

会社の寿命10年時代の生き方 Book 会社の寿命10年時代の生き方

著者:道幸 武久
販売元:サンマーク出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006年12月23日 (土)

中学生への授業をもとにした世界一簡単な株の本

「中学生への授業をもとにした世界一簡単な「株」の本   監修・松本大

この本は、マネックス証券主催の小学校5年生から中学校3年生を対象に行ったお金や株についての授業「株のがっこう」をもとにしたものです。
本の前半は、授業内容。後半は、7人の小学生や中学生の作文や感想が載っています。

子供向けの授業なのですが、株取引の基本が教えられていて、読んでいると、今更ながら、「ああ、そうだよな」と基本を忘れた自分の姿を反省させられます。

この企画は、マネックスが子供にお金や株の勉強を教えるために、作文で選ばれた小中学生に授業を受けさせた後に、10万円を渡して、実際に取引をしてもらいレポートを書いてもらうものです。結果は、当時経済状況も芳しくなかったこともあり、全員、最初の10万円を割ってしまいます。
松本大は、もともと、儲けることが目的ではなく、投資を通じて社会とつながっていることを理解してもらうことにあったと言います。逆に、実際に投資経験をすることで、株は上がったり下がったりするし、もうかったり損したりするものだということを、実感として理解してもらったことがよかったと。

本書では、3日間の授業の内容がそのまま収録されていますが、まさに基本です。株式投資をするうえで、重要なことは3つ。①長期投資、②会社選び、③分散投資、ということです。当たり前なことのようですが、デイトレーダーが稼いでいるのを見ると、少し上がっただけで利食い売りなんてしていませんか。私はすごく迷ってしまいます。小学生に授業を読んでいて今更ながら、当たり前のことができなかったり、欲におぼれてしまうなあと感じました。

また、長期投資が大事だといっても、買った理由もノートに買っておきなさいと指導しています。なぜなら、買った理由がなくなったら、それが売り時だからです。理由がないのにそのまま持ち続けて、また利益が出てくるかな、なんてスケベ心を持ってしまうのが人間ですよね。私には、この言葉が一番ぐさりときました。株をやってられる方なら当たり前のことかも知れませんが、私のような素人には参考になる本でした。

本書の後半は、7人の子供たちの作文やこの学校の終了時のレポートが載っていますが、みんな子供なりにすごく考えていて、感心しました。本当に10万円というゲンナマを使って、取引をするのですから、子供なりにいろいろと考えていることが手に取るようにわかります。株を通して、日々のニュースを気にするようになったりで、こんな勉強もありだと思えました。

私も子供に株でも買わせようかな。(しかし、その前に、家計が玉切れしています)

中学生への授業をもとにした世界一簡単な「株」の本―「お金に困らない子」はこうして育つ! Book 中学生への授業をもとにした世界一簡単な「株」の本―「お金に困らない子」はこうして育つ!

著者:松本 大,竹川 美奈子
販売元:マキノ出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0) | トラックバック (5)

2006年12月17日 (日)

夢をかなえる投資塾

「夢をかなえる投資塾」  逢坂ユリ

著者の逢坂氏は、不動産投資で有名になったきれいなお姉さんですが、今回の著書は、外貨、株、投資信託から現代アートまで、幅広く投資指南をした本です。
全体を読んだ感じとして、まともな投資方法のお話です。手軽に金儲けはできないと言うことです。マネーゲームであぶく銭は手に入りません。
投資で成功するためには、情報収集が欠かせません。情報を得るための努力も大切ですが、情報を咀嚼するための理解力や知識も大切です。つまり、自分を高めることが投資で成功する近道だと言います。これは近道と言うより、王道なのでしょうね。
そのために、目標収益の10%で本を買って、10%でセミナーに行こうといいます。

ポートフォリオやアセットアロケーションについては、通常の投資指南本を読んでも同じです。
ここでは、著者の今後経済の見方と、これから伸びる資産は何かについて書いていきましょう。

向こう3年の大きな流れとして、日経平均は、2万円を越えて、また3万円台を目指す日が5年以内に訪れるのではないかと。不動産価格も上昇するが、2009年以降は金利が上昇することで、ネット利回りが低下すると見ています。
日本株は、今年1回調整局面がありましたが、もう1回下げが来るのではないかと考えていて、下値の目安として、日経平均1万5千円台。これから購入するなら1万6千円を割ったところだと言います。
でもこの本って、12月初めに出ましたが、11月に書いているとすると、11月終わりに1万5千800円前後になりましたから、そのときが買いだったのでしょうか。12月15日の終値は、1万7千円を目指すところになってしまいましたよね。もう1ヶ月早く出版してくれたらと思います。
金利についても、7月にゼロ金利が解除されましたが、金利上昇は2009年以降ではないかと見解です。2008年には、小渕内閣が大量発行した国債の借り換えが発生するので、そのときまでは、低金利を続けるのではないかとのことです。

最近、私もすごく気になるのですが、コモディティに関する見通しも重要です。世界の人口がますます増加する中で、食料や水の不足が深刻化してきます。また、中国やインドなど国が豊かになってくると、肉食化が進みます。そのためには餌として、とうもろこしや大豆などソフト・コモディティの値段が上昇するはずです。とくに中国やインドでは水不足が大きな問題となっており、貴重な水は生活用水や工業用水に使われ、水を使う農産物を輸入しようとするのです。また、ソフト・コモディティだけでなく、金や原油も限りのある資源なので、消費量が急増すれば、価格が上昇するのは当然でしょう。

著者が今、一押しの投資商品としては、現代アートを上げています。日本の現代アートは、数年前なら、20万~30万円で売られていますが、今や1億円以上になっているものが多いのです。絵画などは好きでないと、単に投資対象とするには品がないようですが、絵が好きな人にとっては、絶好のチャンスな様です。アートの金額を株価にたとえると、日経平均7600円の時代だと言います。
ただ、見る目をそうとう養わないと現代アートを見ない人にとっては、厳しそうですね。著者のお勧めとして、今なら30万円以内で買える画家として、大竹伸朗、天明屋尚、榎本耕一、西澤千晴、宮崎勇次郎氏などが上げられています。本当に自分のお気に入りがあり、お金があれば私も買いたいところですが、とにかく先立つものがない状態です。
でも、著者は確かにいいとこついているかも知れませんね。

夢をかなえる投資塾 Book 夢をかなえる投資塾

著者:逢坂 ユリ
販売元:かんき出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する


| | コメント (0) | トラックバック (5)

2006年12月16日 (土)

ニッケル・アンド・ダイムド

「ニッケル・アンド・ダイムド」  バーバラ・エーレンライク

副題として「アメリカ下流社会の現実」とあります。本書は、最近の格差社会問題を考える際に、アメリカの格差問題を参考するためには必ずと言っていいほど本書が紹介されます。

タイトルの「ニッケル・アンド・ダイムド」のニッケルとはアメリカの5セント硬貨、ダイムは10セント硬貨を指します。ダイムドと動詞の受身形になっているので、「ニッケル・アンド・ダイムド」の意味としては、「少しずつの支出がかさんで苦しむ」または「小額の金銭しか与えられない」という意味になります。いずれにしても「貧困にあえぐ」ということです。

私は、てっきり、日本の格差問題の本と同様にアメリカでの格差を調査した本かと思って手に取りましたが、読んでみると唖然としたしました。

経済学者や社会学者が統計を駆使したり、実地調査から得られるような格差問題を語るものではありませんでした。

著者のエーレンライクはアメリカ屈指のコラムニストだそうですが、博士号も持つアッパーミドルクラスであろうに、自らわずかな金を握り、時給7ドルの生活に飛び込んで、貧困に身を置いて、まさに辛酸をなめます。

単に収入が少ない、生活が厳しいとかのいう問題ではなく、まさに人間の尊厳を問う問題が提起されています。

著者は、フロリダでウェイトレスとして働き、メイン州で、グループで家の掃除をする一員として働きます。最後に、ミネソタで労働者には悪名高きウォルマートの店員として働きます。

著者は、博士号を持ち二週間ごとに全く新しいことに取り組まない人間にとって、単純労働など「楽勝」だと思われるかも知れないが、それは違っていたと言います。著者が最初に知ったのは、どんな仕事も、どれほど単純に見える仕事でも、ほんとうに「単純」でないことでした。どんな仕事も、どれもが集中を必要としたし、新しい用語と、新しい道具と、新しい技術をマスターしなければならなかったと。思ったほどやさしいものは何一つなかったと。

低賃金労働の世界では、著者は―仕事を覚えてることは出来てもヘマをするという―並みの能力を持った人間でしかなかったことを悟ります。

低賃金労働者は怠け者でも何でもなかったことも実際に一緒に働いて見てわかります。ウォルマートでも同僚に忠告されたことがあった。学ばなければならないことはたくさんあるけれど「知りすぎない」もまた大事だと。経営者側は「従業員ができると思うと、ますます従業員を利用し酷使する」から、少なくとも自分の能力を全部見せることは、絶対しないほうがいいということだ。それを教えてくれた人たちが怠け者だったわけではない。めざましい働きをしても、それが報われることはほとんど、あるいは全くないことを知っているためだったのです。エネルギーをいかにうまく配分して、明日のために残しておくか、その計算をすることが、過酷で低賃金で働く人たちの秘訣なのです。低賃金のため、健康保険にも入れず、組合にも入れない労働者は自分のことは自分で守るしかない世界がそこにあるのです。

著者は本当の問題は、いかにうまく仕事をこなしたかではない。食や住を含めた生活全般がうまくできたかどうかと言うことだと。仕事をこなすことと上手に生活することは全く別の問題だと。福祉改革の謳い文句に、仕事こそが貧困から抜け出す切符であるかのように言われますが全然違うのです。

時間7ドル前後の生活を実際にした著者にとっては、休みもなく仕事を2つ掛け持ちしても、通常の職業人と呼ばれる人の生活水準には及ばなかった。著者がフロリダで働いたときには、1ヶ月で1039ドル稼いで、食品や光熱費などに517ドル払っています。最大の支払額は家賃で500ドルのワンルームだと家賃を払った残りが22ドルです。著者はこのまま働き続けた場合に、医療費などを払うことは避けられないに違いないといいます。しかし、1ヶ月22ドルでは、保険も入られないのですから、絶対に病院には行けません。

アメリカでは住宅補助金として、ローンの利子軽減という形で、著者は年に2万ドル以上支給されていたのです。もし、中流クラスにこれだけ補助ができるなら、これを低所得の家族に支給するとまずまず立派な暮らしが出来ることになるのだと。

アメリカは景気が好調で失業率も下がっていますし、求人倍率も高いので、経済学者は市場原理に従えば、労働者が高賃金のほうへ流れたりして賃上げが行われると考えますが、本当の人間は経済学でいう「ホモエコノミクス」ではないことが、一緒に低賃金労働者と働くことでわかります。人それぞれには事情があるのです。車社会のアメリカで車も持てない人にとっては、おいそれと職場を変えることもままなりません。ハリケーンのカトリーナがニューオリンズを直撃した時も、車を持っていない所得の低い人々は逃げることができず大きな被害にあいました。死に直面しても逃げる手段がないのですから、賃金が高いからといって、歩いて通えない職場には行けないのは当然です。

また、低賃金労働者が移動できないようにしているのは、情報が平等に知らされていないことや、さらにウォルマートでも明らかになりますが、管理者の巧みな管理手法に行き着いてしまいます。

貧しくない人たちの間では、貧困とは最低限の生活を維持できる状態だと考えられています。そりゃ質素かも知れないけれど、でもなんとかやっているじゃない、と。貧困が激しい苦痛であるというのは、なかなか理解しにくいことです。節約のために昼食もろくに食べず、勤務時間が終わる頃には失神しそうになる。住む「家」も乗用車かヴァン。病気や怪我は、歯を食いしばって耐え、病気欠勤しても手当ても健康保険もなく、1日の給料がもらえなくなる。それは、即、翌日の食料がないことを意味するのです。

こんな状態で「最低限の生活を維持している」といえるのでしょうか。著者は慢性的な欠乏と容赦のない刑罰に痛めつけられる生活、などという表現でもまだ甘いと言います。これは緊急事態だと。

私は社会民主主義者でも何でもありませんが、かと言って、新自由主義経済が全てを解決してくれるわけでもないことは理解しています。アメリカの中流市民でさえ気がつかないあまりにも悲惨な影の部分を本書を通して見てしまいました。

あなたは本書で何を見ますか。

ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実 Book ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実

著者:B.エーレンライク
販売元:東洋経済新報社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月10日 (日)

ブランドの条件

「ブランドの条件」  山田登世子

ブランドって何でしょう。ただの流行ですか。最近は、銀座、青山、表参道などに次々に欧米のブランドの旗艦店が出店しています。

本書は、まさに、そのブランドって何を考えている本です。

エルメス、ルイ・ヴィトン、シャネル、グッチ、プラダ、コーチとバッグだけでもたくさんの高級ブランドがあります。そして、そのブランドが私たちの周りにひしめいています。20代の女性の手にもたれ、ごく身近な存在でもあります。何十万もする贅沢品が、日常風景となっています。ブランド現象とは、「贅沢の大衆化」だと著者は言います。

大衆化しながらも、なぜ、これらのラグジュアリー・ブランドが、ブランドたる条件とは何かを考えたものです。

著者は、購買心理論ではブランドの本質は解けないという長年の思いがあったようで、本書では、買う側より、むしろ売る側から考えたほうが本質に近づけるのではないかということで、ヴィトン、エルメス、シャネルの誕生物語から語ってくれます。特にこの3ブランドを語るのは、その生い立ちやコンセプトに明瞭な違いがあるそうで、それを説明していきます。

エルメスとシャネルは、いずれも高級価格政策は同じですが、モードに対する距離の取り方が違います。シャネルが限りなくモード寄りのスタンスを取って時のトレンド・セッターであろうとするのに対し、エルメスはむしろ流行から超然とした姿勢を取ろうとします。シャネルが旬の季節のときめきの魅惑を売るのに対し、エルメスは永遠性の高みに踏みとどまって、その「変わらなさ」を売っているように見えます。

エルメスやヴィトンは、19世紀に出来たメゾン・ブランドの典型で、王侯貴族を顧客にして今日の繁栄を築いてきました。この2つはもともと永遠性と貴族性を志向するブランドでした。

一方、20世紀に誕生したブランドであるシャネルは、大衆の力を背景に生まれました。大衆のマインドと呼応して「ファッションをストリートへ」という創始者シャネルの精神そのものなのです。

こうしてストリートに寄り添い、モードに寄り添うシャネルのブランド・コンセプトと、「変わらない」ことを重んじるエルメスのそれとは、いわば19世紀と20世紀の開きがあります。2つの差異は、ヨーロッパ型資本主義とアメリカ型資本主義ほどにも大きなものがあります。

ヴィトンやエルメスは、始めに皇室ありきです。特権階級を顧客にして誕生し、本質的にはロイヤル・ブランドです。そして、そのブランドに権威と信用が根拠の問題です。ラグジュアリー・ブランドのオーラがこの起源のシーンがあって、それを与えているのは皇室だというのです。

そういいながらも、ヴィトンやエルメスの商品はなぜただのバッグではないのか。「ヴィトンはヴィトンだから価値がある。」これしかいえないのではないのでしょうか。

ヴィトンやエルメスも、フランスの国家戦略ともいえる政策で、パリ万博などでの出品やナポレオン3世のブランド戦略で、フランスの一大産業になってきたわけです。

そいて、デモクラシーの時代とともに、贅沢は貴族財であることをやめ、商品化して金で変えるものになり、現代的なラグジュアリー・ブランドまで一直線になったのです。

ヴィトンやエルメスの製造も価値を高めています。大量生産で作るのではなく、ハンドメイドです。現代でこれほどの贅沢はありません。エルメスは作った職人がわかるようになっていて、リペア・サービスに出した場合、その作った職人が自らリペアするのです。

また、職人の少量生産は大量生産のマーケットの世の中では希少価値があり、逆に価値を増すことになります。

逆にシャネルは、フォードのように大量生産される服を発表しました。シャネルは、貴族が召使に着せてもらう服ではなく、自分で着られるモダンガールのための服を提案したのです。自立した女性の服を提案したのです。まさにライフスタイルを変えていったのです。シャネルには、伝統も権威も職人生産の神話もありません。価値の源泉はまさにシャネルのネームヴァリューに基づいているのです。

今や、ヴィトンもエルメスもデザイナーを雇い、新しいものづくりに挑戦しています。「変わるもの」と「変わらないもの」の微妙なバランスを取りながら、新しい価値に挑戦しています。

しかしながらも、私たちは贅沢を買いたいと思っているのです。しかし、本当の贅沢とは何なのでしょうか。

本書は、俗に言うブランドであるラグジュアリー・ブランドについて書かれたものです。SONYやトヨタなどのブランド論とは全く別物です。著者の言う通り供給側からの解説になっているのですが、やはり、どうして高額品を買いたくなる人々が多いのかがよくわからない、もっやっと感が残りました。

ブランドの条件 Book ブランドの条件

著者:山田 登世子
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (8)

2006年12月 9日 (土)

格差社会

「格差社会」何が問題なのか   橘木俊詔

最近、格差問題ではテレビにもよく登場される橘木さんの最新著書です。著者は、98年に「日本の経済格差」を書いたことが、日本での格差問題の嚆矢になったのではないでしょうか。05年の初めには、格差問題の著書が多く出て、今年06年1月に内閣府が、格差の拡大は日本が高齢化していることによる「見かけ上の問題」とする見解が出て、より一層の論争が繰り広げられています。

本書では、格差の何が悪いのかを真摯に語ってくれます。テレビで見るだけですが、頑固そうな中に物静かで、本当にまじめに格差の問題と解決策を考えていることが伺えます。

2004年末に発表されたOECD調査で、再配分後所得のジニ係数でみると不平等の高い国になっていました。前回の調査では中程度でしたので、不平等が確実に高まっているとします。日本は、不平等度が高いアメリカやイギリスのような新自由主義という思想を基本においた経済体制をとっている国と同じになっていました。

不平等が拡大するということは何を意味しているのでしょうか。一つには豊かな人の所得がさらに上がり、貧しい人がますます貧しくなるという側面。二つ目には、豊かな人と貧しい人の数が相対的に増加する側面です。日本においては、双方の側面が見られます。しかし、特に貧困者の問題が深刻化しているというのが著者の見解です。

実際の生活保護を受けている世帯は、96年が61万世帯、04年が100万世帯、05年が105万世帯となっています。

貯蓄の側から見ても、貯蓄のない世帯がここ15年で非常に増えています。貯蓄のない世帯が、70年代から80年代後半にかけて5%あたりで推移していたものが、05年には22.8%にまで急激に上昇しています。貯蓄ゼロとはまったく余裕のない状態です。

また、自己破産する家計も増えています。95年が4万件でしたが、03年には24万件へと6倍に増えています。

さらに絶対的貧困を測る指標としてホームレスの数です。六本木ヒルズ族のような大金持ちが目立つ反面、街を歩いているとホームレスが目立つようになっています。東京都のホームレスの推移を見てみると、90年代末から2000年にかけて3000人から6000人に倍増しています。

相対的な貧困については、国によって基準が違うので国際比較が難しいのですが、OECDの調査で驚くべき事実が出てきています。日本の貧困率が先進国では、アメリカ、アイルランドの次の貧困率です。相対的貧困率についても、80年代は11.9%だったのが、現在、15.3%にまで増えています。

格差は見かけなのかというのは、始めに内閣府の調査からの始まりです。内閣府では、この統計の根拠について、第一は、日本の少子高齢化が進んでいる状況だということ。第二に、家族構成の変化を指摘しています。高齢単身者と若年単身者のふたつの層を中心に数が増えていること。これらによって、統計上格差が広がったというのが内閣府の説明です。しかし、著者は確かに高齢単身者において非常に増加しています。これを「見かけ」とするのであれば、この高齢単身者という貧困層が増えたことを同考えるのかと著者は憤ります。

さて、「平等神話」崩壊の要因とは何でしょう。

日本社会において格差が拡大した要因はいくつか考えられますが、その一つに長期不況の影響があります。最近は低下傾向にありますが、失業率は一時5.5%という戦後2番目の高さにまで達しました。当然、失業率が高くなれば、貧困層も増えて格差が広がることになります。

長期不況がもたらした要因のもう一つ重要なのは、雇用システムの変化です。それは非正規労働者の数が非常に増えたことです。95年、正規労働者は3779万人、非正規労働者は1001万人でしたが、2005年には、正規労働者が3374万人、非正規労働者1633万人です。この10年間に正規労働者が400万人減り、非正規労働者が630万人も増えたことになります。このことは格差拡大の重要な要因です。それはなぜか。第1に、正規労働者と非正規労働者の間には、一時間当たりの賃金に格差が存在します。非正規労働者の賃金は、正規労働者の6割から7割と言われています。第2に、非正規労働者というのは、パート労働者に見られるように労働時間が比較的短いということがあります。一時間当たりの賃金が低い上に、労働時間が短く、総賃金の額が低くなってしまいます。第3に、非正規労働者というのは雇用が不安定です。派遣労働者などは、雇用期間が終われば、次の仕事が見つからない限り即失業者です。不安定な立場におかれている非正規労働者が増えれば、それは格差の拡大につながるわけです。

なぜ、近年、非正規労働者が増えたのでしょう。第1に、企業にとっては、労働コストの削減につながります。第2に、非正規労働者の多くは、社会保険制度に入っていません。このことも企業側にとってはメリットがあります。通常、社会保険は、事業主と労働者での折半の負担となりますので、企業側としては非正規労働者を増やしたい要因となります。第3に、企業から事業不振の時に労働コストを削減しやすいように非正規労働者を雇うメリットがあります。第4に、企業が繁忙期だけに雇えるメリットがあります。

重要なのは、本人はフルタイムの労働者を望んでいるのにもかかわらず、企業が非正規雇用のメリットにこだわって、フルタイムで雇ってくれないということが、実際に少なくないということです。

非正規労働者だけでなく、正規労働者の問題もあります。サービス残業をしていない人はいますか。当然、違法行為ですが、もし、サービス残業が厳しく禁止されるなら、企業は正当な賃金を支払うか、新しい人を雇って雇用を増やさざるを得なくなります。正規労働者のサービス残業が減らないことも、非正規労働者が減らないことにつながっているのです。

このほかに、公平な評価もできないのに成果主義を導入したことなども取り上げています。

さらに、マクロ的には、構造改革の負の面も取り上げています。著者は競争による経済効率を高めることには反対しませんが、Winner-Take-Allではなく、敗者への再配分モデルを作ることを提案しています。

著者は、単に現状を細かに観察しているだけでなく、マクロでもなぜ貧困を放置すると、貧困者が困るだけでなく、社会全体が困るのかについて解説をしてくれます。

長くなるので、興味がある方は、一読してください。

格差社会―何が問題なのか Book 格差社会―何が問題なのか

著者:橘木 俊詔
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (1) | トラックバック (3)

2006年12月 3日 (日)

王道をゆく投資「株」

「長谷川慶太郎の大局を読む 株」  長谷川慶太郎

今年の4月に出た本ですが、今読んでも面白いので取り上げました。大局シリーズは長谷川氏が毎年書いているものです。

個人投資家もインターネットで盛り上がりしましたが、最近は少し株取引が少なくなってきているようです。

とは言え、やはりデフレも終わりを告げようとしているときに、株に魅力を感じる人も多いでしょう。

本書では、株のお勧めをしているわけではなく、言っていることは大きく2つ。

「投機ではなく、投資を!」

「投資には勉強が必要!」

ということです。

ただ、著者の経済の見方や、世界に通用する企業を紹介しています。

まず、現状の認識ですが、戦後60年間の中でも数少ない大規模な好況のとば口にあり、デフレは、むしろ日本経済にとって極めて有利な「追い風」となり、ますますその勢いは強まると見て間違いないと言います。

前提として、世界経済が安定していることが必要になりますが、好むと好まざるとに関わらず、アメリカの軍事的優位が確立しており、世界は極めて安定した状態であり、地球が二分して闘われるような大規模な戦争が発生する危険性は存在しないと言い切ります。

お金の流れもニューヨークに異常に多く集まり、世界の投資に向かっています。日本でも、かつてないほどの大規模の金余りはデフレの産物であって、日銀の金融緩和政策のせいではありません。

世界的デフレが生んだ、理屈では説明できない新たな経済現象として、最も重要なポイントは「長・短金利の連動性の消滅」とのことです。

本書は4月に書かれていますので、ゼロ金利解除前ですが、現状の長期金利水準を考えると、短期金利との連動は低いですよね。ゼロ金利解除に伴って一時、長期金利も上がりましたが、今は逆に低下傾向です。

本ブログでも以前紹介したと思いますが、金余りの時には世界的な大規模プロジェクトが起こり、新たな経済が生まれると書いたことがありました。

本書でも、世界規模のインフラ整備に貢献する日本企業がいくつか紹介されています。

日本の企業しか持っていない技術が数多くあり、世界全体から大量受注によって、日本企業の利益が急増すると見ています。

原油開発やLNG開発、アメリカのエネルギー産業再建に対して、日本の技術力なしにはできないのです。特に、省エネ技術や、環境テクノロジーについては、世界最先端のはずです。

鉄を作ることに関しても、19世紀の初め、1トンの粗鋼生産に要した石炭の量は30トンでしたが、鉄鋼が近代化した20世紀では10分の1の3トンですむようになった。日本の場合は、わずか0.6トンですむようになっており、世界最高の水準になっており、これは世界最高水準です。アメリカの場合は、約1.5トン、中国の場合は、約1.5トンです。

さらに、粗鋼から完成鋼材になるともっと差がつきます。

先日、中国の宝鋼や韓国ポスコと新日鐵の連携が新聞に載っていましたが、ミタルのような大規模鉄鋼業に対して、ある程度の規模と最高の技術で対抗しようとしているのでしょうか。

本書では、世界経済の状況を見ながら、中長期投資にふさわしい個別銘柄を上げていますが、デイトレのような投機はするな、最低でも3年は持てといいます。

最近は、株式そのものより、リスクを減らそうと投資信託などが流行っていますが、本書を読むと、またぞろ、自分でもっと勉強して株を買ってみようかという気にさせられます。

長谷川慶太郎の大局を読む「株」―王道をゆく投資 Book 長谷川慶太郎の大局を読む「株」―王道をゆく投資

著者:長谷川 慶太郎
販売元:ビジネス社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (1)

下流社会マーケティング

「下流社会マーケティングマーケティング」  三浦展

三浦氏といえば、「下流社会」を著し、流行語にもなったくらいですし、最近はあまりにも有名で説明するまでもないのですが、日本の社会をマーケティングの観点から鋭い分析を提供し続けています。

社会学理論を学んだことのある方なら、三浦氏の多くの著書を読んでみると、だいたい世の中を観る視点のフレームワークに気がつくはずです。三浦氏も社会学部出身ですものね。

本書を紹介するに当たって明確にしておかないといけないことは、下流社会の名前がついていますが、格差問題の話ではなく、まったく現在の状況をマーケティングの観点から分析して、階層化している社会に対してどんなマーケティングが必要かということを述べたものですから、格差の原因だとかに興味がある人は不向きです。前著「下流社会」で分析されていますので、その前提に立って、いかにマーケティングを考えるかを書いたものです。格差があるから悪いとかそんなことはともかく、著者は予断を廃して、純粋なマーケターして書いています。

日本では70年代以降「1億総中流」という言葉が使われてきましたが、その流れが変わってきたと考えています。(前著「下流社会」を読んでください)

著者が、使った「下流」という言葉は、単に所得が低い人を指すだけではありません。コミュニケーション能力や生活する能力が低く、働く意欲、学習意欲、消費意欲も低い、総じて人生への意欲が低い人々のことです。そして、「下流社会」というのは、定義ではなく(つまり現実ではない)、現実を見るための道具、メガネであるといいます。三浦流のメガネをかけて、如何に社会を観るかということです。

著者は、政治の世界で使われる55年体制を中流社会を目指した体制であり、それに対して、2005年体制という言葉を作っています。物質的に豊かさはすでに頂点に達していて、もっとたくさんのモノが欲しいという気持ちは、国民の間にはあまりないと。むしろ、今の豊かさを維持できればいいとか、最近、新たに生じつつある精神的・経済的な不安を解消するという価値観のほうが強まっていると。

すでに55年体制の特長だった「中流化」というトレンドは終わって、2005年体制の特徴である「階層化」という新しいトレンドに向かいつつあるといいます。

マーケターらしく現状分析として、人口が50年で4000万人ずつ増減すること、少子化、世帯数の増加や標準世帯の減少などを説明していきます。当然その中で、55年体制で大量にモノが消費されたことを説明します。団塊のジュニア世代は、団塊の世代のように買い替え需要が小さくなってきているとの指摘は鋭いものがあります。団塊の世代は、どんどん車も大きなものに買い替えたり、14インチのテレビを36インチに買い換えていきましたが、最初から30インチ以上のテレビを持っている世代が、25年後に100インチに買い換える可能性は低いとのこと。当然、昔のように標準世帯をターゲットにしたマーケティングは通用しないとします。

つまり市場をよく見極める必要があるということです。人口減少といいますが、全ての市場が縮小していくのかというと、伸びる市場もあるということです。人口学的にいうと、数が増えるのは、高齢者の夫婦のみ世帯や、一人暮らし、そして中年の未婚者です。とはいっても、高齢者は既にある程度モノを持っているし、中年の未婚者に大きな需要があるとは思えません。だから、量を狙うのではなく、商品の単価を上げる質重視のマーケティングが必要だと。

そのためには、ターゲットを明確にして、その人たちにピッタリの商品を提供することが重要になります。

著者の注目点は、標準家族が少なくなってきたことから、ファミリー市場からシングル市場への変化です。ファミリーであっても、家族の一人ひとりがシングルとして消費するということもあるのです。食事も個別、音楽もiPodなど個別に聴く、風邪薬まで自分にあった薬、シャンプーも家族で使うのではなく、個人用となってきています。(これは実感できますね)

このようなライフスタイルに合わせて、3つのケアが今後のポイントだとします。

先ずは「人のケア」(健康、美容、メンタル)。第2は「お金のケア」(収入、資産、保険、セキュリティ)。第3は「モノ、都市のケア」(リサイクル、リノベーション、リフォーム、コンバージョンなど)です。

80年代は、「ニーズからウォンツ」がテーマでしたし、その結果、企業は「多品種少量生産」を行いました。しかし、この多品種少量生産のやり方はもうピークに達しています。iPodを一人で何台も持つ必要はありません、今後は、ウォンツではなく、「高次のニーズ」、レベルの高いニーズを探り出して、それに応えることが、新しい需要拡大のために必要になると著者は考えています。そのためには「コンシェルジュ的サービス」が必要だと。

著者が団塊の世代をクラスター分析や団塊ジュニアの分析はさすがです。ここは深いので、是非買って読んでみてください。

下流社会マーケティング Book 下流社会マーケティング

著者:三浦 展
販売元:日本実業出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年11月26日 (日)

ゴールデン・サイクル

「ゴールデン・サイクル」   嶋中雄二

本書は、足元で始まろうとしている日本経済の壮大な復活劇を主として景気循環論の視点から論じたものです。

(06年4月までに書いて、5月刊行なので、ゼロ金利解除前に書かれた事を

考えて読んでください)

2005年内に在庫調整が完了し、3~4年周期のキッチン・サイクルが上昇基調を継続する一方、戦後第6波のジュグラー・サイクルの上昇基調ともいうべき、空前の投資採算水準に見合った新たな、10年周期的な設備投資の拡大局面が始まろうとしています。

このジュグラーの戦後第6波は、液晶・プラズマTVやDVD、ハイブリッド・カーといった新・三種の神器とも言うべき耐久消費財普及とともに到来しつつあります。そして、この上昇波は、国内工場立地の増加・都市再生事業の本格化・団塊の世代並びに団塊ジュニア人口の移動などにその一端が見られる、クズネッツ・サイクルないし建設投資循環の20年周期の上昇局面が03年より開始されていることによって、より強化されようとしています。

地価の価格の動きを見ても、05年までと06年からとでは、土地という日本経済の根幹に関わる前提が異なってくると著者は見ています。その意味では、私たちは今、日本経済の歴史的局面に立っているのではないかと。

06年には、もう一つの波であるコンドラチェフ・サイクルが、その50~60年周期の回転により、再び戦後の復興期と同様の位相に立ち戻ってきたと解釈できる状況をもたらしつつあります。著者は、06年近辺を境に、緩やかなディス・デフレ(脱デフレ)の時代が始まり、その流れは、20~30年の時間の経過とともに、インフレへと姿を変えていくと見ています。

こうして、短期、中期、長期、超長期の(1)キッチン、(2)ジュグラー、(3)クズネッツ、(4)コンドラチェフの全てのベクトルが上向く年となり、著者はこの現象を、本書のタイトルにある「ゴールデン・サイクル」と命名しています。

日経平均と6大都市市街地価格指数は、おおむね1年半程度のタイムラグを隔てながら、総じて株価が地価に先行する関係があります、今年前半の株価の上昇スピードと合わせて考えれば、06年3月末の地価が1991年3月末以来15年ぶりのプラスを記録し、さらにその後も上昇し続ける確率が極めて高いといえます。

現実的に、06年1月の公示地価では3大都市圏の商業地は15年ぶりのプラスとなっています。つまり、06年という年にようやく、地価が当然のように下落し続ける「失われた10年(15年?)」をついに脱出して、竹中平蔵氏のいう「もはやバブル後ではない」状況に入ってこようとしているのです。

03年以降、工場立地件数や建設着工床面積などに動向が見られ、06年からの地価浮上により、人口動態的にも団塊の世代とそのジュニア世代の大量移動のパワーを内に秘めて、おそらく2012年頃までは上り坂と目される建設投資循環の本格的な上昇波へと展開していくのではないかと。

しかし、06年からの中期的な意味での主役は、建設投資というより、むしろ民間企業設備投資であるといったほうが正確かもしれません。

ところで、05年は日本が初めて「人口減少社会」に突入したことが明らかになりました。著者は、人口減少が日本経済の潜在成長力を低下させ、悲観的な予測に与することはしていません。デニソンによると、53年から71年の日本経済について、労働と資本の寄与よりもはるかに大きな寄与度である全要素生産性(TFP)の上昇率が高いことを示してくれました。80年代後半のバブル経済時にもTFPの上昇率が寄与していることはあまり知られていません。資本ストックばかりだけでなくTFPの伸び率も設備投資の中間循環、すなわちジュグラー・サイクルの位相とともに上下しているのです。今後、2010年にかけて設備投資比率が再び20%台近くまで高まれば、労働人口の減少を考慮しても、TFPや資本ストックの上昇率アップにより、日本経済の潜在成長率は4%台になってもおかしくないといいます。

経済成長率は、資本投入と労働投入並びに残差の各要因の貢献度を、日本経済研究センター(金森久雄)の調査では、成長への貢献への寄与度の最も高いのは残差要因であるTFPであることがわかっています。内閣府の統計でも90年から04年の潜在成長力は平均1.8%と計算されていますが、TFPの寄与度は0.9%ポイントとなっています。直近でも潜在成長力の半分はTFPによって稼ぎ出されていることになっています。

TFPは狭い意味での技術革新ではなく、イノベーションの経済効果を表しているといえます。政府は、06年1月の中期見通しの試算では、06年から11年まで実質経済成長率が平均1.8%、名目成長率2.8%と見込んでいますが、昨今の構造改革、新・3種の神器の普及、設備投資の上昇を考えると、著者はさらに高い成長を見込むとみています。

また著者は経済再生に必要なものは、まず「都市再生」を提言しています。生活者の視点からの経済再生が必要だと。それは4つのKだそうです。そのKとは、都市の「景観」、「環境」、「観光化」、「高齢化」だそうです。本書を読んでいただくとなるほど、4Kかと思わせます。

本書を読んで、先ず思ったことは、安倍首相ってこの本を読んで、イノベーションによる成長戦略を言ったのかなと思ってしまいます。イノベーション戦略とは、まさに本書で説明されているTFPを高める戦略であり、人口減少社会でも経済成長を成し遂げようとしていることですよね。

ゴールデン・サイクル―「いざなぎ超え」の先にあるもの Book ゴールデン・サイクル―「いざなぎ超え」の先にあるもの

著者:嶋中 雄二
販売元:東洋経済新報社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006年11月25日 (土)

「自由な時代」の「不安な自分」

「自由な時代」の「不安な自分」 消費社会の脱神話化 三浦展

「下流社会」という言葉で一躍メジャーな存在となってしまった三浦さんですが、マーケティングをやっている人や社会学をかじっている人なら何冊か読まれている方も多いと思います。

本書は、今年6月の発刊ですが、著者が近年書いた消費社会論や対談を集めたものです。すこし古い作品も入っています。

特に現代問題となっている格差の話ではありませんが、日本の消費社会がどのように生み出されてきたのか、それを米国の冷戦時代からの戦略までさかのぼり論じられます。

私は学生時代に社会学理論を勉強していたのですが、その時の戦後日本社会の捉えるキーワードは「アメリカニゼーション」でした。

本書でもアメリカにゼーションという言葉は使われていませんが、日本がアメリカの影響を受けて、どのように消費大衆社会になってきたかが三浦さんなりの言葉で書かれたり、対談の中で述べられます。

三浦さんの下流社会やかまやつ女などは、最近、格差問題の中で語られるようですが、本書のように三浦さんの多くの論文を並べてみると、あくまでもマーケティングの文脈で述べられていることに気づかされるはずです。

三浦は次のように述べています。

高度経済成長期においては、「大きな物語」と消費とが密接に結び付けられていただけではなく、消費自体が「マイホーム」「ホワイトカラー」「三種の神器」などの物語を次々と生み出すことで、「大きな物語」を補強した。「消費は美徳」「大きいことはいいことだ」という言葉に代表されるように、より多く消費することが国民、会社人、さらには家庭人としてのアイデンティティ形成にもつながるという言葉があった。

しかし、その両輪が今、どちらも溶解している。高度成長はとうに終わり、バブルははじけ、大手企業が相次ぎ倒産した。家族は、離婚の増加、晩婚化などによって、明らかにかつての「理想型」とは変質している。よって、われわれは自らのアイデンティティを持つことはできない。消費がアイデンティティに結びつくこともない。今や、消費者は自ら物語を創出しなければならなくなったのである。

言うまでもなく、「自分らしさ」もまたひとつの「小さな物語」である。しかし現実にはその「自分らしさ」という物語を十全に生きることのできる消費者ばかりでない。いや、そうではない消費者のほうが多いのは当然だ。

・・・こうして80年代は物語作りのためにマニュアル本の「ポパイ」や「JJ」が全盛期を迎え、中でも「ホットドッグプレス」はデートやセックスの仕方までマニュアル化していきます。

ファッションなどは所詮いつでもマニュアル的なものではないかという人もいるかもしれませんが、しかし、たとえば60年代のジーンズやミニスカートは、単なる流行を超えて、若者、女性の自由、解放という、それはまたそれでひとつの「大きな物語」を担っていた。それに対して、現代のファッションにはそんな「大きな物語」は存在しない。むしろ今のファッションは、太った自分や背の低い自分や色の黒い自分といった、無数の個別の「小さな自分」の「小さな物語」のための道具としてしか存在していないようにすら見える。

しかし、マニュアル化傾向が極限まで進むと当然のことながらマニュアル通りに生きる自分と、それに満足のできない自分との間に分裂が生じ、「自分探し」ブームが拡大することになる。

そして不安な心理状態は概ね3つの消費行動を生み出すことが考えられる。第1は「消費中毒」である。不安であるが故にますます物の消費を通して自分探しを行うことになります。消費者の自分志向に気づいた企業は、消費者とともに自分らしさ探し訴求との共犯関係によって、ますます「自分らしさの神話」が増殖していった。不安な消費者がとる第2の行動は「永遠志向」である。具体的には、海外高級ブランド志向がそれにあたる。海外高級ブランドは、消費者の自分らしさに近づくのではなく、消費者がブランドらしさのほうへ近づくべきだという態度を保持している。自分らしさなどという「ぬるい」次元を超えた絶対的なものとしてブランドは君臨する。不安な現代人は、高級ブランドが生み出す永遠性という強力な物語に惹かれるのである。不安な消費者の第3の行動は「自己改造志向」である。それは、高級ブランドであれ何であれ物を消費するだけでは所詮自分らしさやアイデンティティは実現できないことに気づき、逆に自分自身を変えようと態度であり、内面的な自己改造と外面的な自己改造の2つの方向がある。自己啓発、稽古事、茶髪、ピアスなどです。

本書の中心だけを紹介しましたが、私が大学時代に勉強した「アメリカにゼーション」は、ユーミン(松任谷由美)を通して語られます。

また、最近でもないですが、ギャルやヤマンバ女子高生のインタビューを通して、おじさんの私が知らない世界を垣間見ることもできます。

三浦展ファンの方には、おさらいになるかも知れませんが、三浦流の社会の捉え方を再認識できる本です。

「自由な時代」の「不安な自分」―消費社会の脱神話化 Book 「自由な時代」の「不安な自分」―消費社会の脱神話化

著者:三浦 展
販売元:晶文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月23日 (木)

日経MJトレンド情報2007

「日経MJトレンド情報源2007」  日経MJ編

みなさんは日経MJ(流通新聞)を読んでいますか。私は20年以上も前に会社に入った頃に自分で取っていましたが、金の切れ目が縁の切れ目でそのうち取るのをやめてしまいました。会社でマーケティング関係の仕事をしている時には、会社でとっている日経MJを読んでいました。今は、時々、図書館で読むくらいですが、仕事に関係する、しないに関わらず、面白いですよね。

毎年10月頃になると過去1年間の記事やデータから、まさにマーケティング年鑑というべきものが「日経MJトレンド情報源」で、本書は2007年版です。

さすがMJらしく、本書は、最新の消費トレンド分析、流通業界の動向、そして流通関連のデータ集ありと、面白さ満載です。マーケティング担当者なら是非とも手元において置きたい本ですよね。

本書での消費トレンド分析を見ていきましょう。

「もったいない」という日本語が世界に広まっていますし、確かに現在、日本に「もったいない」型消費者や消費行動が急速に増えつつあるように見えます。本書の鋭い分析は、消費者が「もったいな」と感じているのは地球環境や資源ではなく、消費行動に振り向ける自分自身の時間と労力ではないかと見ているところです。

その日本的「もったいない」型消費が増えている結果、生じている現象の代表例が、「投資型消費」と「クチコミ消費の全盛」だと言います。

その前提としての社会全体の分析も社会学的な見方で面白いです。

1980年、アルビン・トフラーが「第三の波」で提唱した「プロシューマー」という概念があります。高度消費社会では、買い手が作り手とプロセスを共有しながら、消費者と生産者を一体とした考え方ですが、現段階では半分当たって、半分はずれているといいます。それはなぜか。生産プロセスへの参加手段が、トフラーが考えていたよりも、高度化、情報化しているからです。ご存知の通りインターネットの登場です。

また、消費者の洗練化です。70年代までに標準世帯を主役とした大衆消費の段階を終了した日本の消費者は80年代のバブル期にモノを見る目、肥えた舌などを手に入れ、90年代の不況期には価値に見合う価格とは何かを考え続けた結果、コストパフォーマンスに関する敏感さを習得するに至っています。

最近では少子高齢化がこの流れに拍車をかけます。カネと時間を同時に手にした高齢消費者の「うるささ」は、商売をしている人には身にしみて感じているところです。

最近の消費者の指向としては、「癒し指向」から「元気・戦闘モード」へシフトチェンジしているのではないかと。ほんの少し前まで「泣ける」小説や映画が売れ筋でしたが、経済の回復基調に触発され、攻めの消費行動に移ってきていると考えています。

(ここは大切な分析だと思います。現在でも泣けるドラマや映画が流行っていますが、これからは癒し系などで攻めようと考えていてはいけないと言うことだと思います。企業収益は改善されてきていますが、個人消費には波及していませんが、もう少し時間がたてば、個人消費へ波及し、本書のいう方向に向かうと思われます。)

始めのほうで現象として「投資型消費」と「クチコミ消費の全盛」が現れていると言いました。

先ず、投資としての消費について見ていきましょう。

近年急拡大してきた「頑張っている自分へのご褒美」消費が急減速しています。バレンタインのチョコ買いからも、マイチョコが前年比14%の減額。本命チョコも微増です。ハイリスクな一点買い(結婚を狙う本命への重点投資)から、安全を考えた分散投資(職場や取引先との人脈作り)へと変わっていると。

オフィス街のランチタイム風景も変わっています。楽しげな雰囲気が希薄になっていると言います。客の女性たちは黙々と、有機野菜や海草で構成されたメニューを口に運びます。わいわいOLがランチを楽しむ姿とは正反対で、食後のデザートが見せ選びの決め手だった数年前とは大違いです。

この消費は、一時の満足のための「費やし、消える」消費ではない。先をにらんだ「投資としての消費」であると。

なぜ、こうした流れが生まれてきたのでしょう。

第一に、社会と生活のあらゆる分野に自由競争的な思想が入り込み、個人が自分の人生に経営的な感覚で望むようになったこと。株式などの投資に個人マネーが流れ込む中、従来の消費も無縁ではいられないようになりました。

第二は、見返りや効用が無くてもOKと思わせる魅力的な商品、サービス、エンターテイメントが不足していること。軽自動車ブームなど、本来の「単なる移動道具」に戻りつつあるクルマ選びがその好例です。

アート作品の購入者が本当に買っているのは、「アートを買う自分」という自画像だと言うのがマーケティングの定説です。人は何に対して、どういう目的で財布のヒモを緩めるのか。モノと目的の乖離をきちんと見極めることが、ますます重要になってきています。

次にクチコミについて考えましょう。

せっかく仕入れた情報は他人と共有したい。買い物をした結果(満足から怒りまで)も一人で抱え込んではもったいないとネットで発信します。以前は、AIDMAの法則(マーケティング理論なので説明は省略しますが)がマーケティングの基本とされたこともありましたが、最近では、サーチ(検索)と、最後にシェア(情報共有)が加わり、AISASの法則という言葉が生まれています。インターネットが普及した今、新たな顧客心理を加味したマーケティング戦略を立案しなければならなくなっています。

本書で注目している世代があります。団塊と団塊ジュニアに挟まれた谷間の世代です。この2つの山を当て込んだ企業ほど当てが外れて困っています。理由は簡単。団塊の世代の多くは長い老後のために支出を控え、再就職を希望している。バブル期に高く長期の住宅ローンを抱えた人も多い。団塊ジュニアは大学卒業が就職氷河期にぶつかり、フリーターも多い。正社員でも業種によってはボーナスが年々下がり続ける人もいます。

回復途上にある個人消費のけん引役は、統計的には少数派であるはずの谷間の世代なのです。60年代前半と生まれを中心にその前後数年を含む、40代の世代です。この世代の男性はおしゃれ、グルメと活発な消費を展開している。しかも上の世代のような渋いご隠居趣味ではない。(男ならチョイ悪おやじでしょうか)女性ならJJで育った方たちです。元JJモデルの黒田知永子さんに代表されるように、JJから始まり、雑誌「VERY」から、40代向け「STORY」のモデルになっていますが、ここの世代にピッタリ照準を合わせた企業は利益を確保しています。

最後に、トレンドのキーワードを紹介しておきます。ずばり「80年代」です。オートフォーカスをα7000は1985年に発売し、大評判になりました。今は、デジタル一眼レフ(今やソニーがαブランドで出していますよね)が流行っていますし、クルマで前回のバブル期を代表する車はシーマでしたが、今回の象徴はレクサスです。

みなさんもちょっと考えてみてください。

日経MJトレンド情報源〈2007年版〉 Book 日経MJトレンド情報源〈2007年版〉

販売元:日本経済新聞社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2006年11月18日 (土)

アメリカの不正義

「アメリカの不正義」-レバノンから見たアラブの苦悩- 天木直人

著者の天木氏は、前駐レバノン特命全権大使で、イラク戦争を機に、本省と対立し、外務省をほとんどクビになるように追われた人です。そのイラク戦争批判から外務省批判を行った著書が「さらば外務省!」であり、ベストセラーにもなりました。

本書は、そのベストセラーとは趣を異にして、2001年2月から2003年8月まで、レバノンで過ごしたことを日記のように、穏やかな心情で述べられています。

中東情勢を勉強されている方は、トーマス・フリードマン(「レクサスとオリーブの木」や「フラット化する社会」の著者)がニューヨーク・タイムズの記者として「ベイルートからエルサレムへ」という大作を読まれた方もいらっしゃるでしょう。それを読まれた方には、少し物足りなかいかも知れませんが、フリードマンの大作を読むにはしんどいという方には読みやすい中東物です。(そもそもフリードマンの本はものすごく良い本なのですが絶版となり今や図書館でしか読めませんが)

みなさんはレバノンにどんなイメージを抱かれているでしょうか。最近は、ヒズボラとイスラエルとの戦争の戦場となってしまったニュースはご存知でしょうし、その昔、キリスト教徒やイスラム教徒との間で内戦が続いていた国というイメージをもたれていますかね。それとも、ビジネスパーソンの方なら、日産・ルノーのゴーン社長を思い出しますかね。旅行好きの人にとっては、「中東のパリ」と呼ばれて美しい街だったことをイメージされますか。

日本人にはイメージの薄い国かも知れませんが、レバノン人はきわめて親日的だそうです。報道でもイスラエルとの戦争での悲惨な状況があれば、テレビなどで見ることはあっても、それ以外ではお目にかかることは少ないと思います。特に、政府も日米同盟を基軸とした外交を展開しますので、余計に日本人の関心が少ないと思います。

レバノンの国民の大多数はシリアがレバノンを事実上支配していることを知っているそうです。そしてこれに強い憤りを持っています。しかし、シリアの仕返しをおそれて誰も公言はしないそうです。国際社会もこの異常な関係に目をつぶり続けています。レバノンの中にシリアの支援を受けたヒズボラが存在していますし、前天木大使は、ヒズボラとイスラエルの戦争をこの時期に予言しています。

レバノンというとキリスト教やイスラム教のモザイク国家でもあります。1932年フランス統治下の時代に国勢調査が行われ、キリスト教徒とイスラム教徒の比率は55対45とされました。単に2つの宗教があるというだけでなく、キリスト教ではマロン派が29%、ギリシア正教が9%、ギリシアカトリックが6%、イスラム教徒ではスンニ派が22%、シーア派が20%、ドルーズ派が7%ということになっています。そのほかにも、アルメニア正教、アルメニア旧教、ローマンカトリック、プロテスタント、アラウィ、クルド、コプトなど日本人には名前の知らない宗派が18あり、レバノンを構成しているそうです。キリスト教優位の権限配分は、32年の国勢調査によるもので、現在は、明らかにイスラム教徒の人口が明らかだそうですが、国勢調査が行われずに、このことも75年からの内戦の遠因になっています。

著者が大使をしている間に、レバノン人が折りに触れ日本を称賛し好意的な感情にあいます。それは戦後復興から世界第2位の経済大国になったことや、勤勉で優秀な国民でありこと、近代化の一方で古い伝統をよく保持していること、高い道徳性を持っていることなど、が言われるそうですが、著者もレバノン人の抱くイメージは、本当は失われつつあるんだよと思ったそうです。ただ、レバノン人が日本人に共感を覚えるのは、カミカゼだそうです。イスラエルに対してパレスチナ人は最後の手段として自爆テロで応酬していますが、これがカミカゼ精神に擬せられているようです。ヒズボラの総裁から「我々はその崇高な自己犠牲の精神から学んだ」と言われたそうです。(これは絶対に見習って欲しくないですよね)

本書は、レバノンの中での歴史教科書問題や政治の腐敗なども、レバノン国内に居る立場から、いろいろと説明してくれています。2003年12月刊行の本なので、話としては、少し古いですが、中東情勢を知る手がかりになると思います。

Book アメリカの不正義―レバノンから見たアラブの苦悩

著者:天木 直人
販売元:展望社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月12日 (日)

最後の言葉

「最後の言葉」  川嶋あい

本ブログではめずらしい本の紹介です。若い人の間で流行っている歌手・川嶋あいの告白本です。

産みのお母さんがすぐに死んでしまい、施設で育ったこと。育ての母に引き取られ、歌手になることを夢にして、高校まで出してもらったこと、そして、そのお母さんも、著者を歌手にするために骨身を惜しんで働き、借金をして学費を工面し、歌手となって渋谷公会堂に立つ直前に、力尽きて死んでしまうことなど、あまりにも切ない本物の物語です。

この本を書くことで、売名行為などと悪口も言われているようですが、著者の真摯な気持ちが、あまりにも胸を打つし、また、著者をあたたかく見守る事務所のスタッフの心遣いも書かれていて、まさに、人間が持つ真心が溢れる本物の本です。

現在、著者は20歳ですが、10代でこの本に自分の気持ちをここまで書けたことにすら感動を覚えます。

一昨年から今年にかけて、泣ける本や映画が流行っていますが、最近、これほど心を打つ本に出会ったことはないと言っても言い過ぎではないでしょう。もし、この本を読んで泣かない人はいないと思います。

川嶋あいの物語は、GYAOでも評判となり、今やCDで朗読まで出ています。

育ての母との絆や、現在の事務所のスタッフとの心の交流など、あまりにも心の琴線に触れる話が全編にちりばめられており、生き馬の目を抜くビジネスの世界に身を置くものとして、久々に心が洗われる本だったので、是非とも紹介したく、本ブログに書きました。

うそ、いつわりなくすばらしい本です。

最後の言葉 Book 最後の言葉

著者:川嶋 あい
販売元:ダブルウィング
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月11日 (土)

新・富裕層マネー

「新・富裕層マネー」  日本経済新聞社編

本書は日本金融新聞の連載企画「個人マネー・ウォーズ」を大幅に加筆されたものです。

今や日本の家計が持つ金融資産の総額は、2005年末に1500兆円を超えました。国民一人当たりにすると、1200万円強ずつ保有している計算になります。「下流社会」「格差社会」といった言葉が流行語になっていますが、格差が本当に広がっているかどうかは別としても、個人の金融資産が少しでも有利な運用先を目指し、大きなうねりになって動き始めたのは間違いありません。ゼロ金利が解除されたとはいえ、まだまだ長引くだろう超低金利と、少子高齢化で高まる将来への不安にペイオフ全面解禁が加わり、少しでも有利な運用先を求めています。バブルの負の資産の処理を進んで個人に蓄積されてきた日本で、欧米で培われた富裕層向けのプライベートバンキングが浸透する素地が広がっています。

日本にはどれだけの富裕層がいるのだろうか。野村総研の調べでは、1億円以上の資産を持っている世帯は約80万に及ぶという。細かく見ていくと、純金融資産を5億円以上も保有するスーパーリッチは6万世帯もあるという。純金融資産が1億円以上ある層の資産は163兆円とされています。ただ、お金持ち層はもっと多いという分析がある。総務省などの家計アンケートで富裕層が正直に答えていないという説もあるそうです。大口資産家が正直に回答したり、回答を拒否していることがあり、日銀の資金循環統計から1世帯当たりの貯蓄保有額を計算すると2902万円になるといいます。

ここで大前研一の1020日付のメルマガを紹介しておきます。富裕層の状況がよくわかります。

「10日、三菱UFJメリルリンチPB証券は、日本の富裕層人口が アジア8市場(日中韓印香台・シンガポール・インドネシア)の中で首位・141万人に達すると発表しました。(※ここで言う富裕層とは、純金融資産の保有額が100万ドル(約1億2000万円)以上の個人ということになります)しかし、人数こそ首位のものの、日本の伸び率は8市場の中で最も低水準で、また1人当りの平均保有資産は270万ドル(約3億2000万円)で、こちらも8市場中、7番目という状況です。首位の香港が530万ドル、2位の中国が500万ドルですから、日本の場合には富裕層と言っても、小金持ちが大勢いる状態と言ってもいいかも知れません」

三菱UFJグループには、米国メルリリンチと合弁でプライベートバンキングに取り組んでいます。他にもメガバンクが一斉に富裕層の個人をめがけて走り始めているのです。また、日本市場を好機到来と欧州系プライベートバンクの参入や事業拡大が相次いでいます。

また、上で紹介した大前のメルマガの通り、小金持ちの富裕層を対象に地域金融機関も専門チームを作ってプライベートバンキングを始めています。本書でも京都銀行の例が紹介されています。

メガバンクでは、2002年にPBの先駆者として、三菱UFJのダイヤモンドプライベートオフィスが紹介されています。当時は、東京三菱銀行、三菱信託銀行、東京海上、三菱地所など三菱グループ6社と地銀19行で設立した三菱のプライベートバンキングの橋頭堡だと紹介されます。ここでは、05年上期の金融商品の販売額は前年同期の2倍に膨らんでいるそうです。三菱UFJの幹部は、富裕層を顧客として取り込む競争は第1幕を終え、第2幕が始まったと言います。

(先日のニュースでは、旧UFJ銀行系のPBも三菱系のPBとくっつきました)

ニッポン株式会社を長く支えてきた「団塊の世代」が定年退職期に入る2007年が目前に迫り、総額50兆円といわれる退職金が個人マネー争奪戦の主戦場になりつつあります。この団塊世代をいかにつかんでいくかが、金融界の将来の勢力図まで左右する可能性すらあります。最近の証券市場の活性化の立役者であるネット証券会社も、団塊の世代を次の収益源と見ています。例えば松井証券が抱える団塊世代の顧客は4万3千人にも達しています。ライバルのカブドットコムは、60歳代以上の顧客の手数料を割り引く制度を始めています。

団塊の世代の退職金を50兆円といいますが、これは大手銀行の預金量に匹敵します。この前後の世代の退職金を加えれば退職金の総額は20兆から30兆膨らむとの資産もあります。確かに、以前よりは所得環境は厳しくなっているとはいえ、団塊世代は住宅ローンの返済を終え、子供も独立している世代が多く、いずれ退職金を手にし、お金にも時間にも余裕がある層が増えるのです。

(私事ですが、40代の私としては、給料は減るし、退職金なんてもらえるかどうかわからないのにうらやましい限りです。私は大手金融グループのある会社に勤めていますが、ホンネを言えば、自分の生活の将来がどうなるかわからない中で、富裕層のお客様を相手のサービスを考えないといけなというつらい立場です。これは中小企業で苦労をされている方が多い中で愚痴に聞こえるかも知れませんが、大手企業といっても、成果主義の名のもとに賃金格差が大きくなり、評価が下がると賃金も大きく下がりモチベーションが下がります)

さて、本書では、富裕層の取り込みの話だけでなく、少子化の中で将来の顧客をつかむための金融機関のあの手この手もたっぷり紹介されていますので面白いですよ。(私も今年の夏は、子供の夏休みの自由研究に、日経新聞がネットで実施している親子の株式教室で自分で選んだ株価をプロットするようなことをしました)

新・富裕層マネー―1500兆円市場争奪戦 Book 新・富裕層マネー―1500兆円市場争奪戦

販売元:日本経済新聞社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (9)

2006年11月 5日 (日)

SNS的仕事術

「SNS的仕事術」  鶴野充茂

このブログを読んでいただいている方には、何をか言わんという本かも知れませんが、少しお付き合いを。

タイトルの「SNS的仕事術」とは、著者に言わせると次の2点だと。

1.        現代はいよいよ個人が自分の名前で活躍できる時代だということ。

2.        本当に自分の名前で仕事をするためには、自分自身がしっかり自立し、自分の付加価値をきちんと発信する必要があること。

読者のみなさんは、いろいろなSNSに入っていることでしょう。私もmixiなどいくつかに入っています。SNSは人脈を広げるサイトと考えている人が多いでしょうが、著者は、少し違う見方を提示してくれます。それは、「自分の個としての特性を発信する場」というイメージです。流行の言葉で言えば「自分ブランドを確立するサイト」という感じです。つまり、SNSで関係を築くにあたって、「自分は何者か」「相手に何ができるのか」「相手にとってどういう意味を持つ人物なのですか」がはっきりしないと、リンクの意味が薄いのではないかと。「人間関係」には、単に「知っている」というレベルから「この人なしでは生きていけない」というレベルまであり、サイト上で単に「つながっていない」か「つながっている」かというゼロか一ではないと。

日々、われわれは仕事や学校で多くの人たちと出会い、知り合い、関係を築いています。すでに生活に必要な知り合いは、SNSで探さなくても十分です。にもかかわらずSNSで誰かを「探す」としたら、それは、リアルの場や日常生活の中では出会えない、あるいはなかなか見つけ出すことのできない人なのではないか、という思いが著者の問題意識の中にあるのです。

著者は、こう考えています。「なかなか出会うことのできない人」に出会うためには、その人に自分のことを「知ってもらう」「関係を持ちたいと思ってもらう」ための工夫をすべきだと。誰だか知らない、仕事のつながりもない自分に対して、忙しい時間を割いて付き合おうと思うには、意外と高いハードルがあります。そのハードルを越えるには「効果的な自分発信」しかない。SNSとはそんな発想で自分を発信する場だと考えています。

SNS的に働く、つまり自分のパーソナルな人的ネットワークをベースに仕事をする人というのはどんな人でしょうか。一言でいうと「自分の価値を高め、その価値を発信していく人」です。一般的には人脈の広い人、知り合いの多い人をイメージするかもしれません。SNSサイトの中でいえば、知り合いの「リンク数」が多い人を思い浮かべるかも知れません。しかし、最も大切なのは、どれだけ良質な「関係」を築いているかです。相手との関係の「質」を高めていくことです。そして関係の「質」を高めるには、自分から高い価値を相手に発信していく必要があるのです。

いずれにせよ、何らかの価値を生み出し、提供できる人、そしてその価値を「つながっている人たち」が認識している人に仕事で声がかかるのです。SNS的に働くということを考える上では、「誰とつながっているか」よりもむしろ、その「つながりの質」が重要であり、その「つながりの質」を高めるためには、相手ではなく、その本人が「何ができるのか」「どんな価値が提供できるのか」を突き詰めていく必要があります。

SNS的仕事術の具体的な方法のひとつとして、先ず、情報収集より、その前に情報を発信せよ!というのがあります。これまでの仕事のやり方では、まず情報を収集し、分析し、そこから絞り出した結果を決められた枠内に収めて発信をするパターンが多いと思います。SNS的な仕事の仕方としては、情報発信が先にありきです。その時点で持っている情報を発信してしまいます。発信を重ねていき、逆に情報が集まってくるようになるのです。

SNS的情報発信のコツを10個紹介してくれています。紙面の関係で省略しますが、自分のプロフィール紹介に欠かせない3つの要素として、①Portfolio・・・作品集(実績)を紹介するリンクやサイトやブログのURL、②Profile・・・何ができる人かを伝えるキーワード、③Credentials・・・知人がその人物をどのように紹介しているか。要は、「どんな活動をしてきた人なのか」「自分で自分を何者だと定義しているのか」「周りにいる人は何といっているのか」の3つをわかるようにしておくことだそうです。

でも、本書でも述べていますが、ネット上でコミュニティを作るのと同時に、是非、リアルのコミュニティも作りましょうとのこと。時間はかかるかも知れませんが、実際に顔を知っている関係ほど強いものはないですよね。忙しくても、機会を作って新しい人と出会い続けることは十分意味があるといいます。

結局、人が情報を運ぶのですよね。SNS的仕事術には、「人が最高のコンテンツである」という考え方が根底にあります。

最後に、SNS的仕事術スタイルをいかに続けていくかのポイントは無理をしないことです。とにかく、しんどいやり方は続きません。その上で、意識したいことは、周りにいる人たちにメリットを与え続けるということだそうです。

SNS的仕事術 ソーシャル・ネットワーキングで働き方を変える! Book SNS的仕事術 ソーシャル・ネットワーキングで働き方を変える!

著者:鶴野 充茂
販売元:ソフトバンククリエイティブ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2006年11月 3日 (金)

新平等社会

「新平等社会」 -「希望格差」を越えて-  山田昌弘

このブログでは、よく格差問題を取り上げています。著者の昔からのパラサイトシングルものを社会の切り口が鋭いと思いながら興味深く読んでいました。また、昨年は、「希望格差社会」もベストセラーになるとともに「希望格差」が流行語のひとつになったほどです。ただ、私が格差問題に興味を持っているのは、他人事とは思えないからです。今は普通の会社員ですが、会社の中でも格差が広がっていることを感じていますし、いつ自分がどうなってもおかしくない状況です。また、現代の問題としてではなく、自分の父も大変まじめに働き続けましたが、ずっと社会の底辺近くで暮らしながら私を大学までやってくれました。曲がりにも、私は大学卒業後、会社員となりこれまでは安定した生活ができているのです。

最近、景気の上向きとともに採用も増えてきているとは言え、非正社員になる人も多く存在しています。非正社員の生涯賃金は正社員より最大2億円少ないとされています。望まずして非正社員となった人々が道を絶たれ、非正社員と理由で評価されないなら、貴重な働き手が戦力に育たないことにもなります。

本書では、これまでの世の中の議論をよく整理しながら格差問題を著者なりに語ってくれます。私も相当、格差問題について本を読んできましたが、本書ほど、核心を突いているだろうと思った本に出会ったのは初めてです。収入などの格差は問題にすることは重要な点であり、それは数字で示され議論できますが、格差が世代間に引き継がれ、教育の場にも意欲の格差を考えないといけないことなどよく解説されています。

現在は格差を語る上ではジニ係数などの数字が議論され、所得格差などに議論が行きがちですが、著者は、格差の「質」が変化したことが問題だと言います。つまり、「日本において格差は拡大しているか」という問いは、実は、無意味なのです。実際に格差が拡大した領域もあれば(例えば、若年男性の収入)、現実に格差が縮まった領域(男女の正社員賃金格差や高齢者の所得格差)もある。正確には、「どこにどのような格差が新たに生じたか」という問いに置き換えるべきだと。

国会で格差問題が取り上げられたとき、小泉前首相が「格差があって何が悪い」といいましたが、著者はこの言葉に肯定的です。人間が自由に行動すれば、格差は必然的に生じてきます。全ての人間は同じ能力を持って生まれてくるわけではないし、育つ環境も異なるし、運や努力も影響します。だから、格差が出現すること自体はよいことでも悪いことでもないが、格差がもたらす結果については注意しなくてはならないと言います。市場に限らず、人間が自由に行動する結果として格差が生じるなら、格差の出現は避けられない。近代社会においては人間の自由性を否定することはできない。しかし、結果として出現した格差が社会的に望ましくなければ、その生じた格差を是正するように社会全体で対処しなければならない。そうしなければ、自由な活動の前提である社会の秩序が保てなくなり、かえって、自由な活動に対する反感が増すだろうと。

(中略)

格差拡大の原因は何でしょうか。政治の世界では民営化など経済改革のせいにする議論もありますし、不況がフリーターなどを作ったという考えもあります。しかし著者は、現在日本に進行している格差拡大現象は、「構造的かつ世界的」なものだと言います。その原因のひとつは1997年の金融危機をきっかけにして、日本経済、社会構造は大きな構造変化の時代に突入したこと。もうひとつは、格差拡大は、世界的な傾向であり、特に欧米の先進諸国では英米だけでなく、北欧を含めたほとんどの国で格差拡大がここ20年の間に起きているのだと。景気が良い国でも、福祉政策が充実していてもいなくても、政権がネオリベラリズムであろうと社会民主主義であろうと当初所得の経済格差が拡大しています。

現在の格差問題の解決が容易でないのは、経済格差を作り出す原因が「不当」なものではなく、むしろ、自由で民主的な社会にとって、「望ましい」とみなされることから生み出されているからです。収入の格差が生じるのは、効率的で、選択しの多い経済の結果であり、家族における格差が生じるのは、自己実現的で多様な家族が許されるようになった結果なのです。それゆえに、格差を作り出す原因と出現した格差を区別して評価する、市場による配分原理と、市場による配分成果の原則をもとにして、結果として生じた格差がどのように社会的影響を与えるかを考察しなければならないのです。

著者の真骨頂である希望格差の問題があります。

問題は、経済格差そのものにあるわけではない。更に言えば、貧困そのものにあるわけではない。一時的での大きな収入格差があっても、一時的に貧困であっても、それが、それが直接不幸をもたらすわけではない。今、生活水準が低くても、将来豊かになることが確実なら人は幸福を感じることができるに違いない。

その一つの手がかりが「希望」の社会心理学なのです。「希望とは努力が報われると思うときに生じる、絶望は努力してもしなくても同じだと思う時に生じる」という社会心理学があります。

努力が無駄だと思う機会が増えれば、絶望感が人生を支配するだろう。人々の感情は、自分の意志では持つことができないものである。希望を持てと言っても持てるものではない。そして、この希望が多くの人に分けて持たれているかどうかが、社会が活力をもち、持続可能であるかどうかの鍵であるのです。いくら一部の人が幸せに人生を送っていたとしても、同じ社会を構成する他の人間のかなりの部分が希望をもてない環境に放置されるなら、社会全体の活性は失われ、秩序は不安定になる。つまり、希望を持てなくなった状態は、本人にとって不幸であるばかりでなく、社会全体にとって大きな損失状態である。つまり、社会のあり方が、希望を持てない人を作り出してしまうなら、それは、大きな外部不経済となって、社会に跳ね返ってくる。

希望格差を3つのタイプに分けて考えると、①努力しても仕事能力が身につかず生産性が上がらない、②努力して生産性を上げても収入が増えない、③努力しても生活水準が上がらない。これが希望を失わせる要因である。ニューエコノミーは、従来のスキルアップ型の職を不要にし、大量の定型作業労働者を必要とします。現代では企業が破綻したり、人員削減したり、契約社員にする中で、社員から見れば、真面目に勤めていても、その努力が報われず、会社から放り出されてしまいます。今まで会社にいてスキルアップして会社に貢献した努力が無駄になったという希望喪失です。それをもう一度一からやり直すのは、心理的に耐え難いものです。仕事というのは、単に収入源という意味以上に、人間のプライドを構成するからです。

仕事で真面目に努力しても報われない人が多くなって来ていますが、世代間でも同様です。子供を育てても自分より上級の学校に行けるとは限らないし、自分より良い職に就けるとは限らなくなっています。結果として、勉強する子としない子の格差が拡大しています。近年学習時間の低下が見られ、かつ偏差値が低い学校ほど学校以外での勉強時間の格差が拡大、勉強する努力をあきらめる生徒が増えることがわかります。

(中略)

著者は格差をなくす方法として、底抜けにならない方法を検討しています。それは本書を読んでください。

それだけでなく、タブーとされていた女性の意識(仕事と家庭の問題とか)も書かれていますので、読みたいこと、てんこもりです。

とにかく、大推薦の本ですので、是非とも買って読んで欲しいです。

(もう少し長い文章を読んでも言い方は、こちらへ)http://plaza.rakuten.co.jp/rei123rei123rei/

新平等社会―「希望格差」を超えて Book 新平等社会―「希望格差」を超えて

著者:山田 昌弘
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006年10月29日 (日)

日本の「戦争力」

「日本の戦争力」  小川和久

10月27日の新聞に、政府は北朝鮮の核実験が確認できなかったと発表しました。政府は、米国が大気中から放射性物質を検出したことや韓国の情報を踏まえて、可能性が高いとしただけで、核実験が行われたといえる確実に証明できる客観的なデータは得られなかったとして、核実験が行われたという断定は避けました。

北朝鮮は何をするかわからないと思っている人は多いと思います。そのとき、日本はどんな対応力があるのでしょうか。隣国の核実験も確認できない情報収集能力しかないことが、今回の事件ではっきりしたと思います。そんな国の防衛力はどうなっているのか。その一端でも手がかりにしようと手にしたのが本書です。

本書は2005年の出版ですから、この前の北朝鮮の核実験の前兆もない時期に書かれたものですが、北朝鮮に対する分析も鋭いもので、最近のニュースを見て少しずつわかってきたことが深く書かれており、今読んで十分すぎる内容であり、返って今だからこそ、現実の身として本書がわかると言えます。

また、安倍政権となって、米国と同様な国家安全保障会議構想がありますが、著者は既に本書の中でその構想を述べています。現状では、テロ対策にしても管理が横断的にできていないからでしょう。北朝鮮が東京にノドンをぶち込んでくることを警戒するだけでは不十分です。(最近のニュースで消防庁がJ・ALARTという地震やミサイル攻撃を瞬時に伝えるシステムを来年度から運用するとしています。私もあるセミナーで消防庁のシステムの説明を受けましたが、自治体が設置している防災無線放送に、「ミサイル着弾まで、後何分です。至急、建物の中に非難してください」というプレゼンビデオを見せられました)ただ、北朝鮮が張りぼての戦力でミサイル戦を挑んでくるだけではないはずです。拉致問題でもわかる通り、工作員が福井県などの原子力発電所を攻撃するだけでパニックになるはずです。まして、夏に東京でクレーン船が鉄塔にかかる電線に接触し、東京から神奈川にかけて半日停電になりましたが、接触事故で電車が止まったりと大変だったわけですから、テロリストや工作員が本気で電力停止を狙った場合、はかりしれないダメージを受けることになるはずです。病院などの自家発電装置も、何日も復旧しないことを想定はしていませんので、発電用の重油がなくなれば、入院患者で死んでいく人が続出するはずです。さらに言えば、工作員が日本に来なくてもサイバーテロ攻撃というものもあります。各企業もサイバーテロに備えていますが、各施設などさらに重要な施設はもっとサイバー攻撃に備えているはずです。しかし、米国では、原子炉の制御を不能にするのに、ハッカー出身の専門家は9分しかかからなかったケースがあるそうです。政府機関も企業も同じでしょうが、ホームページを作成したりする外部とネットで接続している担当部署にいる人なら、絶えず、中国などから攻撃を受けていることをご存知なのではないでしょうか。テロリストが本気でサイバー攻撃を仕掛けてきた場合、どこまで日本の社会基盤を守ることができるのでしょうか。

日本の最近の防衛費は年間5兆円弱。ロシア、イギリスとそう変わらず、中国、フランスと並んで世界有数の金額です。(中国政府の発表は信じられませんが)

05年度の防衛費は、4兆8301億円のうち、人件費・糧食費は2兆1562億円で、全体の44.6%にあたります。さらに施設整備費1368億円、営舎費・被服費など1080億円、基地対策費4973億円、その他支出費が837億円。純粋に軍事力の整備に使うことができるのは装備品など購入費9000億円、研究開発費1316億円、訓練活動経費8097億円の合計1兆8413億円にすぎません。この限られた防衛費で整備できるのは、「中ぐらいの国」の軍事力が精一杯です。

自衛隊の場合、問題はそれだけではないそうです。戦力の中身だそうです。実は日本の自衛隊は軍隊として均整のとれた総合力を備えているとは言えず、たいへんバランスの悪い軍隊なのです。例えば、海上自衛隊で考えれば、タイ潜水艦能力は世界トップクラスですが、それ以外の能力は備わっていないに等しいのです。航空自衛隊も「単能空軍」の色彩が強く、防空戦闘能力は世界トップクラスの実力ですが、長距離の航空攻撃の能力はありません。

なぜ、対戦能力と防空能力だけが世界トップクラスで、それ以外ないに等しい軍事力は、同盟関係にある役割分担としての米国の希望に沿った戦力なのです。

第2次世界大戦当時の軍国主義への反省と米国の要請によってパワー・プロジェクション能力のない自衛隊となったわけです。パワープロジェクション能力とは、「数十万規模の陸軍を海を越えて上陸させ、敵国の主要部分を占領し戦争目的を達成できるような構造を備えた陸海空の戦力」だそうです。

空挺団というのがあり、自衛官を輸送するのですが、全機フル稼働でも1度に1500人しか運べないし、そもそも空挺団の実員が1500人もいないという状況だそうです。戦争では兵站が重要ですが、それも全然不十分だそうです。(兵站部門がないというのは、太平洋戦争時のマレーシアでの死の行軍が思い出されます)

日本の戦闘能力も知らずに、立派な軍隊だからという議論や、憲法9条問題を語ることはできないといいます。真の力を知らずに語る国会議員が多くいることは確かでしょう。

ただし、日米同盟で自国を防衛しているので、在日米軍の事実を見逃すわけにはいきません。日本が米国を必要としている以上に、米国の世界戦略からすると日本は米国の最重要同盟国です。世界最大と呼べる事実として、燃料や弾薬がどれだけ日本にあるかに目を向けてみると、燃料では、横浜・鶴見、佐世保、八戸に大きな燃料基地がありますが、燃料の備蓄量については、アメリカ本土東海岸が当然1位ですが、鶴見は、アメリカ本土を含めても米軍第2位、佐世保は第3位です。また、ミサイルや爆弾の備蓄量も圧倒的です。広島県内に3箇所の弾薬庫がありますが、ここの3箇所だけで、日本の陸海空自衛隊の弾薬すべてより多いのです。世界最大・最強の米国第7艦隊の陸上弾薬庫は佐世保であり、ここを守る空軍の中隊は全世界に展開する部隊の中で最大の弾薬整備中隊であるとされています。

燃料や弾薬だけでなく、地球のほぼ半分を舞台とする第7艦隊の旗艦ブルーリッジは横須賀が母港です。その戦力の中心、空母キティーホークももちろん横須賀が母港です。米国の艦隊に母港を提供している国は日本以外にはありません。それはハイテクの塊となった現代兵器を整備できる技術を提供できる国はそんなにないこともありますが、第7艦隊によって、日本の存在を支えているともいえます。

自衛隊の貧弱さに比べ、米軍の力が大きなことがわかります。北朝鮮のミサイル攻撃にビビッてしまう我々ですが、もし、日本に性能の悪いノドンを打ち込めば、トマホークミサイルだけでも3000発程度を打ち込めるように配備されています(トマホークだけでですよ)。トマホークは、湾岸戦争やイラク戦争でも証明されていますが、時速700キロで、GPSと地形照合装置を使い、地上数十メートルを飛び、ピンポイントで目標を攻撃します。このほかにも地対空のパトリオットミサイルも地対地に使用でき、相手の発射ポイントに攻撃できたりします。

北朝鮮の空軍もクラシックな戦闘機があるだけで、制空権はありませんし、陸軍にいたっては、第2次世界大戦で使われていた戦車まで使っています。普通の国なら博物館で見られるくらいでしょう。

北朝鮮が、6カ国協議を拒否して、米国と取引したいというのは、とにかく米国に攻めないで欲しいといっているのです。ノドン1発で数千発のミサイルを受けてしまえば、何週間、国が持つかというより、何時間持ちこたえられるかの話になってしまうのです。

当然、北朝鮮は何をするのかわからないので、玉砕戦で日本にミサイルを撃ち込むかも知れませんので、多数の命が奪われる可能性があるのですが、それ以上に北朝鮮が致命的な反撃を受けてしまう仕組みができていることは、日本人として知っておく必要があると思います。

本書は、事実と数値データを使って物を考える著者の考え方などがよくわかる本なので、ぜひとも一読いただきたい本です。

日本の「戦争力」 Book 日本の「戦争力」

著者:小川 和久
販売元:アスコム
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006年10月22日 (日)

いきいき ロハスライフ!

「いきいき ロハスライフ! LOHAS」 イデ トシカズ

LOHAS本が店頭に多く並んでいますが、イデさんも何冊か出しているので、一度読んでみようと思っていました。

イデさんの面白いところは、20代でミュージシャンとなり、その後、シリコンバレーで音楽制作ソフトを作っていた中で、LOHASな生活をしていたそうです。シリコンバレーでは、LOHASに触れたというか、LOHASが普通だったそうで、日本に帰ってきてから、また音楽を始めながら、LOHASプロデューサーとして活躍している人です。

アメリカでは、西海岸を中心にLOHASというライフスタイルが広く受け入れられており、トヨタ・プリウスを買うのに数ヶ月待ち、ヨガやピラティスなどがヒット、また、豆乳や豆腐人気、そして、肉を食べないベジタリアンが増加しており、レストランでもオーガニック&ベジタリアンメニューが充実しているそうです。イデさんは、シリコンバレーでエンジニアまた経営者として生活をしている中で、自然と、朝5時起きで、ヨガ、瞑想、自転車で出勤、ベジタリアンになっていったそうです。決してイデさんが特別だったわけではなく、周りを見渡してもそんな生活を送っている人は普通だったようで、アメリカでのLOHASを実感したと言います。

LOHASのコンセプトは、単に省エネやエコ生活の方法を説明したり、サプリメントの話題を提供するものではなく。自然と調和するシンプルでナチュラルな「LOHAS的価値観」を持つことで、自分の内面や視点が変化し、自分の人生や生活が「よりイキイキと輝く」ことが大事だと思っていると言います。

今の日本では、好むと好まざるに関わらず、横並び社会から自己責任社会へのパラダイムに移行しつつあり、お金を儲けて競争に勝つことが「勝ち組」であるとステレオタイプの成功を煽る風潮もあります。しかし、ヒルズ族などが脚光を浴びる一方で、90年代に入って、金銭的、物質的にいくら充足しても幸せとは限らない、それより、ワークライフバランスを見直して、自分なりの精神的にも豊かで幸せな暮らしを手に入れようという流れを起こりました。その結果、精神世界系の本などがベストセラーとなったりしました。そして、今、21世紀型のライフスタイルとして、ココロとカラダがストレスの少ないバランスととれた状態になるLOHAS生活を実践するようになってきました。

本書では、イデさんがアメリカで体験してきたことをもとに、いろいろなLOHASが紹介されています。LOHASに詳しい人なら知っていることも多く書かれているのでしょうが、私としては、たとえば「ファイトケミカルス」などいう言葉を本書で始めて知りました。(生活習慣病やガンの原因となる活性酸素の活動を抑える力のある坑酸化物質が植物や野菜に豊富に含まれていることがわかっており、その物質をファイトケミカルスと呼びます)

まあ、こんな言葉からベジタリアンの増加がわかるような気がします。ただ、本書ではアメリカ人が肉食をやめている理由としては3つの大きな理由があると書いています。①肉食は、人間の健康にとってよくないことがわかってきたから。②肉食は、地球環境の破壊につながるから。これは、地球温暖化の以外に大きな原因は牛の大量の排泄物やメタンガスです。また、熱帯雨林を牧場化するための破壊も信じがたいスピードで進んでいます。わずか25年間で中央アメリカの熱帯雨林の38%がアメリカ人の胃袋を満たすための牧草と化してしました。ちなみにオーストラリア北東部の熱帯雨林の80%もすでに伐採され牧場化されており、そこの牛は日本の消費者のためだそうです。③肉食は動物愛護の精神に反するから。(アメリカ人らしいですね)

アメリカ人の26%がLOHASな生活をしている一方で、ここ数年、より多くのガソリンを消費するSUVに乗り、より広い家に住むようになってきている事実もあります。環境を大切にしないといけないことは、頭でわかっていてもできない人が多いということですね。(これは、日本でもそうですよね。)だからといって、環境問題の不安を煽るだけではダメだといいます。人々が実際に反応するのは、仲間の行動、直接の説得、効果的なコミュニケーション、魅力的な優遇措置だといいます。これらの要因によって行動への心理的な障害を回避することになり、そのときに人々の信念と行動が一致するものとなると。

また、LOHASがクールと感じる人が増えるためには、かっこよい人がLOHAS的であることも重要だと。

いきいきロハスライフ!LOHAS-ココロとカラダと地球にやさしい生き方 Book いきいきロハスライフ!LOHAS-ココロとカラダと地球にやさしい生き方

著者:イデ トシカズ
販売元:ゴマブックス
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006年10月21日 (土)

超「格差拡大」の時代

「超「格差拡大」の時代」  長谷川慶太郎

タイトルを見ると、今流行の格差問題を考える本かと思いがちですが、本書は、マクロな経済分析から、国家間の格差や企業間の格差などを述べたものです。もちろん個人の格差にも言及されますが、社会学としての格差問題ではなく、経済学として述べられているだけですので、お間違いないように。

たぶん、著者の意向というより、出版社の意向で「格差」という言葉をタイトルに入れたのでしょうね。

現在、デフレ脱却論議があり、太田大臣は、デフレ脱却したかどうかはもう少し判断を待ちましょうとしていますし、尾身大臣は、デフレは脱却したなんていったりしていますが、それは、日本経済を見ての話です。本書では、世界経済を見渡すと、基調としてデフレであるとの見方を示しています。

逆にデフレであることにより、マネーが世界経済を回り、経済成長を促しているとの見方です。最近、原油価格がやっと下がってきましたが、それでもずいぶんと高値です。著者は、原油価格が上がっても、インフレ要因にはならないとしています。

著者の現状認識としては、21世紀は米国が唯一の大国であり、米国主導の一極支配体制が続くとしています。中東では紛争はありますが、世界全体を通じていえることは大規模な戦争は一切発生しておらず、その兆候すらないとの認識です。今の米国の世界最強の軍事力に対抗して、米国と軍事的な衝突をあえて試みようとする政治勢力、あるいは国家は存在しないとします。米国の軍事技術は相当優れており、湾岸戦争でのイラクのソ連製戦車戦を例に挙げます。ソ連製戦車の射程距離の外から、米国戦車が砲撃し、しかもすばらしい命中精度で、しかも劣化ウラン弾でソ連製戦車を打ち抜いてしまいました。米国は相当の軍事予算で他国の追随を許さない軍事技術を持ってしまっています。そしてその軍事力を支える経済力もあるわけです。当然、世界最大の経済大国なわけですが、それだけでなく、ニューヨークという世界最強のきわめて充実した機能を持つ「金融センター」があります。国際貿易をとれば、世界全体で5兆ドルを超える年間貿易取引の決済のうち、実は95%以上がニューヨーク決済です。ユーロ決済や円決済といっても、現実の決済市場はニューヨークなのです。

世界のマネーはニューヨークに集まってきます。デフレ基調の時代では、特に余裕資金の蓄積という形で、短期資金が大量に滞留し、かつ運用先を求めて漂流します。その短期資金を引きつけ、運用の場を提供できる「金融センター」はニューヨークだけであり、他にはその機能に十分に耐えるだけの力がないのです。

世界全体が米国の力を背景に長期の平和を持続するということは、経済活動は国際化してしまい、それぞれの国の経済活動が急速に交流を強めることになります。戦争経済化では、ヒト、モノ、カネの流れは国境で阻止されるのが普通です。しかし、長期に渡る平和が維持されるという国際環境では、すべての活動がグローバルに広がっていくのです。しかも、大切なことは、この経済活動の国際化は、必然的に民間企業相互の間でのすさまじいまでの販売競争を激化させます。21世紀が進行する中で、これらはより激しく、かつまた全面的に展開することはほぼ間違いない状況であると。

さらに、この状況に輪をかけているのが、BRICsの台頭です。これらの国々はロシアを除き、膨大な人口を持っています。BRICsは発展を遂げているとは言え、多くの人口がまったく国際競争力のない質の低い農産物を生産するしかない農民が多いのです。彼らは、少しでも所得を増やすために、都市部に集まり、低賃金もいとわず、経済活動に参加しようとします。したがって、BRICsからは、世界市場に向けて労働集約型の消費財が大量に供給されることになります。その結果、相次いで安価な消費財が先進国の市場に流出され、それによって、さらに世界的な消費者物価の停滞、あるいは下落を誘発する要因となっています。BRICs諸国だけでなく、経済状態の悪いアフリカ諸国などは、さらに低賃金労働を享受せざるを得ない状況となります。

このような経済基調が定着してくると、在庫など余分なモノを持つことは許されません。デフレによる値下がりによって損失が発生するからです。設備投資にしても、リースにしてモノを持たずリースを使うとかにします。そして、当面使い道のない余裕資金が滞留するというパターンが生まれます。そのマネーを吸収しているのがニューヨークの金融センターというわけです。そしてニュヨーク金融センターに集まってくるマネーにより、国際規模のパイプライン敷設工事などの世界規模の大型プロジェクトが行われることになります。また、投機マネーとして各種国際商品(非鉄金属からコーヒー豆まで)の相場を左右してしまうことになります。

長々と現状認識を述べていますが、それでは日本はどうなるのか。

結論から言うと、「日本の一人勝ち」が始まるということです。

発展途上国や中心国の低賃金労働者によって価格破壊が進みます。たとえば、薄型テレビは2年ほど前は日本の独壇場でしたが、今や、韓国だけでなく、中国でも生産し、低価格品がでてきました。このような状況の中で必要とされるのは、技術革新と設備投資です。デフレに対応するには、技術水準を今後も向上させて、品質、性能に格段の際をつけ、新鋭の設備と高度な技術を製品化するほかはありません。新たな設備投資を行い、旧来の設備を更新することはいまや絶対の条件です。

(このあたり、安倍内閣の方針と同じですね。イノベーションや設備投資に対する税制改革などですよね)

鉄鋼業などは、中国を初め海外勢が鉄の量産をしていますが、日本ではすさまじく設備更新が行われ、高級品は日本のものです。

また、原油価格の値上がりも日本有利に働いています。同じものを生産するのに使用するエネルギー量においては日本は格段に少なくてすむ技術を持っています。日本は米国より技術水準が高く、省エネでもはるかに大きな成果を上げています。それを端的に特許の国際収支です。日本は特許においてあらゆる国に対して黒字になっています。外国に払う特許料は年間5800億から6000億円に対し、収入は1兆3000億円もあります。

ただし、小泉さんが進めてきた改革をさらに推し進めることが必須とします。行政部門の改革を推し進め、国際情勢変化にきわめて機敏に、かつまた的確に対応する行政を持ち合わせる必要があります。

(このへんも、行革に対して面従腹背する官僚を意識して、安倍内閣が官邸主導をすすめることと同じですね)

ただし、日本の官僚制が解体させるくらいにしても、現実の金融市場が国際水準のように安定した状態になるまでは、今後10年間は低金利が存続されるだろうといいます。

著者は、デフレ基調は21世紀中、おそらく変わることはないと確信しています。日本の制度改革は一朝一夕ではいかず、日米の金利格差についても、米国に追いつき、米国への資金移動が止まるまでには気の遠くなるような時間がかかり、当面は円高になる見通しはどこにも存在しないといいます。

ただ、こうした日米間のような格差が、制度改革を促し、日本を前進させる原動力を生み出しているのです。

超「格差拡大」の時代―価格破壊の「地獄」から抜け出せるのは技術力のみ Book 超「格差拡大」の時代―価格破壊の「地獄」から抜け出せるのは技術力のみ

著者:長谷川 慶太郎
販売元:東洋経済新報社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006年10月15日 (日)

論争 格差社会

「論争 格差社会」 文春新書編集部編

格差問題は、政治の世界でも大きく取り上げられ、安倍内閣の下、再チャレンジ制度などが検討さ